モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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J75
◆第75号の主な内容(登場順)

特集 
関東の煙 今昔


 関東地区の動態保存蒸機
 八高,横浜線の思い出
 総武,成田線の蒸機
 新鶴見操車場
 大宮のキューロク
 武蔵野を走る蒸機
 首都圏の蒸機 昭和40年代前半
 昭和29/1954年 東京近郊の蒸機

とれいん
5月増刊
定価:本体3,000円+税
A4判横綴じ84ページ
(内カラー16ページ)
2019年3月20日(水)発売

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気がつけば3月も半ば.来週はお彼岸である.あたふたしているうちに世の中ではどんどん新しいことが始まっている.
 昨年の秋に落成した東京地下鉄丸ノ内線の2000系電車も,営業運転が始まった.なかなか昼間の本線での試運転が始まらないので,もうちょっと先のことかと思っていたのだけれど,2月19日に“丸ノ内線新型車両2000系いよいよデビュー!”という発表が行なわれた.
 2000系の概要については,本誌の“いちぶんのいち情報室”や,昨年10月11日のここlでもお伝えしている.けれど,地下鉄車輛としては異例ともいえる丸い顔が,東京の風景と,どのようにマッチするのか,あるいはアンマッチなのか,興味津々であった.
 そのチャンスは,今週のはじめにようやく巡ってきた.夕方からの都心での打ち合わせに出向く途上,中野坂上で僕の目の前に登場してくれた.
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3月12日16時22分,中野坂上駅に到着の2000系第1編成.ちょうど丸窓のあたりを写すことができた.

乗ってみて,02系より,一段と静かになった感じがしたのは,操舵台車のことを知っているからだろうか.
 注目していたのは,各車1ヵ所ずつのフリースペースに設けられたコンセントが活用されているかどうか…….込んでいる車内を6輛全部見て回るわけにはいかなかったが,少なくとも四ッ谷までの間,編成の牛穂半分3ヵ所では,使われている様子がなかった.ちょっと残念.
 それどころか,物珍しげに車内を見回しているのは,ただ,僕ばかり.まぁ,営業運転開始から2週間以上も経っているのだから,当たり前なのかもしれないが.中野坂上での写真でも,電車に気づいて目を見張っている,なんて人はいない,ということが判るだろう.
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四ッ谷に到着して去り行く後ろ姿を…と思ったのだけれど,向こうから02系がやってきたものだから,アングルを調整しきれず,2000系の左端は切れるし,なによりピンぼけになってしまった…….

ということで,用事を済ませて,池袋からの戻りを待ち構えることにしたのだけれど,それよりも前に,別の2000系が新宿方からやってきて,びっくり.
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こちらは第3編成だった.運行番号は51.ちなみに先ほどの第1編成は運行番号81だった.
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そして戻ってきた第1編成.西武001系ほどではないにしても,正面の窓には,いろんな風景が写り込む.眺めている分には楽しいが,写真撮影となれば,悩ましいことこの上ない.僕以外に,この電車に注目するお客さんがいた.

2000系を待っているうちに,02系を観察しながらスナップしていて,いろんなことに気づいてしまった.初期のチョッパ制御車はインバータ制御に更新し,室内も模様替えし,さらに車体外部帯にサインカーブを描いた…ということは知っていたのだけれど.
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最初からインバータ制御で新造されたグループ.平成4/1992年製の途中,第20編成からだったように覚えている.
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インバータ制御に更新されたグループ.新造時は行先表示が幕式だった.更新時にLEDに交換.よく見ると車掌側(丸ノ内線はワンマン運転だが)窓下部に二桁の数字がある.編成番号のようである.

チョッパ車のグループは,行先表示を途中でLEDに変更して新造されている.また,最初の4編成は,冷房装置は準備工事だけで,非冷房のまま落成している.これらは現在,すべて統一され……と思ったら,帰りがけに見た第33編成…東京地下鉄の編成番号では93編成…は,最初からのインバータ車なのに,編成番号札を窓に取り付けていた.

ということで,今さらながら,02系各編成ごとの特徴観察も急がなければならない.なにしろ後3年で53編成全部を一気に置き替えるというのだから.このような一斉置き換えでは,製造年次にかかわらず,検査期限の近いものから順次廃車になるのが通例だから,まったく目を離すことはできないのである.

それにしても,古い編成で30年,新しい編成は25年しか経過していない,素人考えでは,ほとんと雨にあたっていないのだから,まだまだしっかりしているはず.とはいうものの,ゲージが1,435mmだということと,集電が第三軌条ということは,他鉄道線への譲渡には大きなハンディとなるのも,また,間違いないところではある.どのようになるのだろうか.と,いつものとおり,課題がひとつ増えた,早春の夕暮れであった.

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先々週のここで,40年ぶりのJR貨物吹田機関区訪問をお話しした.その結果は,好評発売中のとれいん3月号で発表している.同行してくださった来住憲司さんと吹田の駅で待ち合わせ.この駅を利用するのも,何年ぶりのことだろうか.
 吹田の機関区へは,この駅で電車を降りて,本線と吹田工場との間の路地のようなところを延々と歩いて…木造の冷蔵車が留置してあったのを覚えている.今にして思えば,なぜ写真を撮らなかったのか…通ったものである.
 それよりなにより,駅に隣接してアサヒビールの大工場があり,数え切れないほどの有蓋車が留置されていたのも,印象的だった.そういえば,昭和40年代ごろまでの京阪神間には,ここ吹田を筆頭に,尼崎には麒麟麦酒,向日町にはタカラビール…のちに麒麟麦酒になった…,西ノ宮にはアサヒビールの工場があって,いずれも多くの貨車がたむろしていたものである.吹田と西ノ宮のアサヒビール工場は今も盛業中だが,貨車の姿は,とっくの昔に消え去ってしまった.

ところが,久し振りに吹田の駅に降りたってみてびっくり,ホームの目の前を,31フィートコンテナがゆっくりと移動してゆくではないか.
 ナニゴト? と目を凝らしてみれば,そのコンテナは貨車に載っているのではなくて,トレーラーで移動中であった.どうやら,新しくできた吹田貨物ターミナルの構内通路として,かつてのビール工場荷役場用地が活用されているようなのだ.
 しかも,工場にはその取付道路へのゲートが設けられていて,コンテナでの出荷に活用されている様子.どうせなら線路を敷いてトレーラーを介在させずに出荷すればよいのに…と思うのは,きっと“好き者の戯言”ではあるのだろうが.
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アサヒビール工場のゲート前を通過する,日通のUV48A-38070.31フィートのウィングコンテナである.“ECO LINER”という愛称がある.
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吹田操車場…ではなくて,吹田貨物ターミナル方面をのぞむ.目の前の高層ビルにはびっくり仰天だが,たくさん並んだ線路は,むしろ見慣れた吹田の風景.取付道路は急勾配を下って本線の下を潜り,ターミナル駅の荷役場へと向かって行く.ほぼ同じアングルで撮影した,40年以上前の写真もあるはずなのだが,探し出しているヒマがなかった.また次の機会のお楽しみに!
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ほどなく,今度はJOT(日本石油輸送)の31フィートウィングコンテナ,U50Aらしいのだが,番号を読むことができない……39543…だろうか.載せられているのが味の素物流のトレーラーだから,味の素の製品か原料を輸送している?東京貨物ターミナルと大阪及び福岡貨物ターミナルの間の専用とされている.

さて,無事に撮影を終えて駅へと戻ってきた僕である.駅前に見つけたのが,この風景.
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なんともシュールな情景である.鉄道の車輪が1枚だけで自立している.車軸もない.でもレールらしいものは敷かれている.“鉄道の町”としての吹田を象徴したモニュメントなのだろうか.

そして懐かしい地下の改札口からホームへと戻る.木製柱の上屋は,橋上駅を新築した際に分断されてしまっているが,それを挟んで南北は,元のままで健在だった.
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財産票を探している余裕はなかったが,戦災に遭っていないとすれば,昭和初期の複々線化,電化のころの造作だろうと思う,ちょっと古風に見える梁の組み方である.
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京都方面行きのホームを見れば,同じ構造の上屋を見渡すことができる.

吹田は,長らく緩行線の区間電車折り返し駅だった.その当時,どのホームでどうやって折り返していたのか,すぐには思い出せない.西の甲子園口だって,今では面影がほとんど失われているけれど.
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その京都方面行きホームの大阪方を眺めれば,なんと,優雅な軒飾りが残っていた.柱は古レール! しかし時は既に遅く,乗るべき電車がもう,こちら側のホームに差し掛かっていたのだった.

また,吹田駅へ行き直さねばならなくなったではないか.

※2019.03.11:西ノ宮駅隣接のアサヒビール工場は廃業し,更地になったとのこと.よって抹消.
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一昨年来,東急電鉄の田園都市線では電車の動きが激しい.その理由は,本誌の昨年4月号でご紹介した2020系電車が投入されたことにある.この2020系,3編成が落成した時点の昨年3月28日に営業運転を開始して,4月以降は新年度分の新造車も総合車両製作所新津事業所から到着し,10月からは東武線への乗り入れ運転も開始した.
 この新型車投入によって運用から外れるのは8500系であるわけなのだが,同時に2000系や8590系にも影響が出はじめ…というより,8500系はあまりにも数が多くて,ちょっと見ただけでは,どのぐらい数が減りつつあるのかが,沿線住民ではない僕には,把握しづらい.むしろ,絶対数が少ないこの2系列の方が,“目に見えて”減少していることを認識しやすかったりするのだ.
 加えて,2020系と同時に落成した大井町線の6020系の動きも,大いに気になるところだった.なにしろ営業運転に就役したばかりだというのに,早くも編成を組み替えて“Q SEAT”という有料座席指定サービスを開始すると発表されたのだから.
 そのQ SEAT車は,昨年11月15日付けのここでご紹介した通り,2020系の第6,7編成の一部として新造されて,6020系の既存中間車と新造のQ SEAT車を組み替えるということで,東急線上にお目見えし,11月13日からはシート固定状態で,12月14日からはクロスシートをセットしてQ SEATとしての営業運転を開始した.
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Q SEATとしての営業運転が始まって4日目の東急電鉄大井町線大井町駅のホーム.発車までの待ち合わせ場所が設定されていた.
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そんなこんな,そして折りしもやってきた6020系…ロングシート状態だが…を観察していたら,やってきたのが,2020系によって田園都市線から押し出されて5連に組み替えた2000系電車.

 この5連2000系と6020系で,大井町線に残っていた8500系を置き替えることになるわけである.
 ちなみに同じように田園都市線から押し出された8090/8590系は…つい昨日,最後の編成が運用から外れて長津田工場で編成が解かれたとの方が耳に入って来た…….

で,次に大井町駅を利用したのは,つい先週のこと.ホームに上がって最初にやってきたのが
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9000系……あれ?9022なんて番号は,あったっけ?

 と,車内に入ってみたら.
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1992年東急車輌,2018年東急テクノシステムの銘板が貼られていた.

2000系改め,9020系というわけである.銘板は組み替えと改番の結果ではなく,主制御装置を取り替えるなどの改造を行なった結果である.2003ではパンタグラフが4基もあったのに対して,9022は3基となっている.いろいろシステムが変更になった証しといえよう.

室内は内張りも腰掛表地も真新しい.もとの2000系がどのような色だったのか,実のところよく覚えていないのだけれど,腰掛は9000系と同じ,赤系の表地だったように思う.
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内張りも腰掛け表地も真新しく見える9020系第2編成の客室.特徴ある貫通扉の窓は元のままである.
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運転室コンソール.機器配置に大きな変更はなさそうである.
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比較のために撮影してみた9000系9108の運転室.ほぼ同じにみえるが,右端にマイクがなく,る受話器の位置が異なっている.
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ホームドアの工事たけなわで,二子玉川方面行き待避ホームには既に躯体が据えられていた旗の台では,名残りの8500系8638の編成と出会うことができた.

大井町線では,いまのところ2編成しかないQ SEAT車を,どのようにして増やすのか注目される.他線では,東横線と目黒線が相模鉄道との乗り入れ開始でどのように変化するのか.目黒線の8連化はどのように実現するのか……8連化が必要な目黒線は3000系の中間車を新造するのか3020系?を新造するのか,あるいはその両方なのか.東横線でも車輛数を増やすのかどうなのか…….これから目を離すことができない東急電鉄なのであった.
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今日発売のとれいん3月号では,JR貨物のEF66 27をMODELERS FILEとして採り上げた.なにしろこの機関車,新造後45年を経てなお東海道・山陽本線で第一線の高速貨物牽引機として活躍を続けているという,これまでの日本の機関車史にはなかった,希有の例なのである.

その撮影取材のために吹田機関区をお邪魔したのは,昨年12月19日の朝だった.
 吹田機関区を初めて訪問したのがいつだったか,というのは,とれいんの昨年10月号Coffee Cupで“あれから50年 “よん・さん・とお”のころ”と題してお話したとおり,昭和43/1968年9月29日.その頃は蒸気機関車とディーゼル機関車の第一機関区と,電気機関車の第二機関区に分かれていて,僕が尋ねたのは第一のほうだった.ただ,構内をウロウロしているうちに第二機関区に留置されているEF66を発見して撮影した写真は,レイルNo.106の“誕生から50年のEF66・EF90”のグラフ頁に掲載し,そのエピソードは昨年6月21日付けのここで記した.
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レイルNo.106に掲載した写真の隣りの齣から.僕が初めて見たEF66.左がEF66 9,右がEF66 4.画面左端にちらりと見えるのはEH10である.吹田第二機関区 昭和43/1968-9-29

この場所からもう少し先まで歩いて線路を渡れば,レイルNo.106に掲載した,西尾克三郎さんのEF90 901の撮影ポイントである.その写真には構内通路としての踏切が写っているのだが,レイルに掲載した僕の写真の右奥にも,その踏切は写っている.

吹田第二機関区はその後,EF81の撮影取材で訪問したことがあるが,それとて昭和51/1976年3月のことだから,40年以上前のことである.
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50年後の,ほぼ同じ場所.画面右奥で通路が線路を横切っているのが見えるだろう.架線柱は半世紀前に既にコンクリート製だった.もしかしたら吹田第二機関区としてこの線路が整備された時からコンクリート製なのかもしれない.架線はカテナリーではなく,直接吊架式.近年の整備でこのようになったのかと思ったのだが,写真を改めて眺めてみたら,やはり50年前から,そうだった.

ということで,概ね風景が変っていないことを確かめることができたのだが,ひとつだけ違っていたのが,電気機関車の留置線中央部に,大きな門型の照明塔が建てられていたこと.架線柱やその影と,この塔の柱の位置関係などを勘案すると,“あちらを立てれば…”ということになり,大いに悩んだ末に撮影したのが,掲載した形式写真というわけである.EF81の時はどうだったのかと写真を引っ張り出してみたら,やっぱり鉄柱が写っている.別の場所の柱のようではあるが.

かつて何度も通った第一機関区の方は,ほんとうに大幅に変化していた.それは,扇形庫が跡形もなく消え去っていたこと.もちろん話には聞いていたのだけれど,目の当りにするのは初めてで,最初のうちはどこに扇形庫があったのか,全く見当がつかなかった.
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ようやく“ここあたりだろうか”と思った風景.画面奥のノコギリ屋根の建物が第二機関区の検修庫である.このポジションで回れ右すると,現在の吹田機関区の庁舎がある.

かつての吹田第一機関区の事務所は,扇形庫…転車台の真向かいにあったように思う.だとすれば,現在の位置ではない.第二機関区のそれは,なにしろ訪問したことがないのだから,どこにあったのか判らない.

その,現在の機関区庁舎の玄関先に動輪を発見した.壁にD52 6の第4動輪という表示がある.
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D52 6の第4動輪.いつごろからここに置かれているのか.ずっとここにあったのではなくて,以前はJR西日本の吹田工場(吹田総合車両所)で保管されていたものであるという話しも聞こえて来たが.

調べてみたら,この機関車は昭和19/1943年4月の浜松工機部(浜松工場)製で,新製配置が稲沢,その後は小郡機関区へ転じて昭和41/1966年に廃車となっている.
 もしかしたら,吹田第一機関区や鷹取工場で使われていたり修繕を担当していた機関車に振り替えられていたのかもしれない.そのあたりの真相究明は可能だろうか.
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輪心には棒状の刻印が何本か並んでいるが,文字のようなものは読み取ることができなかった.車軸にはD52 6と読むことができる刻印がある.一方で,シ18-9というのもある.これは一般的には昭和18年9月製を示す.

各部品が機関車の落成日よりも相当以前の製造であることは,現代でもごく普通のことである.だから,そういう意味では,なんら不思議はない.

ということで,40数年ぶりの吹田機関区での取材成果,じっくりとお楽しみいただければ幸いである.

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