3月14日に実施予定のダイヤ改正で,上野東京間の回送線が復活する.でも,かつての線路の多くは新幹線に転用されたから,神田界隈はこの数年,新幹線の線路上に新たに高架橋が構築されるなど,新線建設の様相を呈していた.
 それが昨年の秋にはレール締結式が行なわれ,8月にはE233-3000番代や185系を使った試運転が始まって,開業が近づいたことが身近に感じられるようになった.年末あたりには,各駅の表示も準備をほぼ終えた様子.
 ちなみに直通列車の愛称は“上野東京ライン”.宇都宮や前橋と沼津を結ぶ長距離普通列車を設定.常磐線の列車は特急“ひたち”を含む多くの列車が品川発着となる.結果,上野駅のホームの使い方は大幅に変更される.改正後の動きに興味津々.

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そんな今日,上野方面に出掛ける用事があったから,まだ撮影していなかった185系を使った試運転列車を記録すべく,御徒町の駅で待つことしばし.土砂降りの中をやってきたのは,元新前橋電車区用ブロックパターン塗装では唯一の10輛編成である,OM07編成だった.

こ の線路,通称を“回送線”とはいうものの,昭和20年代には常磐線方面の通勤列車がC62などの牽引で直通していたし,後年でも,有名なところではキハ 181系の“つばさ”や181系電車の“あさま”,157系電車の“白根”など営業列車も数多く走っていた.僕も,上野方面から東海道へ継送される荷物車 を牽引するEF58を捉えたりしている.
 新幹線の建設に伴って上野から秋葉原付近までは留置線として,東京駅から神田方は機関車の引き上げ線として残るだけになった.
 でも,実は新幹線の高架橋は,当初から今日の姿を想定した構造となっていた.その“先回り”があってこその“新・回送線”…東北縦貫線である.

鉄道の施設に“先回り”を施す例は古今東西,数多く存在する.
 子供のころには,城東貨物線の淀川鉄橋…通称“赤川の鉄橋”が,線路は単線なのに複線用なのが,解せなかった.半世紀を経てようやく活用されることになったわけだが,使われないまま存在しつづけている例も,枚挙に暇がない.
 実は山手線にもそんな施設がある.いや,存在した,というのが正しいが.
 それは田町と品川の間,田町電車区構内にあった作りかけの高架橋.昭和10年代に京浜間の輸送力増強を目的とした線増の計画があり,そのために建設されたものであり,当時の計画での急行線が山手線を乗り越すことになっていたのだという.
 この高架橋,田町電車区の構内にあって近づき難く,何度かの取材のための電車区訪問時でも,撮影のチャンスに恵まれなかった.
 それが一変したのは,田町電車区…最後は田町車両センター…の廃止.廃止とともに周囲の建屋が撤去され,留置車輛もなくなったために電車の窓から全容を観察することができることになったのだった.それに気づいたのは去年の7月のことだった.

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去年7月10日に山手線の電車から見た,未成高架橋の状態.地平に近い部分は樹木に覆われていて,まるで往年のベルリン高架線.

田 町電車区の跡地は,新駅建設を含む大再開発計画があるから,そのままでは済まないだろうと思っていたら,案の定,昨年12月はじめから周囲に足場が組まれ て解体が始まり,そして元旦には半分ぐらいが姿を消し,そして今日,雨粒越しに撮影を試みたのだけれど,ほとんど跡形もなく解体されていて,既に場所の特 定が難しく,2往復もするはめになったのだった.

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高架橋はどこにあったのだろう.目印は,画面左端に見える立ち木.もう数日もすれば,本当に記憶にだけ残ることになるだろう

こ の再開発,巻き込まれているのは田町電車区だけではない.東京機関区も品川客車区も,ともに何年も前に姿を消した.品川駅も,少しずつホームが移設される など,姿を大きく変えつつある.すべてをひとりで記録することは,とても叶わない.いずれは皆さんに記録を持ち寄っていただいて,変貌振りを纏めたいと 思っているのだけれど.さて.