JR東日本の最新型特急電車E657系を撮影取材するため,久し振りに勝田駅とその周辺を訪問した.
この駅に何度降り立ったか数え切れないけれど,印象に残っているのは,とれいんの通巻176号,平成元/1989年8月号の“特集:ザ・常磐線”の取材時.
“沿線専用線マップ”や“たのしい廃車体の捨て方”の記事を作成するために,何度も沿線を行ったり来たりしたものだが,勝田駅の“目玉”は,なんといって
も日立製作所の専用線を走る通勤列車.2輛のバッテリー機関車が東急の6000系電車を電装解除した客車を牽いて走る姿は,とても長閑なものであった.
まぁ,もう少し遡れば客車が鋼製車になるから,もっと“時代錯誤的”であったのだが.
その前後には,JR貨物の新造機EF81を撮影するためにも訪問している.日本海縦貫線向け500番代だったかと思うが,日立製作所水戸工場の中に初めて足を踏み入れた.
その頃の勝田の駅はまだ,東側だけ改札口があって,西側へは,駅舎の横の跨線橋を渡って行くようになっていた.橋上駅化され,日立製作所の通勤列車は姿を消してしまったのは,いつのことだったろうか.日立の工場での撮影取材も,途絶えてしまった.
けれど通勤列車のホームは長らくそのままで,専用線の線路も“いつかはまた機関車を出荷するのだから”といわんばかりに残されていたのだけれど…….
改めて観察してみたら,勝田駅のそばの線路は残っていたものの,駅構内北端にある中根街道踏切の遮断器が移設され,専用線は踏切の外側になってしまってい
た.遮断器の製造銘板を見れば2006年7月製とある(ちなみに日本信号製だった)から,恐らくはその頃なのだろうか.がっかりである.
勝田車両センターへ引き上げられるE657系第1編成.撮影者が立っているのが中根街道踏切.画面左手にみえるのが日立製作所水戸工場の専用線.レールはこの先も,駅の側も健在なのだけれど,この踏切のところだけ切られてしまっている.これでは役にたたないではないか.
今回は,さらに驚かされたことがある.それは,3月の地震の影響.東北各県の被害が余りにも大きいものだから,新聞もTVもほとんど採り上げてくれないだけで,実は茨城県も大きな被害を受けているのを実感させられたこと.
茨城交通……ではなくてひたちなか海浜鉄道は全線不通.踏切道には警報機に使用中止の掲示があったし,勝田駅の連絡口にも大きく告知されていて,改めて実感させられた.幸いにして6月25日からは那珂湊と中根の間で運転が再開され,7月23日……あさってだ!には全線での運転が始まるけれど.
そ してもうひとつ,勝田の駅.改札口から天井の風景に違和感を覚えたのだけれど,理由は帰宅後に判明した.飾り天井が地震で落下していたのだった.なにも知 らずに眺めていたら,単にロフト風仕上げなのだと思ってしまうほどにキレイに仮復旧されていたのだけれど,なんか違うよなぁ,という記憶は,正しかった.