今年も,恒例のドイツ・ニュルンベルクでのシュピールヴァーレンメッセで発表された欧州各メーカーの新製品情報(今年も内容充実です.お楽しみに!)を纏めていたら,暦は瞬く間に3月となった.
 2月の関東地方は,二週続けての大雪に見舞われ,2月9日に予定されていた富士急行の“パノラマエクスプレスアルプス”リバイバル塗装編成さよならイベントはあえなく中止.2月13日にレポートした横浜でのカメラショー“CP+”も,土曜日は開催中止の憂目にあってしまった.
 その他にも予定されていたイベントが中止になったり延期になったりで,僕の仕事でも,大きく目論見が外れ,その収拾に駆けずり回ることとなった……というのは楽屋裏のお話ではある.
 そのようなことで新しい話題に乏しい今週.この機会に,昨年12月19日に“ネジリマンポ”を紹介したまま中途半端になっていた,えちぜん鉄道の三国港(みくにみなと)の様子をレポートしてみようと思う.

三国港といえば,かつては国鉄の三国線もあって,海産物の輸送で大いに賑わったのかどうか…というか,この一帯の鉄道路線は,京福電鉄…京都電燈と国鉄…鉄道省線とが複雑に絡み合っていて,関係を把握しづらい.
 それで,三国港駅に絞りこんで歴史を少しだけ繙いてみれば…….
 国鉄三国港駅と京福三国港駅が同時に営業していたことが,ない.そうだ.
 最初は国鉄三国線の三国駅から港まで構内を拡張して荷扱い所を開設.大正2/1913年のことだそうである.ネジリマンポの説明板と一致する.2年後には貨物駅として独立,三国港駅が誕生している.
 それで京都電燈の芦原三国線が東尋坊口まで開業したのは昭和7/1932年のこと.その時点で京都電燈線は,三国と三国港の間で国鉄三国線をオーバークロスして山側を走り,東尋坊口へ至っていたらしい.
 ところが昭和19/1944年,国鉄三国線は不急路線として休止されてしまう.それで京福電鉄と名を変えた三国芦原線は三国から国鉄線に“乗り入れ”,三国港を終点とすることになった……という経緯のようである.

そんな歴史を知って初めて,ネジリマンポの開口部が異様に小さいことが理解できたのだった.非電化線用の断面に,むりやり架線を張ったのだから.

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ネジリマンポから見た現在の三国港駅全景.本屋は画面右側.側線の左に貨物扱いホームがあり,当初はすぐに岸壁だったらしい.

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貨物扱いホーム跡.現在は駐車場となっている辺りや道路の部分は,かつて海だったらしい.画面右寄りの小さい突起は説明板.

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線路終端部.画面奥はもう海なのだが,なんとなく,もっと先までのびたがっている風情.バラスに油染みがあるのは,ここに電車を留置して夜明かしさせているから.生きている線路なのだ.

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現在の駅本屋.オリジナルの本屋の部材を使って平成23/2010年に大改修されたもの.古風な雰囲気はよく演出されているが,どのぐらい原形を保っているのかは,今回が初訪問の僕には,よく判らない.

旧い駅舎を大改修するのは,11月28日付のここで紹介した勝山駅での事業と同じ趣向.地元自治体が主体となって歴史的保存というよりは,“レトロ調”をセールスポイントとした観光客誘致が目的の一つのように思える.

と いうことで,この辺りには国鉄三国線の廃線跡と京福電鉄三国芦原線の廃線跡のふたつが絡み合っていることを,知った.機会があれば,尋ねてみたい.でもそ の時には,できることなら,アマエビとか,蟹とか,イカとかを,温泉宿でおいしいお酒とともに堪能しながらの旅にしたい……などと思っていると,いつ実現 するのやら,ということになりかねないが.

※2014.03.07:カナ表記一部修正及び追記