今年は伊豆半島東海岸に縁が深かった.JR東日本の特急“踊り子”交代劇にともなう新旧車輛をMODELERS FILEで紹介しようということになったからである.

伊豆半島へ初めて行ったのは昭和38/1963年の夏休み,家族旅行の途上であった.初めて東京というところを訪問したこの時のことは別の機会にも,何度かお話したことがあるかもしれない.
 伊豆急は開業してからまだ2年.あのハワイアンブルーの電車のことは,なにも覚えていない.だから,行ったのは伊東までで,伊豆急行線内には足を向けていないのかもしれない.どこかに片付けてあるはずのアルバムを見れば,全ては判明する,はず,だが.

その後は昭和40年代末に会社の着物部門との合同社員旅行で伊東の保養所に行っただけで,昭和50年代末の家族旅行まで間があく.その後も,伊豆高原での報道公開には毎年のように通い続けてはいるものの,日常の風景は伊東の親戚訪問のついでにスナップはしているものの,貨物列車や100形などの本格的な走行写真は,ついぞ撮影しないままに終わってしまった.

そんな中で,伊豆稲取と片瀬白田と,そして川奈の鉄橋…ちゃんとした名前は知らない…は,何度か訪問したことがある.
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僕にとって初めてのデジタル一眼レフとなったニコンD200の初撮影は,川奈の鉄橋であった.2007年4月21日.やはり親戚訪問の帰り道,だったと思う.

なんだか色調が気に入らなかったのだけれど,このブログに掲載しようと思ってニコン純正のViewNX-iというソフトウェアでホワイトバランスを“晴天”に,ピクチャーコントロールを“風景”に変更しただけで,見違えるように,引き締まってしまった.
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続いては2011年の大晦日,朝である.被写体は,ハワイアンブルーのリバイバル塗装をまとったリゾート21.でも主目的は,やっぱり親戚訪問であった.

そして今年.冒頭で記した理由によって,2月の251系に始まり4月のE261系,そして今回のE257系2000番代と伊豆詣でが続くことになった.

前もって撮影場所をいろいろ研究して思案をめぐらすのは昔から変らない.ただ,かつては1/25000地形図がほとんど唯一の頼りだったのが,現代では衛星写真が日常的に利用できるのが大きな変化といえる.まぁそれでも,実際に出向いてみたら線路脇の下草が生長していたり周辺で道路工事や建物の建築工事が進行中であったりということも,多々ある.だから,現地へ到着してみるまでヒヤヒヤである.
 日射しの加減も大切.時刻表と時計と雲の動きを睨み合わせながらドキドキドキドキ.曇り日ならではのポイントで待っていたら,お目当てがやってくる直前に雲が切れて完全逆光になってしまう…こともある.
 狙っていた列車が来ない.これも天候と同じく,だれをも責めることができない,大切で決定的な要素である.

これらすべての条件がクリヤーされて列車が見えて……まだ安心はできない.人や車や虫や鳥は,いつ,どこへでも現われる.パトカーが御召列車と併走してくることすら,ある.それは幸い,僕自身の体験ではないけれど.
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久し振りに訪問した川奈の鉄橋は,谷間の樹木によって上路トラスの大部分が隠れてしまうようになった.その中の1本は飛び抜けて育ち,架線柱より高くまで伸びていた.おまけにこの日は東海道本線に障害があってダイヤが乱れていた……写真は上り“スーパービュー踊り子”の直前に富戸へ向かって行った普通電車.もう,ギリギリである.2020-2-21

この撮影ポイント,飲食店の駐車場だったのが,建築関係の事務所の駐車場になったため,余所者が客として立ち入ることはできなくなった.この時は事務所の方が承知してくださったからよかったのだけれど,大勢が同時に押しかけたら,やっぱり迷惑だろう.
 ということで,8月の訪問では,誰でもいつでも自由に撮影することができる,国道の道路端でポイントを探してみた.
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真夏の午後3時頃だから,太陽が山に隠れる心配はない.しかし問題は谷間に“生える”たくさんの電柱である.2020-8-21

あれほど樹木の背が高くなっているのに,それを上回る生長ぶり……いや,そんなことは冗談にもあり得ない.昔からのポイントは,やっぱりよく考えた末の選択の結果なのだということを再認識させられた.
 でもトラス桁はよく見える.さて,どっちを採るべきか.
 丹念に時間をかければ,もっとよい角度が得られる可能性はある.精進せねば.