モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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今年3月,キハ52最後の活躍の場だった大糸線の非電化区間からキハ52の定期運用がなくなりました.
 思い返してみれば,キハ52に乗っ た思い出は多く,「ローカル線」,「非電化」,「峠越え」という私の鉄旅のキーワードからも,乗る機会が多かったのは当然のことだったのかもしれません, エンジン音高らかに,急勾配をあえぎながら上っていくその様子にときめいたものでした.
 ちょうど,鉄道の旅を精力的にしていた頃が花輪線,岩泉線,山田線,米坂線からキハ52がいなくなるのと重なっていたため,多くのファンと共に最後を見送ってきました.

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花輪線,岩泉線,米坂線で活躍したキハ52たち(日付は撮影日)

こ のたび,TOMIXのJRキハ52-100形ディーゼルカー(大糸線)セットが限定発売されました.実車が姿を消してしまうと,やはり,模型を買って手元 に残しておきたくなってしまうもの…….最後の最後まで活躍したその姿を実物写真と共に振り返ってみたいと思います.(模型撮影:松本正敏,平野聰)

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キハ52 115
  クリーム色4号+朱色4号(国鉄色) 平成6/1994年より大糸線で活躍.平成16/2004年に現在の塗装へ変更.平成22/2010年3月に廃車.現在は津山駅構内で保存中.実物写真撮影 平成22/2010-2
※キハ52 115はセットの中に入っていません.別売りとなります.

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キハ52 125  黄褐色2号+青3号(旧国鉄色) 平成6/1994年より大糸線で活躍.平成18/2006年に現在の塗装に変更. 実物写真撮影 平成22/2010-2

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キハ52 156 朱色5号(首都圏色) 平成6/1994年から大糸線で活躍.平成16/2004年に現在の塗装に変更. 実物写真撮影 平成22/2010-2

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(上)キハ52 124 大糸線色,旧越美北線色 平成6/1994年から大糸線で活躍.平成14/2002年10月廃車.
※実物の写真はキハ52 156(塗装変更前の姿.平成13/2001年撮影)です
(下)定期運用終了後のイベント列車「キハ52 ありがとう号」(2010年3月20〜22日運転)を模型で再現.このセットにはこのとき付けられたヘッドマークが付属しています.
模型はいずれもハイグレード仕様で,細部まで精密に作られているので,眺めているだけでも,楽しいです.
こうやって見ると,どんな塗り分けになっても,長年頑張ってきた名車の風格が漂ってきます.

いつまでもキハ52との思い出を胸に焼き付けて……
と思っていた矢先,大糸線で活躍した,キハ52125をいすみ鉄道が購入し,来春から運行を始めるというニュースが飛び込んできました.
 いすみ鉄道ではオレンジとクリーム塗装になるとのこと.今年2月に大糸線に乗りに行ったとき,125だけ乗れなかったので,とてもうれしい.絶対乗りに行くよ!
また会えるね.ありがとういすみ鉄道.

いすみ鉄道
http://www.isumirail.co.jp/
いすみ鉄道 社長ブログ
http://isumi.rail.shop-pro.jp/

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8月21〜23の三日間,今年もJAMコンベンションが東京ビッグサイトで開催されました.会場の模様は本サイトhttp://www.etrain.jp/event/event.cgiでもお伝えしている通りですが,我々スタッフも搬入日からの4日間,取材&ブース出展のために有明まで毎日通うこととなりました.
 私の場合,普段の通勤には総武線を使っているのですが,そこからりんかい線方面に行くには一度都心に出るか,西船橋で武蔵野線を待たねばならず,いささか乗り換えに時間がかかります.
 そこで会期中は,いつもと違う京葉線の最寄り駅まで自転車で行き,東京湾沿いの車窓を楽しみながらJAMに通うこととしました.
 車輛形式の統一が進んだ他のJR路線と違って,京葉線は複数形式の通勤型がランダムにやって来るので,わずか三日間の往復でも様々な電車に乗ることができます.特に圧巻だったのは最終日… 朝の上り電車で,とうとう連接のE331系に乗車することができました.
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私の乗ったE331系は新浦安駅で快速待ち停車.するとやって来た後続の快速は,数少なくなった国電鋼製車の生き残り,201系です.これは乗り換えるしかない!
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乗り換えざまにホーム端を振り向くと,カメラ片手に待ちかまえているファン数人の姿が… 何か来るのかな? と思っていると,何かの臨時列車なのでしょう,485系の6連が下って来ました.なんだか朝から大忙しです(笑)
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新木場でりんかい線に乗り換えるために201系を降りると,向かいのホームには205系の初期車が… たまたまカメラを持ち歩いていた日曜朝だけで,こんなに色々な電車に出会えるのですから,京葉線は電車ファンには美味しい路線といえます.
 JAMコンベンションの模様は,21日発売の10月号でも詳しくリポートしています.そして10月号では…
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塗装・フィニッシングに纏わる技法・用具を大特集いたしました!! …詳細は追ってお知らせいたしますので,どうぞお楽しみに!
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今年の春に引退した西武鉄道のE31形電気機関車.関東の大手私鉄では,最後の現役電気機関車だったのだが.そのお別れイベントの模様は,本誌の5月号で紹介しているので,ご記憶の方も多いことだろう.
 お別れイベントの数日前には鉄道趣味月刊誌向けの報道公開があり,武蔵丘の車両基地へ撮影にお邪魔した.その折に“どこかへ譲渡の予定は?”とお尋ねしたところ,“実は今,お話が進んでいるところがありまして……”ということだった.さぁそれはどこだろう.弘南がラッセルの後押し用に持っているED33も古いよなぁ,そういえば,あれも西武がらみ…どころか,元は武蔵野のデキカだよ,置き換えにE31というのも因縁めいていいかも.身近なところで秩父鉄道は…あの鉱石列車を牽くにはちょっと力が足りないんじゃないかい?三岐鉄道然り……などと妄想を楽しんでいたら,なんと9月7日付けで西武鉄道から報道関係機関に対して“E31形電気機関車譲渡について”というリリースが配布されたのだった.
 そこには,
“このたび西武鉄道ではE31型電気機関車3両を大井川鐵道(本社:静岡県島田市)に譲渡いたします”
と,記されていた.
 なんと.

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武蔵丘車両基地でのE31形.手前がE32で,次位がE33.E34は1輛単独での撮影ポジションに置いてくださっていた.2010-3-25

このE31という機関車には思い出がたくさんある.中でも,今はレイルロードを主宰する高間恒雄さんとともに,出来上がって間もない姿を所沢の車両基地(西武の呼称では車両管理所)で撮影取材,彼が詳細図面を描き起こして本誌に掲載できたのは忘れられない仕事のうちの一つである.そういえば,その頃はまだ,西武鉄道の本社は池袋にあったのだった.所沢車両管理所は,今の本社社屋と隣接する一帯に展開されていたわけだから.
 一方でこのE31という機関車は,熱心な機関車ファンから見れば,憎き存在でもあった.なんといっても,この4輛の登場によって,辛うじて工事列車用として生き永らえていた古典輸入機関車たちが引導を渡されてしまったわけだから.
 でも僕は,この機関車が好きである.とりわけ塗装デザインは秀逸だと思う.電車用の台車を活用しているのだから,当然車体裾は低い位置にある.普通ならば,ダックスフントのような,なんともしまりのないスタイルになるところ,裾を広い幅の黒に塗ることによって腰の低さをカムフラージュして,立派に見せているのだから.
 そんなこの機関車にも,引退の時期がやってきた.しかしそのまま廃車解体とならずに,4輛のうちの1輛は西武鉄道自身で保存,残り3輛が第二の働き場所を確保できたのは,なんともめでたいことであった.
 先のニュースリリースによれば,大井川鐵道への旅立ちは9月10日夜とのこと.なんとも発表から搬出までの急であることか.10月号の締切間際ではあったけれど,なんとか無理矢理に受け持ちセクションを仕上げ,搬出場所である横瀬に出掛け,そして,ついさきほど,戻ってきたというわけである.

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無事に積み込みを終えたE31形3輛.電気機関車3輛まとめての陸送というのは,これまでにも希有の事例ではなかろうか.

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初秋の秩父山中の暗闇の中,先陣を切って出発するE32.撮影に際して,後続のトラックやトレーラーのヘッドライトでこの機関車を照らすという,僕の我が侭な演出提案を,輸送を受け持つ西武運輸と奥井組のクルーの皆さんは快く承諾してくださった.感謝感謝である.

受け入れ側の大井川鐵道では,9月9日付けで“西武鉄道より電気機関車を導入”と報道機関向けにプレスリリースを配布した.それによれば,今回の購入は,老朽化している同社の既存電気機関車の若返りをはかるのが目的だという.いわれてみれば,大阪セメントの日立製50t機“いぶき”501も車齢は50年をとっくに越している.大井川へ行ってからですら10年である.
 もっとも同鉄道では,現有の3輛をすぐに廃車にしてしまうこということではなく,“他で余剰になった機関車を,とにかく確保しておきたい”という気持ちからの購入とのこと.だから,“将来的にはその置き換え用”,“稼動時期は決まっておりません”と,リリースにも記されている.
 さて,いつごろ,どのような姿で川根路を走りはじめるのか.また楽しみが増えた.

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横瀬車両基地の建屋の中で,ED10とともに佇むE31.生誕の地で大切にされ続けて欲しいものである.

※レオレオさんのコメントにありますとおり,今回の[プレスリリース]は,西武鉄道,大井川鐵道ともに,ウェブサイトには掲載されていません.そこで,[発表]を,[報道機関向けに配布]と加筆修正しました.

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関東地方は,9月に入ったというのに真夏と変らない……それ以上の暑さが続いている.
 こんな暑さでは,蒸気機関車を撮影しに行ったって,煙なんて期待できないよ,というわけで,このところ秩父鉄道にはご無沙汰となっていた.ご存じの方はご存じの通り,秩父一帯は盆地の底に位置しているものだから,夏は結構暑いのである.涼しさを求めるならば,もっと奥の小鹿野,あるいは山を越して信州まで出向かねばならない.
 そんなこともあって,東北方面へ目新しい機関車の撮影に通っていたら,熱心な読者である荒木 徹さんからE-メールが飛んできた.曰く,
秩父鉄道のC58が,形式表記なしのナンバープレートに付け替えて運転されたんですよ”
 C58 363という機関車が製造された時代…昭和19/1944年には,形式表記入り番号板の規程は既に廃止されていた.しかも戦争末期の物資不足により,代用資材によるプレートしか取り付けられていなかったはず.だから,砲金製の立派な形式入りプレートというのは,国鉄蒸機の現役時代を知る者にとっては,なんとなく違和感ある姿だったのである.
 では行かねば,と思ったら,写真も送ってくださったので,ここでお目にかける次第.

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きちんとした図面に基づいて製作されたのだろう,まさに“本物”のプレートである.C58の場合,1号機からしばらくは形式入り番号板で製造されたが,すぐに規程が改定されたので,形式標記なしの機関車のほうが圧倒的に多い.そもそも,C58のボイラーには,アルファベット+形式2桁+番号3桁という長い番号にさらに形式表記が加わった番号板は,やや重くてバランスを欠くような気がする.写真:荒木 徹

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キャブも,まさにいい感じではないか.区名札の“高”の隣に,ちゃんと運用札が入っているのが嬉しい.今のように情報が豊かでなかった時代には,この札を見て,運用を知ったものである.JRの現役機で,今もなおこの運用札を挿している配置区所はあるのだろうか.写真:荒木 徹

荒木さんの便りの最後には,このような一節があった.
“(C58の切り取りデフは)標準デフのステーを活用してのデフ換装なので純然たる門デフとは印象が異なる形になってしまいましたが,原型のナンバープレートとの組み合わせになると,ちょっとかつての志布志の424号機や427号機を思い起こさせる(とはいっても実見してはいませんが)感じを受けました.”

実は僕も志布志のC58は,あまり記憶にない.宮崎県植樹祭の御召列車運転の際に,志布志まではC11を追って出掛けているのだけれど,その奥,今は亡き志布志線には出向いていないから.C58の424や427といえば戦後製だから,363とは,ちょっと趣が異なるのだけれど,荒木さんの言わんとするところはよくわかる.なにしろこの2輛のC58は,門鉄デフを取り付けていた,数少ないC58なのである.

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広瀬川原の車両基地に隣接する土手から撮影された形式写真.あえてモノクロで掲載しているのは,僕ではなく撮影者である荒木さんのお遊び.このブログの読者で志布志のC58をご存じの方は,どのぐらいおられるだろうか.
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前面三枚窓でオデコの丸い,往年の京成スタイルを色濃く残した新京成800形が,去る7月に完全引退しました.
 本誌でも2007年1月号の京成 特集で,残り3本となった同形式をMODELERS FILEで紹介しましたが,その後始まった京成千葉線乗り入れによる他形式(8800形)の6輛編成組み替えに伴って,806編成と810編成の8輛編成 2本が残され,ラッシュ時を中心に活躍を続けていたのでした.
 最後に残った2編成16輛は,くぬぎ山工場で解体作業に入ったようですが,昨夜のこと… 外出帰りに新津田沼で下車すると,駅前のイトーヨーカドー広場にこんなものが置いてあり,びっくりしました↓
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どこからやって来たのか,客室扉より前しかない前頭部は,四隅に大きなキャスターが付けられていて,そのまま街中に転がり出してゆきそうです.
  ちょっと調べてみると,これは最近廃車されたものではなく,平成7年の完全中間車化工事で切り落とされたモハ807の前頭部で,普段はくぬぎ山工場に置い てあるものなのだそうです.8月25〜29日にで開催された“さよなら夏!ありがとう800形電車大感謝セール”の広告塔としてこの場所にやって来たので した.翌日には何事もなかったかのように,移動してしまったのでしょう…
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新京成では800形の引退を記念した,“さよなら800形記念乗車券”を7月末から販売しています.
  4枚組みの硬券で,それぞれの券には登場時,行先方向幕取付後,前面非貫通化,ライト&方向幕リニューアル後の4態の写真が印刷されており,記録としても 貴重なものです.私も昨夜吊り広告で見つけて,駅で1セット入手したのですが,今ならまだ手に入るようですので,欲しい方はお早めに!
 さて,本家京成に残る“京成顔”は3300形のみとなりましたが,こちらは更新工事によりオデコに大きな行先幕の出っ張りが付いてしまっているので,オリジナルの雰囲気を保っているのは,いよいよ小湊鉄道の200形ディーゼルカーのみとなりました↓
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写真は5月の連休に乗りに行ったときのものですが,養老渓谷の紅葉の時期にでも,また訪ねてみたいものですね.

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