とれいん10月号での115系特集取材では,上越線の水上へも行った.5月中旬のこの日は,湘南色や新潟色の115系とともに,新津車両製作所から高崎へと回送されるE233系3000番代を7月号のMODELERS FILEのために撮影することも,目的のひとつだった.
 そしてそれらの列車や車輛を待つ間には,昨年の秋に上越新幹線の上毛高原駅から移送されたD51 745を観察することができた.
  このD51 745は,昭和18/1943年の日本車輌製.最初は宇都宮に配置されて東北本線や日光線で使われ,昭和35/1960年に高崎第一へ移動,信越本線や八 高線で使われることになった機関車.廃車は昭和45/1970年.当時の高崎鉄道管理局庁舎前庭に保存されたものである.
 その後,いつの頃にだ か上毛高原駅東口前に移設,さらに昨年10月に水上駅横へ移ってきたという経歴を持つ.高鉄局(JR化でJR東日本高崎運行本部,現在の高崎支社)庁舎前 から上毛高原駅の駅前に移動した時期は,このブログを書くに際してちょっと調べたところでは,よく判らなかった.庁舎前前の道路拡張が関係していると思う のだけれど,さらに確かめてみなくては,である.

MT-20121115-01
左側のメインロッドが下がった状態で置かれたD51 745.機関車は南側,すなわち高崎方が前を向いている.5月中旬の時点では周囲にはまだなにもなかった……10月でもほとんど同じ状態のようであ る…….至近距離まで近付いて機関車を観察できるから,僕たちにとってはとてもいい環境

機関車の周囲をぐるっと一周して,まず気づいたのは,前照燈が150WタイプのLP42であること.現役時代最終期には250WのLP403だったから,保存後に取り替えられたことになるのだけれど,それはいつのことだったのか.

MT-20121115-02
LP42形前照燈が取り付けられたD51 745.D51 498の前照燈を大型化する際に交換されたのかもしれない.確証のない憶測だが.

次 に,火室右側面にあるはずのタービン発電機が,本来のものもATS用も失われていること.排気管は残っているのだが.いろいろインターネット上の写真を調 べてみたら,前照燈とともに10年ほど前にはすでにこの状態だったらしい.発電機はD51 498などに活用された可能性がある.

MT-20121115-03
機関車右側面.発電機が失われている.今回はロッドや各車輪の刻印を確認するまでの時間的余裕がなかった.次回の訪問時には,読み取ってみたいと思う.

キャブを見れば,前妻に丸窓がある.この時代の新造機では,資材節約と燈火管制上の観点から,とっくに省略されているはずだから,昭和20年代以降に整備,新設されたものだろう.このような例は他にもあって,中には戦時形でも丸窓が付いていることがある.
  キャブ側面には日本車輌の銘板が残っている.戦時中の資材節減のための小型版で,塗料が剥がれた部分から銀色の地肌が見えているところから,アルミか鉄製 と思われる.ちなみに,この745に続く746も昭和18/1943年の日本車輌製だが,製造番号は1187から1211に飛んでいて落成も745の8月 8日に対して11月29日と4ヵ月近くの差がある.そしてその746の履歴簿には,昭和28/1953年12月に鷹取工場で製造銘板を取り付けた記録が残 されていた.ということは,もしかしたら,745の製造銘板は,戦争中の日本車輌製最後の銘板なのかもしれない.
 そしてこの小型銘板が,このキャブに最初から取り付けられているように見えることは,丸窓の存在が,キャブの振替によるものではないことの証しといえる.

MT-20121115-04
キャブ両側面には日本車輌の小型銘板が残る.製造番号は刻印で表示するタイプ.材質はアルミだろうか鉄だろうか,塗装が剥がれて銀色の金属地肌が露出している.

MT-20121115-05
テンダー右側面に掲示された,保存についての説明.昭和45/1970年に準鉄道記念物として高崎鉄道管理局庁舎前庭に設置された当時のままである.