昨年10月下旬に発刊のレイルNo.96
 表紙は“ダイコン”ことボールドウィンの9200.三菱大夕張鉄道で働いていた頃の姿である.撮影は倉地光男さん.
  倉地さんといえば,ウチの社の刊行物の古くからのお客様なら,南大東島の機関車を撮影されたベテランファンであることをご記憶だろう.今回は,昭和 37/1972年夏の北海道旅行で撮影された同鉄道と,そこへたどりつくまでの様子を披露してくださった.何気ないスナップの中に,半世紀前の夕張の様子 が甦る.

 本文の最初は,そのダイコンに関する貴重な資料と写真に加えて,三菱大夕張鉄道の各駅配線図や列車運行図表,ストラクチャーなど を,模型製作の参考にもなるように,できるだけ大きく掲載した.提供してくださったのは,三菱大夕張鉄道保存会会長の奥山道紀さん.ふだんは“とれいん” に保存会の活動の様子などを定常的にご案内くださっている方である.
 僕が知っている現役の北海道の炭砿関連鉄道はといえば,夕張鉄道の鹿ノ谷を垣間見ただけであり,どの文章も写真も図面も,目に新しいものばかり.いつも以上にワクワクしながら編集作業を進めたことである.

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大夕張近くの宝沢橋梁を渡る昭和15/1940年頃のダイコン.鉄道省から乗り入れの客車による“すずらん刈り列車”.立派なトレッスルに目を見張らされる.

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木造ながら4線の,立派な大夕張炭山の機関庫と転車台.庫の中におさまるのが自社発注のスローピングバックテンダー付き9600であることから,その寸法を類推できるだろう.写真2点:“山史・三菱大夕張鉄道沿革史”より

続いてはぐっと南下して神奈川鶴見の日本鋼管鶴見製鉄所.僕はここも,現役時代は全く知らない.
 紹介してくださったのは田邉幸男さん.なんと,構内へ立ち入って事務所前での撮影を敢行したというのだからすごい.そこで撮影した4輛の古典ロコと2輛の協賛工業製機関車について,思い出と来歴などを語ってくださった.
 せめて,と思い,かつての姿を偲ぶために暑い最中,浅野駅周辺を探索して今昔比較を試みた.

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鉄鋼河岸と呼ばれたらしい,製鉄所脇の運河に設けられた岸壁で入換作業にいそしむのは協三工業製のCタンク.今では,機関車はもちろんのこと,画面奥に見え る天井クレーンも対岸のガスタンクも,みんな存在しないが,大きく写っているガントリークレーンは現役だし,地面にはごくわずかにレールが残されているこ とを確認することができた.写真:田邉幸男

日本鋼管鶴見製鉄所では,風間克美さんが,弁天橋駅のホームから撮影したクラウスとボールドウィンの写真を提供してくださった.ここも,そのつもりで観察すれば,辛うじて面影を求めることはできるものの,半世紀の間に,周辺の光景は一変してしまっていた.

締めくくりは信楽線.タイミング的には前回,河田耕一さんの信楽線を掲載したNo.95への掲載も不可能ではなかったものの,せっかくならばできるだけ大きく扱いたい,また,たくさんの写真を使いたいと考えて,今回まで待っていただいた稿と写真である.
 ひとつは,昭和47/1972年という早い時期に,“混合列車”!を走らせた鉄道友の会京都支部の鈴木康夫さんによる46年前の思い出話.
  もうひとつは,先年亡くなられた中島忠夫さんが残されたネガから見い出した昭和36/1961年2月の信楽線の情景.最初は信楽線の風景だけを使わせてい ただくつもりだったのだけれど,ネガを拝見していたら,その日1日の行程を全部再現したくなって,思わず14頁にも及ぶグラフを組んでしまった.それでも 1枚ずつの写真をもっと大きくするのとどっちがよかったのか,いまだに悩んでいる次第.なにしろ,亀山のC51や名古屋のC57などが,みんな美しい姿 で,活き活きと活躍しているのだから.

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夕暮れ前の信楽駅前風景.右手に本屋,左手に貨物上屋,その間に入換中のC11,そして前景に日野のボンネットバス…….絵に描いたような日本の田舎の駅前 風景ではないか!これからも,記録重視の写真や資料とともに,このような情景も,できるだけたくさん収録してゆきたいと思っている.写真:中島忠夫

……と,うっかりしていたら,来週にはもう次のレイルNo.97が出来上がってくる.ともども,ご覧いただけますよう,心からお願い申し上げます.