“とれいん”の昨年9月号“CoffeeCup”でご案内した,東急車輛の“東急車輛産業遺産”制度.その指定第2号車が,今日8月27日に公開された.
 第1号である元東急電鉄デハ5201に続く第2号車の指定は,保存車輛用の線路が2輛分敷かれていたことから,遠い未来のことではあるまいと,簡単に予想されたことである.
 ただ,具体的にどの車輛が2輛目にふさわしいのか,その選定については部内でも大いに議論があるに違いない……と思っていたのだが,実になんともあっさりと元東急電鉄デハ7000形に決まった.選定理由は,
“現在の東急車輛があるのはオール・ステンレスカー製造のノウハウであり,その量産第1号形式である東急電鉄デハ7000系”
 とのこと.確かにその通りである.
 車号はデハ7052.昭和40/1965年製だから,デハ7000形の中では後期の製造グループに属する.冷房化改造が行なわれておらず,その他の部分も比較的原形に近い.運転室のマスコン・ブレーキ弁がワンハンドルになっていることと,保安装置の箱が運転室と客室の間に追加で設置されていることが大きな改造点といえるだろうか.
 東急電鉄の鉄道線用営業車の中では最後の非冷房車として,相棒のデハ7057とともに,平成11/1999年まで子供の国線で現役だった.
 廃車後,構内入換車として東急車輛が譲り受け,つい先日,上田電鉄から里帰りしたデハ7200形に仕事を譲ることによって保存が可能になったという次第.
 細かい部分まで丹念に整備され,磨き上げられたデハ7052は,デハ5201と背中合せに置かれている.気軽に“見せてください”というわけにいかないというのが唯一の残念な点だが,金網越しならば観察することは可能(正確には,その金網のある道も私有地ではあるそうだが).

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実に美しく整備されたデハ7052.背後のデハ5201とは車体断面や車体高さが全く異なることに気づかされる.もっとも,保存状態では枕バネに空気が入れられていないので,標準的な高さより,さらに低くなってはいるのだが.

今回の事業では,デハ7052だけではなく,隣接する建屋を活用して“歴史記念館”も整備された.館内には昭和21/1946年に“東急横浜製作所”として始まる東急車輛の歴史年表や歴代銘板の数々,そして敷地の前身である“帝国海軍航空技術廠支廠”の遺品などが展示されている.こちらも原則非公開.但し,グループなどで工場見学を申し込んで受け入れられれば見ることが可能.

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歴史記念館内部の一部.壁面の歴史年表.手前のケースには,ソ連(サハリン)向け客車の銘板など,歴代のプレート類や製品カタログなどが展示されている.

そしてもうひとつ.これは東急車輛の製品ではないのだが,いわゆる“松葉スポーク”の車輪が3軸,ベンチ代わりに置かれている.
 これは,同社の社内で仮台車に組み込んで使っていた古車輪.1897年のランカスター製や明治42/1909年の大宮工場製などが含まれる.いつ,どこからやってきた車輪たちなのか,その出自は残念ながら不明.

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歴史記念館前に置かれた3軸の松葉スポーク車輪のひとつ.手前の輪心が大宮工場製,向うが英国ランカスター製.スポークの形が異なっているのが判るだろうか.

ということで,思っていたよりも早いテンポでの整備拡充が進められている“東急車輛産業遺産制度”だが,とりあえず線路は一杯になった.けれど,その横にはまだ敷地はある.急な展開でなくてもよい.着実に整備,維持していただけるよう,お願いしたいものである.

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事務所の屋上から見たデハ7052とデハ5201,そして歴史記念館.折りしも京急初のステンレス車輛N1000形最新グループが通過して行った.これも同社の製品である.