関東地方では既に梅雨入りした.時が過ぎるのは……という繰り言は,やめよう.

昨年1月に刊行したレイルNo.97“多摩川をめぐる鉄道”で,二子玉川周辺の思い出を著された関田克孝さんが,今度は,こどもの国線の開業から現在までの50年間に加えてその前史までを語り尽くしてくださった.それがレイルNo.102のメインテーマ.
 こどもの国線といえば,旧型電車なのにカラフルな出で立ちの電車が専用で走っているというイメージが強い.それはもう40年近く前のことなのだけれど,なんだか,今でも長津田の駅に降り立つ度に,“あの”電車がやってくるような錯覚を起こす,僕である.
 現在は横浜高速鉄道が保有する,営業距離わずか3.4kmの,こんな短い路線に40頁近く費やすことになろうとは,昨年晩秋の渋谷駅近くで原稿をいただくまでは,僕も想像できなかった.でも,家に持ち帰って拡げてみたら…….結果はご覧の通りである(まだの方は,ぜひ!).
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こどもの国線といえば,やっぱりこの電車.周囲の線路も情景も大きく変化している.昭和45/1970年10月 写真:関田克孝

 花を添えてくださったのは,東急電鉄田園都市線が開通した頃の沿線点描を,現在の姿と重ね合わせた早川昭文さんの“ハイカラ路線 田園都市線”.そして,昭和54/1979年3月に田園都市線に走った注目編成を記録しておられた三浦 衛さん.
 昭和50年代以降の長津田周辺の変貌振りは,僕自身も実際に見てはいるのだけれど,東京地下鉄だけでなく東武鉄道の電車までもが頻繁にやってくる現代と異なり,あの頃はステンレス一色の8000系とあっては(失礼!),撮影のためだけに出掛けることもなく,ただただ時間が経ってしまっている.
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この頃の田園都市線の沿線写真は,僕が知っている範囲では,それほど多く残されていない.そういう意味でも貴重なワンカット.現在のあざみの駅のたまプラーザ寄りを走る8000系.昭和50/1975年9月 写真:早川昭文

でも,今考えれば,僕が大好きな青ガエルこと5000系も走っていたのだから,何度か出掛けていても不思議はないのだけれど.そのあたりを几帳面に記録しておられたのが,三浦さんというわけである.
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こんな編成があったのは知っている(見ている).でも,こどもの国線での応援にも使われたというのは,初めて知ったこと.長津田 昭和58/1983年4月3日 写真:三浦 衛

なお,表紙の背文字及び本文の一部に“子供の国”という表記が交じってしまったが,もちろん正しくは“こどもの国線”であり,“こどもの国協会”である.この場を借りて訂正します.

さてスイスのゴッタルト峠.1974年の初めての欧州,初めての外国旅行で1日を費やして撮影に出向いたことは,いつだたかどこかで記したことがあるかもしれない.
 欧州大陸を南北に貫く大幹線であり,同時に輸送力の隘路でもあったこの峠道に,新しいトンネルが建設されていて,昨年12月に開通したというニュースは,みなさんもご存じだろう.
 佐藤博紀さんが,その開通の直前に現地を訪問して生き生きした写真とレポートを寄せてくださった.
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ヴァッセン(WASSEN)駅の前後に展開するダブルオメガとループ線の中段を行くインターレギオ.2016年11月2日 写真:佐藤博紀

スイスの情景って,なんだか鉄道が開業して以来,ほとんど変化していないのじゃないかと思うこと,しばしばなのだが,このヴァッセンの周辺もそのひとつ.特に上にお目に掛けた写真の角度だと,20年ほど前に開通した高速道路が見えないから,なおさらのこと.
 でも,やっぱり確実に変化しているわけで,その変らななさと変わりようを,じっくりと観察していただければと思っている.

その気になれば見ることができたはずなのに…という鉄道とその情景は,数え切れないほどある.尾小屋鉄道もそのうちのひとつ.尾小屋だけではなくて,北陸から新潟に掛けての国鉄線から分岐していたいくつもの小さな私鉄たち,ほとんど訪問できなかった.
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特別運転の日,駅を発車する5号機.本文では,情報過多ともいえる現代では得られないだろう,撮影者である田辺さんと,紹介者である風間さんとの奇妙なすれ違いの想い出などが語られている.

これらに加えて,定例の“公式写真見る国鉄客車”…今回は三等寝台車など,そしてさらに,“私の100”に対して“私も”と寄せられたC58 100やC59 100,オハ62100の写真もご覧いただくことができる.

既にNo.103の編集も追い込み段階.時間が経つのは…….
お楽しみに!