昭和47/1972年夏のことである.期末試験が終わってから終業式までの間の試験休みを利用して北九州から西九州を一周した.いつものように京都始発の夜行急行“天草”の自由席に乗って小倉に降り立ち……と,思っていたのだが,ネガを見返してみたら,山陽本線の小月付近でスナップした朝景の前方に写っているのは,なんと20系ではないか.さて,特急寝台車に乗る原資はどこから得たのか……そして列車は“あかつき”かそれとも“彗星”か…?いやいや,今はそれを詮索するときではない.とにかく小倉に降りたったのは間違いなく,その日は西鉄北九州線の電車や筑豊本線の蒸機列車などを撮影し,門司港発の長崎行き夜行列車に乗った.

目的は長崎電軌の電車である.とにかく浦上の車庫で木造電車を撮影したい!
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浦上の車庫で休む木造車162.もう1輛の168を,組立暗箱で撮影することができた.昭和47/1972-7-14

車庫の皆さんのご厚意によって,その願いは,なんとか叶えられた.前年の暮れに買ったばかりの組立暗箱を展開して撮影していたら,同好の士…といっても随分歳上の…がおられるのに気付いた.名刺を頂いてビックリ.昭和42/1967年1月号の鉄道模型趣味(TMS)誌の表紙を飾った広島電鉄車輛群やレイアウトの作者として名前を覚えていた,越智 昭さんだったのである.

しばし一緒に車庫風景を撮影し,再会を約して,各々の次の目的地へ向かったのだが,この出逢いが,ぐるりぐるりと巡り回って,昭和50/1975年の“とれいん”に吉川文夫さんと一緒に作品を発表してくださったり,昭和52/1977年にうちの会社からの高松吉太郎さんの“東京の電車道”刊行(その後大阪と京都へ続く),“レイル'80 Summer”での越智さん撮影による“海軍呉工廠の機関車たち”,服部重敬さん執筆と撮影による“北陸の私鉄”を発表していただくことができた,遠いきっかけとなるということは,お互いにまだ知る由もない.だって,こちらはまだ大阪の一介の高校生なのである.

いつもながら余談が長い.この時の長崎訪問では,さまざまな電車との出会いもあったわけだが,木造車のほかに印象に残ったのが,150番代の電車だった.
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車庫前の停留所に停車中の152.他の電車たちと比べ,やや細身で屋根が深く,腰の高いスタイルが気になる存在だった.隣に写っている215という電車も,正面窓の上隅を三角形に切り取った表情が独特だった.昭和47/1972-7-14
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154のサイドビュー.全長を11mに短縮し,しかも中央扉を完全に撤去して鋼体化された結果の姿であるとは後に知ったことだが,予め知っていたとしても,信じられない出来栄えである.昭和47/1972-7-14

150番代が箱根登山鉄道小田原市内線から昭和32/1957年に譲り受けた電車で,200形は長崎最初のボギー車だという程度の知識はあった.けれど,さらに興味をもったものだから,大阪へ帰ってから,交通科学館の図書室で古い鉄道ピクトリアルなどの資料を繰ってみた(インターネットなんて,想像もできない時代である).
 150番代の電車は5輛あって,さらに遡れば,151と152は王子電軌から東京都電を経て小田原へ,153から155の3輛は玉川電車から小田原へ移籍したということだった.長崎入りに際しては,いずれも木造車体を鋼体化し,長さを11mに短縮するという大工事が施された.特に153形と呼ばれることもある153~155は,3扉だったのを2扉にしたため原形の面影は全くなくなったという.

4年後の昭和51/1976年に長崎を再訪した.その間に木造車はなかば観光電車化し,162の車体が緑一色に変更されていた.
 150・153形は,この時は151が162と並んだ状態で留置されていたのを撮影している.
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162と並んだ151.側扉が開いているが,長崎へやってきてから車のステップが1段に改造されていることの証明となっている.昭和51/1976-7-21

162はこのあと,昭和54/1979年に廃車となったが個人が譲り受け,長与町の“あや幼稚園”に寄贈の上で保存され,現存している.

150形は1980年代に入ってから新型車に追われるように順次廃車となり,151と152が事業用として残り,そして151と152の番号を振り替えて(いずれも路面電車同好会の文献による),二代目ともいえる151が,箱根登山鉄道時代の塗色を再現した上で動態保存車的に残された.
長崎3.19.9
箱根登山鉄道時代の塗色を再現した151.車体頂も違うし側窓の幅や数も異なっているが,深い屋根は小田原時代のままであり,正面の面持ちも往年の香織が残っているような気がする.浦上車庫 平成16/2004-4-26 写真:服部重敬

そして元熊本市電の601や元仙台市電1051,東京都電701とともにイベントなどに際して多くの人から注目される存在となったが,平成31/2019年3月末をもって惜しまれつつ廃車となった.

廃車後は,アスベストが使われている可能性があるので譲渡はできないとのことで解体やむなしとされていたが,調査の結果,アスベストが存在しないことが判明し,保存が可能となった.
 そこで今年の春,小田原市在住の人々を中心として,いわゆるクラウドファンディングによる資金集めがスタートした.保存場所も確保されているという.
 興味と関心のある方は,

小田原ゆかりの路面電車。64年越しの里帰りプロジェクト

をご覧いただき,支援してくださればと思う.

最後に,箱根登山鉄道から提供していただいた小田原での現役時代の姿をお目にかけて,本日の締めくくりとしたい.撮影は宮松金次郎さんである.
S290324-市内線202-緑町
緑町付近を走る202.長崎の151(二代目)である.昭和29/1954-3-24 写真:宮松金次郎 提供:箱根登山鉄道
S290324-市内線202-市役所前
市役所前での202.正面窓の幅は中央だけ広くて後の姿と異なっているが,それでも面長の印象は変らない.屋根の深さもこの電車の特徴といえる.昭和29/1954-3-24 写真:宮松金次郎 提供:箱根登山鉄道

小田原への凱旋里帰りの日が,待ち遠しい.


※:2020.08.28:タイトル一部修正
※:2020.09.01:車号一部修正