先週18日に脇が書いた,東海道本線の清水谷戸トンネルの話しに刺激されたわけでもない……はずはなくて,頭の中に残っていたわけであって,同じ東海道本線がらみの歴史的構造物を採り上げてみることにした.
 僕の場合は,清水谷戸トンネルのように駅から延々歩かなければならない……車で行くと停める場所に困ってしまうし……というようなことはなく,ずっとお手軽な,有楽町駅のガード周辺.え?有楽町駅は東海道線の駅ではないって?いや,もちろんそれは承知してますけれど.話しは最後までお聞きくださいませ.
 この駅の日比谷口を出て振り返ると,東京都心部の国鉄-JR線に特有の,煉瓦造りの高架橋が見える.ずいぶんと傷んでいるようにも思えるが,なんとかこの姿は維持してほしいものである.お手本とされるヴィーンもベルリンも,東京以上の戦災を受けながら,立派に保守され,実用に供されているのだから.

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有楽町駅日比谷口. 画面左がつい先日まで車道だった煉瓦アーチの歩道. 画面右奥が第2有楽橋架道橋.

さて,この高架橋に向かって左側には,連がアーチの下を潜る歩道がある.ついこないだまでは車も通れる道だったのだが,数奇屋橋側駅前の再開発……交通会館の隣に“イトシア”というビルができた……に際して歩道化されたものである.この歩道化によって,このあたりの高架橋の“年輪”を間近でおちついて観察することができるようになったのが嬉しい.もっとも,もう少しこぎれいに整備してもいいのではないかとは思うが.
 改札をはさんで右側には,都道402号線という道を跨ぐ,第2有楽橋架道橋というガードがある.間に2本の橋脚を有する上路式プレートガーダーなのだが,面白いのは真ん中の桁.クリアランスを稼ごうとして中央部の丈を詰めた,他ではなかなか見かけない形態が興味ぶかい.
 橋台は,煉瓦積みの角に大きな石を6個ずつ配した,伸びやかなデザイン.上り方はなんとなく手入れされているようにみえるのに対して,下り方は自然なウェザリングがなされていて,同じ架道橋の橋台なのに,面白い対照を見せている.
 橋脚は鉄製で,東京駅の前後の呉服橋や鍛冶橋ほどクラシックではないものの,とても趣きがある.

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クリアランスを稼ぐために中央部の丈を詰めためずらしい形態の上路ガーダー.向うに趣きのある橋台がちらりと見える.

在来線3複線のうち,海側の複線は,第2次世界大戦後の昭和31/1956年に新設されたもので,橋脚も橋台も,そして橋桁も他とは異なっている.ただ,昭和30年ごろという時代にも関らず,橋脚の鉄柱には僅かながらも装飾を見ることができる.実際には,例えば円盤状の基部は,海側のほうがずっと簡素化された形だから,こちらの方が新しいことがすぐにわかるのだけれど.
 もっとも海側の橋脚は,もちろん新幹線であって,こちらは味も素っ気もない実用本位のデザイン.

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煉瓦積みの間に埋まってしまった隅石.これを見るだけでこの線区の線増の歴史を知ることができる

もうちょっと新橋方に足を進めると,今度は第1有楽橋架道橋がある.こちらは道路の拡幅による改良工事の跡をはっきりと残している.それは橋台で,上り方が隅石のある煉瓦積みであるのに対して,下り方はコンクリート製である.下り方の橋台直前に不自然な円柱があるのだが,その頂部に昭和31/1956年竣功と記された銘板がある.円柱そのものはなんの飾り気もない構造物なのだが,この鋳物製の銘板があることによって,なんとなく風雅に感じるのは僕だけだろうか.
 ちなみに,この第1有楽橋架道橋の,もっとも山側の橋桁には昭和30/1955年の汽車会社製という銘板が残されている.

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第1有楽橋架道橋の下り方にある円柱と,その頂部に取り付けられた銘板.単なる円柱ではなく上下で径が異なる上に,鋳物の銘板によって,実用一点張りという印象が薄らいでいるように思える.

と,毎日なにげなく通り過ぎているガードも,ほんの数分の観察だけで,こんなに歴史が見えてくるのである.道はキョロキョロしながら歩かなければ(違!).