先週,とれいん2月号と同じ頃に,レイルのNo.97が全国有名模型店や書店で発売された.このところずっと,年4巻のペースで刊行している“レイル”だが,テーマはその時々でさまざま.EF65 1000番代EF66のような,きわめてメジャーな題材を扱うこともあるけれど,切り取り方は“濃やか”を心掛けているつもりである.

今回の第一テーマである“多摩川”だって,巻頭秘湯,とりわけ東京や神奈川の人にとっては,極めて身近でメジャーな存在であろうことは,稿と写真を寄せてくださった早川昭文さんによる全体を敷衍した構成から,関東地方以外の皆さんにも理解していただけるものと思う.
 けれど歴史を掘り下げた稿は,かつて道路併用橋だった東急電鉄二子橋と,付随して“玉電”こと東急玉川線に的を絞って,地元の関田克孝さんの思い出とお写真をよせていただいた.

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関 東地方以外の人には意外に思われることが多かったのが,青梅線の線路が,ほぼ全線に亘って多摩川沿いに敷かれているという事実.早川さんと僕が再認識した のが,その両者をからめて写真を撮影することが難しいということ.ほぼ唯一のポイントが,ここ.川井の駅の対岸である.平成26/2014年1月3日 写 真:早川昭文

二子橋の上を電車が走る風景を実際に見ることが叶わなかった僕である.二子玉川園駅の,大井町線と玉電の位置関 係も,実はよく理解できていなかった僕である.それが今回,巴川享則さん撮影の写真の中に,大井町線3504が溝ノ口に向けて発車して行く写真があり,よ うやくにして把握できたのだった.
 巴川さんといえば,表紙の写真は,今の二子橋からは想像もつかないのどかな風景で,特にお願いして使わせてい ただいたものである.提供してくださった関田さんからも“表紙のクハ3854号は,川崎車両製唯一の前面貫通幌取付け車,端正な風貌の持ち主で,私の好き な車輛でした”というコメントをいただいた.

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これは,関田さん撮影の,併用軌道時代最終期の二子橋.旧型車だけではなく,東急の初期ステンレス車,5200,6000,7000も4輛編成で併用橋を渡っていたというのが,僕には驚きだった.昭和40/1965年11月 写真:関田克孝

今回は路線が主役なので,電車そのものの解説は簡単なものに止めたが,ほかにも,僅か2輛だけしか存在しなかった“バス窓”の3800形も,さりげなく登場しているから,東急の旧型車ファンには,お見逃しなく…….

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目 蒲線の沼部と多摩川園前の間を行くデハ3800形3801.東急電車に詳しい友人によれば,2輛目は,このあとの更新工事で中間車化されてしまう3802 で,蒲田方先頭車は,のちに名鉄に譲渡される3750形であろうとのこと.昭和48/1973年4月29日 写真:早川昭文

第2のテーマは,倶利伽羅峠.これまた,普通なら昨年春の巻で採りあげるのが“常識”なのだろうが,ほぼ1年を経過してから,というのが,これまた“レイル”らしいといえばいえるかもしれない.
 筆と写真は,西 和之さん.在来線の新線切替えはもちろんのこと,新幹線の“未成”についても,きっちりと記述してくださっている.ほとんどの北陸新幹線関連の著作で触れられていない歴史的事実も,西さんのおかげで,きっちりと記録することができたわけである.

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なんともシュールな光景.旧線上にあった九折トンネルの,半分土に埋まった坑口の上に建設された国道の高架橋…….平成27/2015年4月2日 写真:西 和之

西さんの,倶利伽羅峠探訪記に添えられた,国鉄時代最終期の北陸本線客車列車の旅も,すでに30年の歳月を経て,とりわけ直江津駅前の様子など,目を見張る変貌ぶりに歳月の経過を自覚させられた.

そ して今回の締めくくりは,田邉幸男さんのカメラによる,C62牽引“ゆうづる”の頃の常磐線大型蒸機たち.C62が常磐線で特急を牽くというニュースが ファンの心を躍らせてから,半世紀が経過しました.田邉さんもそのうちの一人だったわけですが,とりわけ最後のころには毎週のように通い詰めたとのこと で,その情熱を,写真と文章で蘇らせていただきました.
 迫力ある写真を,存分に堪能していただきますよう.

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最後の最後で,ようやく“晴れ姿”を掌中にできた,C62牽引“ゆうづる”.夜ノ森付近 昭和42/1967年8月12日 写真:田邉幸男