三浦 衛さん.最初の出会いがいつだったかは,記憶にないほどにはるか彼方の大昔.少なくとも彼が鉄道ジャーナル社に入社した直後のはずだから,もう30年以上も前であることは間違いない.
  僕は三浦さんのことを,勝手に友だちと思いこんでつきあっている.ほぼ同年代で,電車も機関車も,鉄道に関することならほとんど何でも大好きであり,この 趣味には模型から入ったということまで,多くの共通点があるし.だから,何年か前に“鉄道ジャーナルを辞めるんです”といわれたときには,大いに驚いたも のである.なにが“だから”かといえば,そんな鉄道大好きな三浦さんなら,いつまでも,鉄道ジャーナル誌の要であり続けるのが当然のように思っていたか ら.

その三浦さんから,趣味仲間のサイト内に電車のページを作りました.と いう連絡をもらったのが2週間ほど前.どんな内容かと覗きに行ったら,テーマは,“やっぱり”東急の青ガエルだった.“なんでも好き”とはいうものの,好 きさ加減に強弱があるのは自然なこと.彼にとっては,在京私鉄が,そのもっとも好きな分野であり,とりわけ青ガエルには思い入れが深いと,常々聞かされた いたから,容易に想像できたのだった.
 けれど,単純な採り上げ方ではなくて,三浦さんのもうひとつの趣味である山歩きに引っ掛けて,“長野県を走った……”と,一ひねりしている.この頁が設けられたサイトも,実は山の友だちが主宰するサイトなのだそうだ……というのはご覧いただければ一目瞭然.
 知らせをもらって覗いてみたら,単に長野の三私鉄での活躍だけでなく,きっちりと東急電鉄時代の青ガエルから説き起こしている.三浦さんの生真面目な性格通りの組み立て.

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目蒲線時代の3連.僕は東横線の急行で使われていた時代がもっともかっこいいと思うのだけれど,“東横線に登場した頃と同じ3輛編成”という捉え方が,やっぱり流石.沼部-鵜の木 写真:三浦 衛

それでこのページは連載になっていて,その第1回目は前述のとおり東急時代のお話し.そして第2回目に長野県入り.最初は長野電鉄の“赤ガエル”.最大所帯を誇ったのだから,当然の順番だろう.

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地上時代の長野市内というのは,僕の知らない世界.昭和53/1978年5月の撮影だという.その頃僕は,飯田線のED18やED19を失って,ED62に魅力を見いだすまでの間の,虚脱状態の時期.写真:三浦 衛

とにかくマメに,しかも綺麗な写真を撮影している姿勢には,ただただ脱帽.一緒に撮影取材するチャンスも多かったが,常に見習うべき存在だった.

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“真夏の水田を前景にすべるように走る2500系”と題された2輛編成の写真.いかにも暑そうな…….朝陽駅―附属中学前駅 写真:三浦 衛

長野県を走った青ガエルといえば,他に松本電鉄と上田交通があるが,そのどちらも,今では電車は代替わり.社名まで変更になっている…….いつ,どちらが先に採り上げられるだろうか.楽しみにしつつ,トップページをクリックする今日このごろである.

注:当然のことながら,ここに掲載した写真は,いずれも三浦さんのご厚意を得た上でウェブから転載しているものです.

2011.04.15:写真キャプション修正