昨日10月25日,東京の城南方面に用事があって出掛けることになったのだが,たまには気分を変えて,いつもと違う経路で行こうと思い立った.
 いろいろ思いをめぐらせた結果,久し振りの7000系増備が明らかになった(本誌11月号の“甲種・特大運行情報”をご覧ください)東急線経由にと決めたのはよいが,さてでは,目蒲線か池上線か….あ,今は多摩川線だ.
 でも,多摩川線は,このところ利用する機会が続いている.となれば…などと考えているうちに山手線の電車は渋谷を過ぎ,目黒も発車して気がついたら五反田.ということで必然的に池上線の乗客になったわけである.

かつての大阪西九条における阪神電車とか,東京でいえは都営地下鉄の西高島平とか,九州の筑豊電鉄筑豊直方とか…唐突に終わる高架橋の元祖だと,山手線五反田駅のホームに立つたびに思う,僕であった.
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立派な駅ビルが建っているところは西九条とか西高島平とか筑豊直方と大きく異なる点.でも,延伸計画があったことに,違いはない.現在その駅ビルはお化粧直し中.


西九条の場合は,紆余曲折があったけれど阪神なんば線として他は未成線のまま.五反田の場合は,白金から品川方面への路線が構想されていたのだという.実現していれば,山手線の内側の鉄道網は,今の現実とは大きく異なったものになっただろう.
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急勾配と急カーブという大崎広小路からのアプローチは,上を走る電車が代替わりしても変わることのない光景.やってきたのは,一時期の東急電鉄各線で見られた“歌舞伎顔”の7700系7714編成.


7700系電車といえば,日本で初めて量産されたステンレス製電車である7000系を母体とし制御装置をインバータ化,併せて内装の更新と冷房装置取り付けを実施して誕生した電車である,ということは,ここの読者の皆さんなら既にご承知のことであろうか.
 昭和62/1987年から平成3/1991年に掛けて全部で56輛が生まれ,池上線と目蒲線で使われた…当初は大井町線でも使われたというが,僕は記憶がない.
 目蒲線のうち目黒と多摩川園前(現在の多摩川),多摩川と蒲田に系統分離された際に編成を短縮,6輛が十和田観光電鉄に譲渡,36輛が残った.そして7000系の新造や1000系改造車が投入されるにつれてさらに数を減じて,今は6本18輛が残るだけとなっている…というのがこれまでの経緯.
 そして来たる11月,3輛2本6輛が追加新造されることが明らかになったわけである.となれば…….
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五反田で“変らない”と書いたものの,ホームは全面更新中で,開業時のままかもしれない木造上屋は間もなく姿を消す.他の駅でも同様に工事が進んでいて,近代化の波はこの路線にも押し寄せていることを知った.けれど,洗足池はまだ手つかず.

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振り返れば架線柱は高圧送電線兼用.これも開業時からの設備だろうか.やってきたのは1000系1021の編成だった.


本当は,もっとあちこちの駅で降りてみたかったのだけれど,あいにくの雨模様.ということで,そのまま蒲田へ直行,駅構内と周辺で残りの7700系を見てみようという趣向.
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多摩川からやってきたのはトップナンバー.7000系のトップナンバーだったわけではないが.腰の赤いストライプが,7700系の標準.

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続いては五反田からの7905編成.トップナンバーと同様,改造当初は4輛編成を組んで目蒲線で使われていたグループのうちの1本.

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そしてこの日最後の7700系は五反田からの7906編成だった.


ということで,3時間ほどの訪問で6本中の4本を見ることができた.いずれも丁寧に手入れされていて,なおかつ,前照燈と尾燈が一帯のケースや7000系時代の急行札掛けなども健在で,なんだかちょっと,40年ほどタイムスリップした気分に浸ってしまった.
 あとの2本,7903と7912のうち,7903は昭和38/1963年製だという.近いうちにまた,観察に出向きたいと思いつつ,打ち合わせ先に向かう僕であった.