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物心のつく前から家にはプラレールが溢れ、5歳からNゲージを与えられた私は、楽しい想い出といえば電車が関係したことばかりです。ただ、両親が共働きで忙しいこともあって、幼少時にはあまり電車で遠出することはありませんでした。代わりに与えられるのは、もっぱら鉄道のおもちゃか絵本。祖母と留守番しながら、電車の絵本を静かに捲っているおとなしい幼児だったことは私自身も覚えています。

それが原因なのでしょう。ほかの電車好きの子供と違って、実車はそれなりにしか興味を示さず、おもちゃや模型ばかりに目がいっていました。一方、Nゲージよりも実車に興味があった兄は『鉄道ファン』誌(交友社刊)を購読していて、家にはそれらが山積みになっていました。私は兄の目を盗んでは、『鉄道ファン』を読んでいたのですが、幼児の私には書いてある事の殆どが分かりません。しかも、東武電車と国鉄武蔵野線の101・103系ぐらいしか知らないので、掲載されている車輛はちんぷんかんぷん。どうせ分からないのだから・・・ と、広告の頁ばかりながめていました。何しろそこには天賞堂、カワイモデル、カツミといった様々なメーカーの大人向け“おもちゃ”が魅力的な写真によって並んでいるのです。

私のおもちゃとは比較にならないくらい、実感的で、細密で、美しい造形のそれらは、当時子供であっても、欲しくてたまりませんでした。“大人はこういうおもちゃで遊んでいるんだぁ。いいなぁ、欲しいなぁ”羨ましい気持ちと早く大人になりたい気持ちでいっぱいになり、胸が締め付けられるような思いをしたものです。この気持ちが今の職業に繋がっているのは間違いありません。

そんな幼児の私がとても気になっていた模型があります。それが天賞堂のC55流線形でした。子供ながらにも当時から“蒸気機関車とはこういう形”というイメージは持っていました。SLブームの直後ですから、SL末期の姿を納めた写真集や雑誌が家には沢山あったのです。煙突があって、除煙板があって、蒸気溜め、砂箱・・・ 名前なんか分からなくても、制式蒸機のプロポーションはどれも似ています。なのに、C55流線形はそれらとは全く異質な形をしていたのです。

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『鉄道ファン 1975年1月号』(交友社刊)の天賞堂広告より

C55流線形の広告は数ヶ月続いたように思います。この奇抜な機関車は私の心を鷲掴みにしました。一体どんな機関車なんだろう。まだまだ小さい私に親も兄もまともに答えてはくれませんでした。世界的な流線形ブーム、先駆けとなったC5343、そしてC5520からの本格増備・・・ その謎を自分で解くまで、まだ数年の歳月を必要としました。そして、この1974年製の模型を手に入れるには、それから、また20年掛かるのです。私にとっては長年、憧れだった製品だけに箱無しとはいえ、1万円+α(当時の販売価格は 35,500円)で購入できた時は逆に拍子抜けしたものです。

そうそう、そういえば本誌の創刊号で最初の製品紹介(タイトル:模型店散歩)も、この製品でした。当時、幼児で父親・兄ともども実車ファンだった我が家では『とれいん』を知る術はありませんでした。この記事を読んだのは学生になり、すでに古本屋でしか入手できなくなってからです。

まだ今のように製品ラッシュではない時代。この記事は4頁にわたり細かく解説が加えられ、マツモト模型や宮沢の客車と連結した姿まで紹介しています。記念すべき第1号の製品紹介が私の好きなC55流線形だったとは・・・ この製品と創刊号は今でも私の宝物です。

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本誌『とれいん』創刊号(1975年1月号)模型店散歩より