一昨年の“日光道中”に続く,旧新橋停車場鉄道歴史展示室の,エリア別歴史探究企画展である.
 展示会そのものは4月3日からスタートしており,早く見に行きたかったのだけれど,同じ都内なのになかなか足を運ぶことができなくて,今週になってようやく,ちらっと訪問できた次第.
 この旧新橋停車場の企画展は,エリア別のほかにテーマ別の企画展もあって,2008年12月からの“トレインマークの誕生”(ブログがスタートする前だったので,前身の“めるとれ”で紹介した記憶がある),2009年の“特急“燕”とその歴史”,昨年の“日本の観光黎明期”と,興味深い展覧会で楽しませてくれている.
 今回もその期待を裏切らない……期待以上の纏まり.とにかく僕にとって鉄道が開通する以前というのは“有史以前”だから,中世の,“會”という字が記された土器のかけらから江戸時代末までの展示物は全てが物珍しく,目新しい世界.

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企画展は鉄道開業以前の会津の歴史にも相当のスペースが割かれている.それはそうだろう.鉄道開業以前とそれ以後とでは,前者の方がずっと長い時間が経過しているのだから.

 僕の頭の中の“会津”と重なりあるのは,ようやく岩越鉄道建設の目論見書あたりから.
 従来の街道筋と鉄道路線との比較では,進藤義朗さんが語ってくださった,仙山線でのルート検討の模様(レイル69所載)を思い出させてくれた

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会津と江戸を結ぶ道筋.不思議に思うのは,主要街道だった白河街道がまったく鉄道に縁がなかったこと.画面右の写真は明治時代の会津若松市内の様子.

岩 越鉄道が現在の磐越西線であることは,これを読んでくださっている皆さんなら先刻ご承知と思う.今は趣味的な話題の中心はC57 180の牽く“ばんえつ物語号”だが,古には中山宿のスイッチバックを走るD50がファンに人気が高かったし,電化に際してED77という独自形式が開発 されたことや,あるいは新津と広田の間ではつい数年前までセメント輸送の貨物列車が残っていたこと,ナローファンには往年の沼尻鉄道が,そして専用線ファ ンには鹿瀬の昭和電工に働く特異なディーゼル機関車の存在がこの路線の話題でもあった.
 実はこの企画展の担当学芸員さん,弊社の“蒸機の時代N0.45”に掲載された杉江 弘さんの中山宿での写真を目ざとく見つけられて協力要請があり,杉江さんもこころよく提供してくださって展示室の一角に大きく掲げられることになったばかりか,パンフレットの表紙も飾ることになったのである.

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画面右にみえるのが杉江さんのスイッチバックを行くD50の写真.下の横に長いラインは,磐越西線の勾配図.右が郡山で左が新津.一番高いのが中山宿から翁島の辺りであることを,改めて認識した.

そして僕にとっては,“交直流急行型電車”の特集で,その頃にまだ主力だった455系電車を二日間にわたって早春の沿線に追ったことが,思い出である……改めて調べてみれば,それは2006年のこと.もう6年も経ったのか!

この展示会の準備進行中に東日本大震災があって,一時はどうなることかと思ったったけれど,ややペースダウンを余儀なくされたものの,無事に開催に漕ぎ着けられたのはご同慶の至り.
  そして担当学芸員さんのお話によれば,会津の人たちが“そういうことをやってくれるのなら,応援しなくちゃ!”と,宣伝につとめてくださっているとのこ と.なんとも心温まるではないか.そういえば,会場のどこにも,“がんば…”とか“きず…”というような言葉はかけらも見られない.ごく自然な,冷静な内 容とディスプレーに,担当者の気持ちを感じとることができて,なんだか嬉しくなってしまった.

この企画展,7月22日まで催されているから,ぜひとも機会を作ってじっくりと観覧されることをお薦めする次第.

※いつものことながら,展示室内は写真撮影禁止です.ここに掲載した写真は,このブログ執筆のため事前に許可を得て撮影したものです.