大井川鐵道を訪問したことのある方なら,新金谷駅前の“プラザロコ”という施設があるのをご存じのことと思う.
  その館内には2輛の蒸気機関車が保存されている.奇しくも,2輛ともにドイツ・コッペル製で,1輛は大正13/1924年製の元日本ステンレス直江津の 1275形機関車,もう1輛が大正10/1921年製の“IZUMO”である.いろいろな経緯を辿って大井川に揃ったのは,約40年前のことになる.

1275が大井川へ姿を見せたのは昭和47/1972年秋,片や“IZUMO”がこの地に到着したのはその5年後の昭和52/1977年夏のことだった.
 その直前までは,栃木県の羽鶴にあった日鉄鉱業の駅構内で3年間を過ごしていたこの機関車,さらにその前は,遠く石川県の七尾市内にあった住友セメント(現在の住友大阪セメント)七尾工場の敷地内で保管されていた.その前はといえば,昭和4/1929年の電化まで,島根県の一畑軽便鉄道で使われていた機関車.ドイツから購入したのは,この一畑軽便鉄道である.

住 友セメントの七尾工場は,大正15/1926年に七尾セメント株式会社として創業した古い会社.そこでいつごろまで使われていたのかはともかく,昭和49 /1974年秋に住友セメントから七尾工場を閉鎖するに際して構内を整理していたら蒸気機関車を発見したのだけれど,欲しい人はいませんか?という連絡が あったのだった.

そこで,積込み作業に立ち会ってこいといわれ,駆け付けたのが昭和49/1974年11月18日のこと.“とれいん”創刊を直後に控えて忙しい時期だったはずなのだけれど……

前里-20151203-01
この建物に,のちに“IZUMO”と名付けられるコッペル機が保管されていたのだった.まるで線路など見えない,ただの倉庫である.写真:前里 孝

前里-20151203-02
ブルドーザーで引き出されつつあるコッペル機.やはりレールは見えない.写真:前里 孝

前里-20151203-03
構内にたたずむコッペル機.キャブが取り外された状態だとはいえ,なんとも小さいことがよく判るだろう.写真:前里 孝

この機関車は,このあと,トラ40623に積み込まれて日鉄鉱業の羽鶴に向かった.そこでも僕が出迎えることになるわけである.
 そして栃木の山奥で数年間の眠りについた後,大井川鉄道に預かっていただくことになったのである.
 大井川では完全に修復され,なんと動態への復活を果した.千頭の構内で運転体験で使うために.そしてあろうことか,昭和59/1984年には井川線の井川駅まで走行したのである.
 その数年後には道路拡張により,体験運転で使われていた線路がなくなってしまって,静態に戻ることになるのだが,引き続いて大切に預かってくださり,新金谷駅前に“プラザロコ”がオープンするに際して,屋内で保存されるようになり,現在に至っているわけである.

さて,なんで唐突にこの機関車の話題が?といぶかしく思う人があるだろう……というか,そういう人が,ほとんどすべてではあろう.
  実は昨日,大井川鐵道から“IZUMO”の清掃とクリスマスの装飾をしたいのだけれどどうでしょう”という連絡があったのだ.この機関車のオーナーである 平井に可否を確認したところ“もちろん 結構ですよ”という返事があって,実現した姿が,次にお目に掛ける写真なのである.

前里-20151203-04
綺麗におめかしした“IZUMO”.なんとも愛らしいではないか.もちろん期間限定である.大井川を訪問の折には,ぜひとも“プラザロコ”にお立ち寄りいただきたいと思う.写真:大井川鐵道

前里-20151203-05
煙室扉には,とてもセンスのよいリースが懸けられた.後ろに控えるのが日本ステンレス直江津で働いていた1275号機である.写真:大井川鐵道