モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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西武鉄道池袋線沿線のメモというか観察報告,気がつけば4月16日からご無沙汰であった.

その後の地元沿線といえば……

車輛ではなんといっても40000系40156編成へのラッピングだろうか.
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緑と青のツートンはセゾンカードのテーマカラー.側面にはなにやら人物が大勢描かれている.
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堂安……言わずと知れた,サッカーの人気選手である.石神井公園 2026-6-10

6月12日に開幕した,米国・メキシコ・カナダでのサッカーワールドカップに協賛したラッピングで7月末までの予定で実施されている.
 リアルタイムの走行位置は,スマートフォンをお持ちの方なら“西武線アプリ”の列車走行位置画面でサッカーボールの絵柄として確認することができる.

時計の針を少し巻き戻して5月2日,東急電鉄こどもの国線撮影の帰り道の練馬駅で発見した車上子である.
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車上子とは書いたが,まだ台座だけの状態.思いつくのはTASC用である.


TASCとは定位置停止裝置のことで,ホームドア設置駅で列車を正確な位置に停止させるシステム.Train Automatic Stop-position Controllerの略だそうだ.

1週間後には江古田の駅でも確認できた.

そして7000系の報道公開へ向かう途中の富士見台駅では車上子本体が装着されているのを撮影することができた.
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銘板には日本信号の名前が刻まれていた.

そして7月4日には中村橋駅の上屋柱にこんな掲示が……
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6月にはホームドアの工事が始まるのだそうだ.って,もう始まっている.ホームの端に四角いくりぬきとその仮蓋が見えるではないか.

いよいよかぁ……と思っていたら.一昨日の西武鉄道のリリースで,池袋,中村橋,富士見台,新桜台の各駅にホームドアを整備することが公表されたのである.
 池袋……もう設置済みじゃないかと思ったら,来年1月から2月にかけて7番ホームと特急ホームに整備するのだそうだ.

中村橋駅は,なんと,7月18日の始発から池袋方面で使用開始.所沢方面行きは8月とか.
 ちなみに富士見台は両方面友10月.新桜台は練馬方面の2番ホームが11月で池袋方面の1番ホームが年明け1月ということになっている.
 これで,23区内で残るのは桜台,江古田,東長崎,椎名町,そして豊島園と大泉学園……大泉学園はどうだったっけ……ということになる.さて.7月に入ってから東京都が池袋線の桜台と池袋の間の高架化推進を発表したようだが,その実現は当分先だろうから,とりあえず整備することになるのだろうけれど.

で,6月に入ってから,目の端っこにちらちらしていたのが,6000系アルミ車戸袋窓付き編成のシングルアームパンタグラフ装着編成.6151は4月のここでおしらせしているが,それとは違う編成なのである.
 ようやく確認できて捉えることができたのが7月4日.この日の朝,練馬ですれ違ったものだから,昼休みに待ち構えてみたたら…….
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やってきました.6153編成.この編成は行先表示のLEDを更新しているので,安心して早いシャッタースピードで撮影することができる.毎年この季節,この場所では紫陽花がきれい.
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剛体架線対応タイプのようである.

そうそう,パンタグラフ交換といえば,6151編成のことを記したら,三浦 衛さんから次のような内容の便りをいただいた.

以下,原文のままご紹介しよう.

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最近開陳された話題の中で、私が特に興味深く覚えた回について、雑感を吐露いたしたく…

まず4月16日付「西武6151編成のパンタグラフ交換」について。
保谷の事業所へ応援派遣されたさい同編成に乗車して確認、なるほど"剛体架線対応"のシングルアームパンタグラフとはこういう形態なのか…と納得しました。
そこで、通勤に利用する新宿線車両のパンタ交換状況を日々観察している次第です。
6000系は、元から新宿線所属の6101編成が未だに"剛体架線非対応"シングルアームのままですが、6102編成以降は全て対応型(ただし、このうち6105編成だけは菱形の対応型)となっています。
40000系はもちろんのこと、20000系・30000系でも対応型に交換した編成が出現中。
ただし、2000系だけは"蚊帳の外"状態です。
8両編成は全車、非対応のシングルアーム搭載が完了しており、4両編成もシングルアーム化が進んでいますが、換装後も非対応のまま。
2両編成は今なお全車が非対応の菱形で、シングルアーム化自体も全く進んでおりません。
以上、"西武のスペシャリスト"池添さんには遠く及びませんが、報告のみにて失礼いたします。
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だそうである.近くて遠い新宿線.新しい知識を得ることができた.感謝感謝.

で,今日,この話を採り上げようと思うと連絡したら,6000系の菱枠ながら剛体架線対応というパンタグラフの写真も送ってくださった.
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6105編成のパンタグラフ.枠そのものは在来の品物だと思うが,舟体が新しい.元小田急の8000系と同じような対応なのだろうか.2026-7-5 写真:三浦 衛

そして最後に……,やはり4月16日に記した……というか,これが第1の話題だった,金帯が消えた東京地下鉄10000系初期車のうち未確認だった第3編成である.
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4月24日に,練馬の駅で消えていることを確認することができた.というか,10000系全体で化粧直しが進行中のようである.


ということで,約3ヵ月振りの地元レポートであった.

※2026.07.11:大泉学園駅のホームドア未設置確認

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6月11日付のここでお話しした,長野でのE131系200番代取材に赴く旅路で出会ったことどもを記した.
 末尾に“帰り道は,次回(たぶん)”と記しはしたが,レイルNo.138JR西日本500系及び923形のニュースなどをお話しすることになった結果,あっという間に3週間が経ってしまった.

無事に取材を終えて向かったのは往路と異なる,しなの鉄道の北長野駅.やってきたのはSR1系.長野でお昼ご飯にしようかとも思っていたのだけれど“えいままよ”と,上田経由でそのまま小諸へ向かうことにした.
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長野駅に到着したら,隣のホームにはライナー用のS103編成が戸倉行きとして待機中だった.

しなの鉄道が発足して以来の念願だったステンレス鋼製の新造車がSR1系.なにしろ115系や169系の車体の大部分を占める濃い灰色は“ステンレス色”だったのだから.この電車を求めての信濃行は2021年春,MODELERS FILEとしての発表は6月号だった.
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上田の駅では懐かしの115系S7編成が.初代長野色である.これを含めて115系を追いかけたのは,いつのことだったか…….

振り返ってみれば2020年8月号であった.SR1系取材の翌年である.その時点では23編成62輛が在籍していた115系も,今では2輛編成は全滅,3輛編成も6本18輛を残すのみとなった.
 取材から6年を経て,115系もパンタグラフがシングルアーム化され,信号炎管が台座だけ残して撤去されるなど変化していた.
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そして小諸駅.1番線の,独特の上屋柱は健在だった.なんともおしゃれ.凝った曲線美だけが美しいとは限らない,恰好の例だと思う.さらにいえば,改札にはちゃんと駅員さんがいるし,頭上の“しなの鉄道”の文字さえなければ,信越本線そのものである.
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3番線にはSR1系300番代のSR311編成が.霜取りパンタグラフを省略したグループが300番代.

……1番線に列車が……というアナウンス.一瞬の“?”の後に思ったのは“ろくもん”のこと.
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やっぱりそうだった.相変わらず賑わっていたのはご同慶の至り.
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“ろくもん”停車中には,小海線の列車が到着した……まだ見ぬキハE200形であった.

なにしろ世界初の営業用ハイブリッド車なのだそうだ.今ならHB-E200形となるのだろう.デビューは2007年だから,もうまもなく20歳.3輛の小世帯でもあり,そろそろなにかの動きがあってもおかしくはない……などと感慨にふけっていたら,もう15時過ぎ.
 そろそろ軽井沢へ向けて出立せねば…….
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と思っていたらやってきたのはさっき乗った115系S7編成だった.SR1系と並ぶ風景も,もう何年か経てば思い出のなかのものとなるのだろう.

さてさて,小諸では飲まず食わずだったのか?
 いや,そんなはずはない.
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駅からやや左手の坂を上がって旧街道に出たところの蕎麦屋のくるみ蕎麦.奥に見える徳利の中身は……浅間嶽という文字が見えたような見えなかったような.でもあとで“そば焼酎のそば湯割”なんて飲み物があったのに気づいたのだけれど,それは後の祭りであった.

ちなみに,“浅間嶽”という文字の飲み物は,2012年5月に小諸駅を訪れた際には残っていた看板にも,ちゃんと登場する.
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そしてお会計の横のショーケースからは視線が……“蕎麦どら焼”と“蕎麦おやき”であった.我が家まで連れて帰ったのは,いうまでもない.

こうして,珍しくもちょっと優雅な旅は終わりに近づいたのであった.



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6月22日の午後,東京有楽町の東京国際フォーラムで,JR西日本の定例社長会見が催された.鉄道趣味の月刊誌への声掛けは,正直なところ珍しいことなので,おっとり刀で参加してきた.
 そのテーマは,最近の営業及び輸送動向に始まり,決済サービスを進化させる取り組みへ,そして新幹線500系と923形T5編成の引退について.

5月と6月の営業と輸送の概況は,概ね前年と同様であるという.ご同慶の至り.
 決済サービスの進化とは,りそなホールディングとの提携による,決済方法の多様化にとどまらず,JRが預金などの金融部門へ進出する……という理解でよいのだろうか.

そして話題は500系と923形へと進んだ.間近に迫っているとは理解しているものの,さていつのことなのか……みなさん関心をもっておられたことと思う.それがいよいよ明らかになったわけである.

500系は令和9/2027年1月13日に定期運用から離れる.
923形T5編成は令和9/2027年1月に検測運転が終了する.


既に22日のうちにTVやインターネットニュースサイトで速報されてご承知の方も少ないとは思う.そこでここでは,特に500系についての社長会見でのやりとりや思い出などを少し…….

500系が“のぞみ”で活躍していた頃は,できるだけ500系充当列車に乗るようにしていた.だんだんとそれは難しくなってゆき,山陽新幹線での限定運用になってからは,新大阪駅でちらりと眺めるだけという日が続いた.久し振りに乗ったのは一畑電鉄……一畑電車の取材帰りで岡山から乗った“こだま”が500系だった.2024年9月のこと,その後,昨年の11月には新山口で遭遇した.
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“のぞみ”103号が新山口へ到着する寸前,小郡機関区(違うけど)に滞泊中のDE10や気動車群を眺めていたら,ホームに入ったとたん,あの流麗なノーズが目に飛び込んできた.あとで調べたら“こだま”948号だったらしい.2026-11-15

新山口といえば,未だに小郡の方がピンとくるという,とても失礼な僕の頭の中なのだが,機関区では山口線のD51や宇部小野田のC58を撮影させてもらった.そしてなにより,500系開発用試験車WIN350の高速度試験取材のことが記憶に残る.
 WIN350の試験運転は,営業運転終了後に小郡と新下関を往復するという行程.平成6/1994年12月17日のことだった.
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小郡駅12番ホームに停車中の試験列車.新下関方から進入してきて折り返し待ち.画面左端に照明に浮かび上がる“ウィングラフ”が見える.1994-12-17

当時のJR西日本広報室からお誘いをいただいて現地へ赴いてみたら,なんと参加者は僕ひとり!おかげで運転室や各機器が設置されている車内など,存分に観察することができた.しかも予定では試験開始までと,運転終了後の始発までの間は小郡駅の待合室で始発電車を待つことになっていたのだけれど,格別の計らいによって試験担当のみなさんと一緒に駅前のホテルの一室で,WIN350について開発や試験に関するこぼれ話を,たっぷり聞かせていただくことができたのだった.その時のチームのリーダーは,試験実施部長の仲津英治さん.僕の手許には次長の岩本謙吾さんの名刺もコレクションされている.
 さまざな話題で盛り上がったなかで,ひときわ頭に残っているのが翼型パンタグラフの話し.製造コスト的には解決すべき課題があるものの,空気抵抗を減らし,騒音を抑止する効果と架線への追随性,適正な揚力などを追求していったら,あのような形になったのだと.

現在,京都鉄道博物館で展示されている500系量産車のパンタグラフには,騒音抑制のためにフクロウの羽根にあるギザギザがある.その結果として騒音を30%も抑制することができたというのは,のちに聞いた話.
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そのパンタグラフ.筒体の形は鳥の翼そのもの.この写真からはギザギザがあるようには見えないが.まだ開発途上だったのだろうか.1994-12-17 新下関

この時点,5号車(東京方から2輛目)のパンタグラフは通常の下枠交差タイプだったから,まだまだ開発途上だったのだろうか.
 そして小郡駅前の宿の一室での,おにぎりを頬張りながらJR西日本独自の新幹線車両開発への情熱など,さまざまな話のなかで,仲津さんだったと覚えているのだけれど,
“あれ,ウィングラフって呼ぼうと思ってるんです”
“だって,本来の意味でのパンタグラフじゃないですよね.まぁ,シングルアームパンタだって菱形ではありませんが……さらに異端ですから”
 これは!と膝を打った僕.その後の普及を大いに楽しみにしていたのだが,残念ながら普及しなかった.そればかりか,8輛編成化されたときに,当たり前の下枠交差タイプに取り替えられてしまった.
 37年を経て,記憶も断片化してしまったので再度お話を伺いたい……思い立ったのだけれど,残念なことに一昨年に亡くなられたとのこと.残念.合掌.
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“ウィングラフ”の様子を観測するためのモニター.架線柱のビームに取り付けられたカメラからの映像を車内で確認していた.ちなみにこの夜の最高速度は時速300キロだった.
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その,取り替えられたパンタグラフ.趣味的には至極残念.2025-11-15 新山口

昔話はこの年で措くとして,社長会見.
 現社長の倉坂昇治さんが,質疑応答に際してWIN350と500系に関する思い出を方あってくださったのだが,
“500系の営業デビュー時は,なにしろ阪神淡路大地震のすぐあとであり,しかも株式上場を控えていた時期なので,500系には,会社挙げて期待していたのです”
 と語られたのが印象に残った.聞けば1990年代半ばには,経営企画部や財務部に在籍していたという.第一線スタッフとしての実感のこもった,心からの本音だったに違いない.
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倉坂昇治社長.昭和60/1985年国鉄入社,三重県出身,京都大学法学部卒.JR西日本本社広報部長を務められていた時期もある.2025年から代表取締役社長

さて,500系と923形T5編成に引退に際しては,7月下旬の“ドクターイエロー 夢の検測走行車内見学”や“V編成で一夜を過ごす500系新幹線特別運行”などを皮切りとしてさまざまなプロモーションが展開される.その全ては,この日の14時にオープンした特設サイトで告知される.
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会見会場に並べられたキービジュアルと各種記念限定グッズ.右側テーブルに沿線各駅の駅弁が展開されている.

7月以降には,車体へのラッピングも実施される.
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923形T5編成の側扉窓ガラスへのラッピング.1,7号車に貼り付けられる.写真:JR西日本
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500系1,7号車側面のラッピング.全編成に,というわけではないようだ.写真:JR西日本

と,いうことで,32年前(もうそんなに経った!)への思い出も交えた記者会見レポートであった.

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Nゲージのエッチングキットをはじめ,国鉄形から私鉄電車まで幅広い分野のパーツやインレタを発売するトレジャータウン.近年では1:80でもライトレンズや乗務員ステップ,アンテナ類など拘りのパーツを世に送り出しています.
 社長の猪股 知十(ともただ)さんは御自身が熱心なモデラーでもあり,高校生の時にトレジャータウンを立ち上げて以来,これまでも即売会などを通して工作の楽しさを幅広い世代にアピールしてきましたが,今年で創業30年の節目に,万を持して常設のショールームを東大宮にオープンしました.
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お店は東大宮駅の東口から歩いてすぐの場所.ロータリーの左側にある交番の横を線路沿いに進み,次の角を右へ曲がって一つ目の路地を左に曲がると右側に見えてきます.
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新しい建物なので店内は明るく,棚やショーケースに並んだパーツや工具類を見るだけでもワクワクしてきます.同社オリジナルの製品は現在まで約1,500アイテムほど発売されていますが,同社に在庫のあるものは全てここで入手可能とのこと.
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キットの組立見本やパーツの取付例が見られるのもショールームならでは.16番の機関車番号板やシールドビームレンズも豊富な種類が発売されているので,実際にサンプルを見ながら吟味するのも良いでしょう.
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ショーケースにはアルモデル,梅桜堂など他社製品の組立サンプルも並べられています.また,天賞堂のコアレスパワトラやIMONパンタなど,汎用性の高いパーツが入手できるのも有り難いところです.
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同社にゆかりの深いモデラーによる作品展示も.定期的に展示替えも予定されているそうで,毎回訪ねるのが楽しみになります.
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左から,スタッフの尾崎 弘治さん,社長の猪股 知十さん,アドバイザーの川瀬 修一さん.いずれも経験豊富なモデラーであり,パーツ選びや工作のアドバイスが受けられるのも同店ならではの魅力です.
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現在,11,000円以上の買い物で3Dプリント製のビン立てをプレゼントするキャンペーンを実施中.基本的に毎週金・土曜日のみの営業ですが,平日ならば要望に応じて臨時営業することもあるそうで,最新の情報については同社ホームページやSNSで御確認ください!

■SHOP DATA
トレジャータウン
〒337-0051 さいたま市見沼区東大宮5-41-15 1F
営業日:毎週金・土曜日 12時~20時
(随時臨時営業,臨時休業あり)
TEL:090-4374-7581
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4月の新刊レイルNo.138,メインテーマは3月21日に大規模リニューアルオープンした,青梅の鉄道公園だった.鉄道90周年記念事業の一環として企画されたこの鉄道公園,昭和37/1962年の開園だから,気がつけばもう65年目を迎えることになる.

その青梅鉄道公園,なにが新しくなったかというのは,3月5日付のこのブログでもレポートした.
 かいつまんでいえば,記念館が完全新築となり,収蔵車輛としてクハ201-1,ED60 1,そしてクモハ115-1030の3輛が加わった.今回撤去された車輛は,ない.そして全ての車輛に上屋が掛けられた…….ということだろう.運営面では,東日本鉄道文化財団が受託していたのを,JR東日本の直営となったことが変化である.

表紙は,地元の青梅駅にも定期運用で出入りしていたクハ201-1に決めていた.けれど,報道公開の時点では方向幕や特快の表示がなされていなかったので,特にお願いして開園前日の早朝に撮影させていただいた.ただ,この日は天候が…….でも,やっぱり幕が入っている方が,画面が引き締まる.なお,この日だけはイベントのため特別に“本物”が入れられていて,翌日からはレプリカが入れられている.
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写真は表紙の逆方向から撮影したカット.デザイン上はこちらがよいのだけれど,背景に写り込む車輛は,やっぱりD51よりはクモハ40の方が,青梅らしいだろうと考えて,こちらがボツになった.

さてレイルNo.138.新規保存車とかつての収蔵車輛,そして継続して展示されている車輛の紹介から始まるのは定石として,開園に至るまでのエピソードを纏めた報告,当時の鉄道建築協会会報から再録できたのが嬉しかった.東日本鉄道文化財団の方に存在を教えていただき,鉄道建築協会に再録のお許しをいただいての掲載だったが,かねて話には聞いていた,青梅線青梅駅から公園までの交通機関について,その報告にモノレールとアプト式軌道の地図が示されており,少なくとも構想があったことを確かめることができたのだった.

これには後日譚があって,読者の原田雅純さんから“その地図ですが,昭和37/1962年9月8日付の毎日小学生新聞に掲載されていたのを思い出したので,スクラップブックからコピーをお目に掛けます”と,送ってくださったのだった.
 それによれば……レイルに掲載した地図ではアプト式軌道が青梅駅からそのまま西へ向かって発しているのに対して,小学生新聞には,スイッチバックののちに登攀するように描かれているのである.構想が変更になったのか,それとも毎日新聞でトレースの際に間違えたのか…….

ただ,現地の様子を観察したところでは,いずれにしても青梅駅の高さから,“展望台”へのアプローチは,アプト式といえども,登れる勾配ではなさそうな気がする……

現地確認を目論んだのだけれど,雨模様だったためモノレール建設が予定されていたハイキングコース踏破はあきらめて,ぐるっと西へ回って展望台の西側に位置する道路トンネル……青梅坂トンネル……から展望台へと思ったのだけど,道を見つけることができなかった.
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青梅坂トンネルの北側入り口.青梅駅からはずいぶんと勾配を登った先にある.そしてこの写真の左手山上が展望台…….ケーブルカーなら大丈夫だとは思うけれど.

かねて,高橋卓郎さんには“転落!C51 5”の写真とレポートをいただきたいとお願いしていた.そうしたところ,“父親のアルバムから開園当時の写真が……”とのご連絡が.
 なお,C51の迫力ある衝撃の写真は,ぜひとも誌面でご覧ください.それだけではなく,その後の顛末まで,きちんとレポートされています.
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記念館屋上への階段から見た園内東側の機関車たち.2221も8620も,煙室扉から中を覗き込む子供の姿が…….写真:高橋志郎

これで開園時の姿は写真と文献ともに揃った.
 存外の苦労をすることになったのが,3輛の新メンバーの現役時の写真.
 クハ201-1は,デビュー時に三浦 衛さん撮影写真を拝借した記憶があったから,すぐにお願いした.高橋さんからも,地元ならではの作品を寄せてくださった.
 クモハ115-1030は,115系特集の時に自分で両毛線で真横を撮った.でも“普通の”列車写真がない.早川昭文さんが“高崎の115系の写真を撮りに行ってね”というおっしゃってた“ような気がする”のを頼りにお願いしてみたら“捜すのに苦労したけと,あったよ!”と,どんぴしゃりの写真を提供してくださった.
 難関がED60 1.大糸線の旧形国電を撮りに行ってた方なら……と目論んでいたのだけれど,“電車は撮ったけど”とか“貨物列車は買収電機だけ”とかいうお返事ばかり.提供していただいたのは,高橋さんと,なんと京都の福田静二さんだった.
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信濃大町に停車中のED60 1.高橋さんの写真には実は2カットあって,もう1枚には青い旧形国電が写っている.で,迷った末に,この写真にした.そのポイントは画面左端,“アルミナ専用”と記されたタキ6400形.車号がタキ1641xだから,昭和44/1969年の東急車輛製と知れる.レイルでは“お楽しみ”としてなにも書かなかったけれど,目ざとい読者は,ちゃんと気付いてくださった…….昭和52/1977年3月22日 写真:高橋卓郎


新収蔵車輛の歴史的意義については,鉄道技術者と趣味人の両方の角度から佐藤芳彦さんが説いてくださった.クハ201-1が軍畑の鉄橋を渡る写真とともに.

いつものことながら,大勢の皆さんからのご協力の賜物によって,青梅鉄道公園の全てをお届けできたのは幸いであった.
 で,本になってから気づいたのだが,開園直後と昭和40年代と現況の写真は収録したのだが,リニューアル直前の姿が見当たらないではないかと.

そこで補遺でもないが,今から8年前,平成30/2018年1月18日の様子を,2点だけ“手前味噌”して,今回の締めくくりとしよう.
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入り口.記念館は最終的には完全な3階建てに増築されていたことがわかる.画面左端の覆いの中身は,再塗装中のD51 452.
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C11 1とE10 2.リニューアル後は画面右側に線路が敷かれてクモハ115-1030が展示されている.また,2線を覆う上屋が新設された.配電盤の箱は撤去された.

青梅に集う13輛の歴史的価値高い車輛たちが,いつまでも美しく保存されることを願っている.

そして最後にドイツの01.No.137で,服部重敬さんによる01生誕100周年記念特別列車ツアーの模様をお伝えした.本当は,現役時代の姿も同じNo.137でお伝えすべきところ,満杯により今回送りとなったものである.メーカー写真や“ドイツの西尾克三郎”撮影になる形式写真,そして1970年代,東西ドイツでの現役の姿を密度高く掲載した.
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その中の1枚.幸運にも(?)出会うことができた,モーゼル線電化完成で引退する01のお別れ列車.誌面ではデザインの制約から,右側の塔のある建物……教会だろうか……を大幅にカットせざるを得なかったが,ここではノントリミングでお目に掛ける.写真の01 150は,のちに鉄道150年祭のパレードに参加,その後も動態保存機として活躍することになる.1972年 写真:平井憲太郎

と,記している今日は,もはや次のレイルNo.139の最終追い込み真っ盛り.7月下旬発売である.おたのしみに!


……ということで,長野行きの復路でのエピソードは,ちょっとお預け.往路のレポートで“たぶん”と書いておいて,よかった……という問題ではないが……




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