ほぼ20年ぶりの訪問だった.気動車で運転されていた時代は知らずに終わってしまった,そうして,廃線となってから,早くも3年が経過した栗原電鉄…くりはら田園鉄道である.
 その栗原電鉄の遺構といえば,どうしても岩手・宮城内陸地震に巻き込まれた岸由一郎さんを思い出してしまう.もう2年が経とうとしている.改めて冥福を祈りたい.

さて,前回の400系さよなら運転が“帰りがけの駄賃”だとすれば,これは“行きがけの駄賃”ということになる.
 今回の訪問は細倉からスタートした.かつての細倉駅は更地となり,貨物列車の運転がなくなってから開業した細倉マインパーク駅は駅舎が保存され,その脇にはED202とワフが保存されている.ワフは残念ながら番号を読み取ることができないが,全体の状態は悪くない.
 ふとみれば,ワフの隣に真新しい石碑が.“くりはら田園鉄道 細倉マインパーク駅跡”と刻まれている.

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細倉マインパーク駅跡に保存されたED202と木造ワフ.かつては類型が各地の鉄道に存在したが,いまや貴重な存在.

そこから歩いて細倉鉱業所へ.その傍らにはやっぱり“細倉鉱山駅跡”の碑が.日付はと見れば平成二十二年六月……ん?

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細倉鉱山駅跡の碑.日付が平成22年6月になっているのということは,本当に建ったばかりということ.もっとも現役時代の鉱山駅は鉱業所の中にあり,容易に近づくことはできなかった.鉱業所向かいの鉱山資料館で保存されている,浅野物産扱いのガソリン機関車も健在.

鴬沢のナロー時代のトンネル跡なども気になったが,今回は時間の都合でパス.沢辺駅跡が更地になっているのをちらりと眺めて若柳へ.そうしたら,たくさんの人や重機が入って敷地の整備中だった.聞けば,3月31日付で土地約36万3660平方メートル,建物21棟,車輛14輛などの資産が栗原市に移管(寄付)され,鉄道公園として整備中なのだそうだ.元福島交通の電車こそ解体されたものの,それ以外はほぼ全ての車輛が引き継がれたことになる.
 駅舎は,沢辺駅と若柳駅を合体させてクラシックな装いに改め,鉄道公園にふさわしく整備されるという.
 そして気動車を整備して構内運転を行なう構想があるのだそうだ.運転や整備のスタッフは“くりでん保存愛好会”メンバーがボランティアで行なうのだそうだ.

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改札口を,木造だった沢辺駅から移植するなど,クラシカルな装いに整備された若柳駅本屋.画面右に貨車が,左奥に電車が見える.

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整備中の駅構内.画面左に見える建屋は新築.もとの機関区は線路が分断されてしまったが,どうなるのだろう.機関区裏にはワフ1輛と2輛のワの車体が保管されていた.こちらも上屋の工事中だったから,保存の意思はあるのだろう.

で,完成予定がいつなのかということは,実になんともうかつなことに聞き損ねてしまったが,地震から2年目となる6月14日までには……という話も聞こえてきた.
 また折りを見て出掛けなければ.