昨年12月10日のこのブログで速報を,現在発売中のとれいん2月号のMODELERS FILEで詳細をお伝えしている,JR東日本のC61 20.本日午前,大宮総合車両センターで“火入れ式”が催された.野原敏夫・大宮総合車両センター所長はじめ,大勢の関係者が参加したこの火入れ式を取材してきたので,まずは速報.
まだロッドやバルブギヤーは取り付けられておらず,一部の配管も未完了ではあったが,屋外で催されたこともあり,機関車の全容をつかむことはできた.
修祓,降神之儀,献饌,祝詞奏上と,神主による本式のお祓いが行なわれた.この後,JR東日本,東日本トランスポーテックなど関係者による点火及び投炭の儀と続いた.
ボイラーの修復を担当したサッパボイラ社長の颯波基一氏(写真左)も投炭の儀に参加した.写真右はサッパボイラ東京支店長の田中俊彦氏.いまや,この会社の
人々の技術と情熱がなければ,日本の蒸気機関車の多くは走行不能となる.そういえば,背景に見える三菱の製造銘板が,ちゃんとマイナス溝のネジで止められ
てるのにも感心した.一見些細なことだが,時代考証的にはプラス溝のネジではだめなのである.区名札挿しの“青”の文字にも注目.
さて,注目のスタイルだが,本誌の解説ではまだ部品が取り付けられていなくて,文字だけの説明とせざるを得なかった箇所を,ほぼすべて見ることができた.
まずは前頭部.前照燈は250WのLP403.その脇にシールドビームのLP405.煙突には回転式火の粉止めを取り付けるための金具などは見えない.ス
ノウプロウは,前デッキへの踏段を取り付けたまま,なおかつ連結器に支障しない寸法で,翼を拡げたような“東北タイプ風”が新調されていた.
“昭和40年代東北時代”が見事に再現された前頭部.まだブレーキ管が取り付けられていないので,ちょっとおさまりが悪いが.煙室扉ハンドルは黒く塗られている.
キャブは,前面窓に旋回窓が取り付けられている.ナンバープレートは,タブレットキャッチャーを取り付けるために位置が移動していたが,落成時の位置に戻された.区名札挿しには“青”が入れられていたのは,時代設定を強調するためだろう.
これも気になっていたキャブ下だが,やっぱりストーカーエンジンやスクリューのパイプがないということで,ちょっとC61らしくない.ただ,ストーカーエ
ンジンのための台には真新しい四角い箱が載せられていた.なんの箱かとの質問に返って来た答えは“各軸受けの温度をセンサーで測っているわけですが,その
データラインを纏めてテンダーに渡す,ツナギ箱です”とのことだった.これのお陰で,キャブ下が素通しになるのが避けられていた,ちょっとだけ安心.
そのデータラインはテンダーの左裾を通って後端梁ステップ脇のジャンパ栓に至っている.そこから客車に搭載されたパソコンへと伝送されるわけである.
百聞は一見に如かず……皆さんの印象はいかがだろうか.キャブ側面窓の窓枠が前後入れちがって閉められているのはご愛敬.第2従輪の機械式速度計のロッドは
まだ取り付けられていない.ナンバープレートは新調.形式と番号の間が詰まっているのはオリジナル通りだが,全体的にちょっと印象が違ってみえるのはなぜ
だろう.
テンダーには1,400リットルの重油タンクが搭載されている.その上端は,残念ながら上辺より少し上にあって,地 上から見てもその存在がよく判る.けれども,石炭や水の積載量を確保した上での追加だから,これがベストだろう.なお,電気式速度計はテンダーの第1,2 軸左側に取り付けている.テンダーにもLP403形前照燈が取り付けられている.
ちょっと上に飛びだして取り付けられた重油タンク.テンダーは,一度組み立てたもののゆがみが発見されて再組み立てを行なったなどの苦労話も披露された.
な お,本日の式典では機関車の右側を観察することができなかったが,前日の夕刻に入換作業の都合で大宮駅ホーム脇に姿を見せた瞬間を捉えた写真が,アマチュ アのウェブサイトなどに掲載されており,それを見ると……清罐剤送入装置は撤去.右側ランボード脇の暖房管も既報通り撤去.発電機はD51 498などと同様,大型タイプを2連で装備している.保安装置などが増えているため,より多くの電気が必要となった結果である.
さて,次の関心は構内試運転がいつごろ実施されるのか,ということ.JR東日本からの発表による完成時期は,引き続いて“本年春以降”となっている.また状況が判明次第,このブログやその他の方法で皆さんにいちはやくお伝えする予定である.ご期待ください.
なお,JR東日本高崎支社の特設サイトも,このところ更新が続いており,修復作業を,より詳しく見ることができる.