9月号の“とれいん”で予告広告を出した,“松木壽雄写真集 山形の鉄道情景 昭和30~40年代(上)”が出来上がりました.
 この本の構想が最初に持ち上がったのはいつのことだったか……もはや記憶が薄れてはじめていますが,具体的な企画として固まったのは,2008年の“はつかりくらぶ山形運転会(とれいんの平成20/2008年8月号でレポート)のころだったかと思います.
  撮影者の松木壽雄(まつき ひさお)さんは,山形県米沢市出身で現在は東根市にお住まいという,ねっからの山形っこ.しかもお仕事は国鉄の車掌さん.鉄道 が好きで,模型が好きで,願いは“生涯一車掌”だったとのこと.ちょっと大阪の坂本 衛さんとイメージが重なる方です.
 松木さんがカメラを手に されたのは昭和30年代前半.まだまだ“貴重品”“贅沢品”だった時代です.そんな時代に,奥羽本線や仙山線をはじめとする県内の鉄道情景を,地元在住の 強みを活かして丹念に記録した作品が貼られたアルバムは,僕に強い衝撃と印象を与えてくれました.
 問題は,それぞれの写真に添える解説をどうす るかということ.時間をかけて撮影者から聞き書きをして纏め上げるのが最善の策であるのはいうまでもありません.今や東根市は,“山形新幹線”によって東 京駅から乗り換えなしで訪問することができるわけですが,現実問題としては,やはり近いようで遠い地です.
 そこで協力を仰いだのが,松木さん製作の組立て式レイアウトを見たことを切っ掛けとして鉄道模型の世界に浸ることになったという,やはり地元出身の藤本富美雄さんと進藤義朗さんでした.
 山形の地理歴史にも,もちろん山形の鉄道にも造詣の深いこのおふたりの力がなければ,この本は出来上がりませんでした.本当にいくら感謝の意を表しても足りることはありません.
  忙しい本業の合間を縫って……そして3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による大混乱が,おふたりの余暇の時間を奪ってしまいました.僕の方でも, “とれいん”の担当特大号の取材が全くできなくなった(なにしろ取材対象の電車が全く動いていないのですから)りして,一時はどうなることかと思ったので すが,とにかく11月の,松木さんのお誕生日には余裕をもって完成させたいと考えたものですから,松木さんを含めて皆さんに無理を重ねていただいて,よう やく先週,完成に至ったというわけです.

と,舞台裏を思いっきり披露してしまいましたけれど,そういう経緯を抜きにして,収録した情景は, あらゆる面で価値の高いものばかりです.この本の書店への配本は,山形県内と仙台市,そして関東圏,中京圏,京阪神などに集中していますから,どなたに も,というわけにいかないのが申し訳ないのですけれど,見つけられたら,ぜひとも手に取ってご覧くださいませ.
 ここでは,せめて,というわけで,上巻に収録した写真の中から雪の情景を2点と美しいC51のスポーク動輪をお目に掛けます.
 そして,10月下旬に発売予定の下巻の中から,衝撃的なシーンを1点,特別に披露いたしました.“えっ?”という方がほとんどであろう,“急行日本海が米坂線を走る光景”です.

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奥羽本線芦沢駅構内で除雪作業中のジョルダン車キ707.木造車体時代の姿は貴重.昭和31/1956年1月 写真4点撮影:松木壽雄

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山形県内のC57は,現役時代には注目されることが少なく,残された写真は多くない.写真は臨時急行を牽くC57 68.昭和45/1970年3月29日

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C51 102.美しいスポーク動輪を半逆光で強調した作品.新庄機関区 昭和35/1960年頃

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前にも後ろにも9600.羽越本線が不通となったため急行“日本海”が,坂町から米坂線,奥羽本線,陸羽西線経由で余目へ抜けるという,いまでは考えられな い迂回運転.オユ10の前にはオロ61が2輛,その前はオハネとオシ17,その前がオロネ10…紛うことなき優等列車を牽き,推す9600の姿である.南 米沢-西米沢 昭和39/1964年6月

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