気がつけば,レイルの78号の“編集裏話”をまだご紹介していなかった.
 77号に引き続いて,発売直後に本社在庫が一時品切れになってしまったものだから,ここで宣伝して,興味を抱いた方が注文されても応じられない……という,うちわの事情もあったわけだが.

今回のテーマは,第一が“C53 45復元から50年”.第二が“京阪宇治川のおとぎ電車”.

C53 45といえば,今では梅小路蒸気機関車館に保存展示されている機関車だが,その開館までは大阪弁天町の交通科学館(今の交通科学博物館)に展示されていた.その交通科学館は昭和37/1962年1月に鉄道開通90周年記念事業の一環としてオープンした施設.
 その交通科学館の展示物の目玉のひとつとして選ばれたのがC53 45というわけで,当時保管されていた鷹取工場から弁天町までの移動を自力で……というのが動態復元の目的だった.それだけのために整備するなど,今日では考えられないことだが,とにかく実現した.
 そのあたりの事情を解明したい,というのがこの企画の動機のひとつだったのだけれど……

50年という壁は厚く…なにしろ当時20歳の人は,今年70歳なのだから…当時の想い出を語って下さる方はなかなか見つからなかった.
 結局,レイルでは初登場の安保彰夫さんが引き受けてくださったのだが,原稿を読んでびっくり.かつての汽車会社で技師長をつとめられた高田隆雄さんのご子息,高田 寛さんが登場するのだ.
 すぐに高田さんに連絡をとり,当時の高校生が見た動態復元の様子を語ってもらったのだが,今度はその中に,汽車会社の銘板に関するお父様の話や,復元完成の姿を組立暗箱で撮影された西尾克三郎さんに同道されていた,なんてエピソードが…….
  そこからさらに安保さんと同じ放送局に勤務されていた門根秀次郎さん,そこからの西尾克三郎さんとの出会い,さらには高田 寛さんと岡山模型店の店主であ る赤木幸茂さんの…,とにかく今回,写真やエピソードを提供してくださった方々すべてが,西尾克三郎さんに繋がる.昭和30年代半ばから昭和40年代半ば まで,関西の鉄道趣味界における西尾克三郎さんの影響力(という言葉だと,なんか権力的なイメージになってしまうけれど)の大きさを再認識させられてし まった.そのあたりの詳しいことは次の機会にでも…….

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芦屋と西ノ宮の間,夙川の鉄橋に近づくC53 45.同時に整備された展示用の展望車や寝台車,食堂車など4輛の客車を牽いて.写真:兼先 勤 レイル78号より

そ して第2テーマは京阪電鉄が京都宇治川沿いに運営していた,今流にいえばトロッコ列車.これまでその全貌が明らかになったことはないのだけれど,前号で昭 和20年代京阪電車のことを語ってくださったOB,豊田 隆さんの思い出話の中に,この列車が登場したのがきっかけ.さらに,聞き手である栗生弘太郎さん の手元には,20年ほど前に社内で蒐集された膨大な資料があるというのだ.眠らせておく手はないではないか.
 という経緯で栗生さんが纏めて下 さったのだけれど,5月発売の鉄道趣味月刊誌Fの紹介記事で“編集部の執念”などと評されてしまった.もちろんお褒めの言葉であり,嬉しいことなのだけれ ど,“執念”は,あくまでも栗生さんである.しかしそれを栗生さんにお伝えしたら,即座に否定されたばかりでなく,ご自身のブログで,実に過激な語り口で反論されてしまったではないか.うむ.
 ということで,こちらの楽屋話は,栗生さんのブログでどうぞ.ただし,実際には栗生さんの表現の1割ぐらいだし,全てはあくまでも“お願い”であるからして,お含みいただきますよう.

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それにしてもこんな面構えの機関車が“おとぎ電車”とは.流石にまずいと思ったのか,西武のおとぎ電車用蓄電池機に似た凸型のボディを与えられることになるのだが.写真所蔵:京阪電鉄車両部 レイル78号より

※2011.06.12:リンク追加及び一部語句修正