モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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昨年7月30日付けのここで,“久し振りのしなの鉄道沿線で見たこと”と題して,8年振りに訪問した,しなの鉄道の断片をお話しした.それは“ろくもん”と115系のすべてをご覧いただくMODELERS FILEの取材のためだった.
 それから11ヵ月.その時の念願が叶って,新形車SR1系の撮影のために現地を再訪することができた.
 京急電鉄新1000形1890番代を久里浜工場で撮影した,ほとんどその足で信濃へ向かって出掛け,到着したのは西上田の近くの真横撮影場所.
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115系で練習したのち,長野発軽井沢行き“軽井沢リゾート2号”の山側撮影で,今回の取材は始まった.

ライナー車,一般車ともに撮影を終えたところで,ちょっと時間を作って上田へ戻り,3月28日に復旧したばかりの上田電鉄別所線の千曲川橋梁観察に向かう……今日,6月17日が,別所線のうち上田原と別所温泉の間が開業して100周年の記念日だそうである.
 前回は流されなかった右岸の踏切から落橋の様子を遠望しただけだったから,今回は左岸の踏切に接近して観察することにした.
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やってきた別所温泉行き.右端はこちらの存在を知りつつもフレーム内に登場してくれた(!!)撮影の人.
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踏切から各部を眺めてみる.多くの部材はリベット接合のままであり,古い桁のそれを活用している様子が知れる.しかし各構造材の多くははボルトで接合されている.

上田電鉄によれば,約7割の部材が再利用であり,新造が約3割とのことである.素人目には,桁は新しいけれど,垂直材や斜材は再利用であるように見える.

もっと粘っていれば陽の廻りもよくなってくるのだけれど,今回の目的は違うところにある.ちょっと後ろ髪を引かれつつ,しなの鉄道の沿線へ戻り.屋根上などの撮影に勤しむことにした.

あけて4月26日は月曜日である.
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朝6時前の小諸駅前.8年前と比べてみどりの窓口やキヨスクがなくなっていたのに,びっくり.みどりの窓口の跡地に,洒落た喫茶室が開業していたのが,救いだった.

平日,長野以東のしなの鉄道線でのライナー車は,早朝の小諸から長野への“しなのサンライズ”に使われ,若干の間合運用をこなした後,夕刻の“しなのサンセット”までお休みとなる.
 “しなのサンライズ”の6輛編成も魅力的ではあるが,やっぱり象徴としての浅間山を背景にした列車写真を撮りたい.そこで,小諸から東へ向かって御代田と平原の間での撮影に挑んだ.
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幸いにして雲はほとんどなかったけれど,雪もほとんど残っていなかった.こればっかりは,現地へ赴いて,その場になってみないとわからない……運次第ということ.

お願いしてセッティングしていただいた戸倉の車庫での撮影はお昼過ぎから.昼ご飯をどこでどうしようか,ちょっと迷ったけれど,戸倉の駅構内に蕎麦屋があったことを思い出した.
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折りしも“ろくもん”が停車中.平日なのにお客さんでにぎわっていたのが,なによりのこと.
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駅前通り.戸倉・上山田温泉への玄関口である.駅の本屋は……撮り忘れていた!
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昔ながらの駅の待合室の蕎麦屋さん.店名は“かかし”だそうである.

ちなみに,しなの鉄道沿線での駅の蕎麦屋は,軽井沢と黒姫,そしてこの戸倉の3駅が健在なのだそうである.

と,いうことで,今回のs杖医結果は,とれいん6月号のMODELERS FILE
で堪能していただきたい.この次にしなの鉄道を訪れる時には,仕事を忘れてSR1系の乗り心地を味わいたい.


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報道公開が続いたと,先週,芳賀・宇都宮ライトレールHU300形お披露目の中で記した.今週の話題はどのようにしようか,ちょっと悩んだ.いわゆるネットメディアでは当日の午後……公開が終了するかしないかというタイミングで報じられてはいるけれど,それらとはひと味違ったご紹介ができるのではないだろうかと思い,やはり6月2日に催された東京地下鉄18000系をご紹介することにした.
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中央林間方から見た18000系第1編成.車号は手前から18001+18901+18801……となる.

電動車は1890x,1860x,1840x,1820xの4輛.主電動機は永久磁石同期電動機(PMSM)で定格出力は205kW.主制御装置はフルSiC素子適用VVVFインバータ装置で,ハイブリッドSiC素子適用の補助電源装置とともに三菱電機製である.
 車体の製造は17000系10輛編成と同じく,日立製作所が担当している.ただし17000系の8輛編成は近畿車輌の製造であり,車体の外観やシステムが10輛編成とは違っているようである.

この18000系,かねてプレスリリースで発表されている通り,有楽町線・副都心線用の17000系とは姉妹車となっており,実際,そのフォルムは極めて似ている.
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昨年8月に報道公開された17000系.光線状態は異なるけれど,似た角度からの写真で見比べてみると,似ているところ,異なるところが一目瞭然である.新木場車両基地

具体的な違いはさまざまあるけれど,もっとも目立つのは,いうまでもなくラインカラー.半蔵門線はもともと紫だったが,今回は紫濃淡となった.
 続いて目に入るの前頭部のライトケース.17000系が10000系譲りの丸味を帯びたラインであるのに対して,18000系では8000系や08系の面影を感じさせる,やや直線的なラインを描いている.全体的には17000系に比べてモダンなイメージが強いように思える.
 そうそう,車体幅も違っている.17000系が最大2,800mmであるのに対して18000系は2,780mmと20mm狭い.これは乗り入れ先各社の車両限界に対応するためである.先頭のラインが異なった印象を受けるのも,このあたりが影響しているかもしれない.
 そして連結器にも目が行く.とはいえ,17000系は18000系と同じ密連であるから,比較の対象は8000系や08系の自連ということになる.半蔵門線では東急電鉄も自連だが,東武鉄道では50000系で密連を採用している.万が一の救援などに際しては自連・密連アダプターを使うことになるが,これは他の路線でも同様の措置が取られているから,特別なことではない.
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客室にも紫色があふれている.腰掛は背摺も座面も紫だし,吊りても淡い紫となった.床面も,灰色が駆っているとはいえ,やっぱり紫.ここまで思い切ったカラーリングは珍しいかもしれない.画面の右端にちらりと見える赤い背摺の部分は,優先席である.

側扉上の情報表示モニターは17インチワイドタイプを2面ずつ,全ての扉に設けている.その横には防犯カメラが埋め込まれているが,こちらは千鳥配置である.
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運転室.基本的な機器配置は17000系と共通である.しかし頭上にあったワンマン運転用のモニターはなく,腰掛の表地は客席腰掛と同じ色となっている.

さてこの18000系,既に複数編成が到着しており,今月からは昼間の本線での乗務員訓練試運転が始まり,8月には営業運転を開始することになっている.
 その後は令和7年度までに全19編成190輛の投入を完了する予定である.これは,当初発表より少しペースダウンしている.これは最近のCOVID-19感染拡大に伴う輸送需要の減少に伴う修正である.いずれにしても190輛は8000系の現有車輛と同数であり,当入館料は8000系の消滅を意味することになるわけだ.

僕の地元の17000系もその増加が気になっているところなのに,新たに半蔵門線にも気を配らなければならなくなった.ますます忙しい日が続くことになる…….

最後にちょっと余談.
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この日,鷺沼へ向かうために乗った電車が,これ.番号をうまく写し込めていないが,8000系のトップナンバーだった.これもなにかのご縁というべきか.


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4月と5月に京急電鉄の新1000形1890番代が報道公開されて以来,しばらくの間,新形車のお披露目に縁がなかった.次はどれだろうと思っていたら,5月も終わりになって,“27日に現地へ搬入されて,31日にお披露目実施”という報せをいただいた.
 これまで,この画期的なプランについては,公式資料による車輛の完成予想イメージや,地元在住の齋藤知之さんによる,折々の状況レポートを,とれいん本誌でお伝えしてきた.
 つい先日も車庫の建設途上の様子や,開業時期を令和5/2023年春への変更を掲載したばかりである.

まず路線だが,本線の延長は約14.6kmで全線複線.東北本線の宇都宮駅東口から東進して鬼怒川を渡って清原工業団地で北へ向きを変える.宇都宮テクノポリスセンターで再び東を向いて芳賀町域に進み,もう一度北へ進路をとって本田技研北門に達する.
 これを第一期として優先的に工事を行っている段階だが,東北本線を跨いで駅の西側…旧市街地区…東武宇都宮駅や県庁を通り桜通り十文字付近までの約3km区間も計画されている.さらにその西側,東北自動車道と交叉して大谷間構築と呼ばれる辺りへの延伸も検討中となっている.
 最初の約14.6km区間のうち,併用軌道が9.4km,新設軌道が5.1kmとなっている.
 車庫は宇都宮市下平出町…県道64号線“鬼怒通り”と国道4号線バイパス(通称:新4号)との交叉点の南西側に建設中である.
 ゲージは,JR線などへの乗り入れなどを勘案して1,067mmを採用した..架線集電式で電圧は大阪地下鉄第三軌条路線と同じ750Vで,これはいわゆる路面電車としては日本で初めてである.

建設と運営は,いわゆる上下分離方式で進められている.軌道整備は宇都宮市と芳賀町が担当し,運行,営業は宇都宮ライトレール株式会社が受け持つ.

さて車輛.3車体連節で全長は29,530mm,車体幅は2,650mm,そしてパンタグラフ折り畳み高さは3,625mmの両運転台車.定員は約160名で,そのうち座席定員が50名である.
 製造担当は新潟トランシス.基本的には熊本市を皮切りとして岡山電軌,万葉線,富山ライトレール,そして福井鉄道で採用されているアドトランツ(ADtranz)のシステムを採用した車輛である.なおアドトランツは2001年にはボンバルディア(Bombardier)に買収されるが,同社の子会社であるボンバルディア・トランスポーテーションとして事業は継続しており,本社もアドトランツ時代と同じドイツのベルリンに所在する……今年1月にはアルストムと合併というか移管というか….日本では熊本市9700形の製造に際して新潟鐵工所(現在の新潟トランシス)とライセンス契約を結んでいており,今も継承されている.
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5月27日に新潟から到着した芳賀・宇都宮ライトレールのHU300形が31日に披露された.写真は宇都宮市長や芳賀町長などによる除幕式を終えた後の記念写真.右端には広島電鉄でシーメンスからの5000形“グリーンムーバー”導入に尽力され,現在は宇都宮ライトレールの常務取締役である中尾正俊さんの姿も見える.
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福井鉄道の“FUKURAM”が直近のベース車輛といえるのだろうが,前後オーバーハングが大きく,丸味があるだめ,別デザインという印象が強い.ちなみに基本色のイエローは,“雷の光”を表現しているのだそうであある.このあと,関係各方面のご協力を得て鉄道趣味誌出版社向けの撮影時間を設定していただくことができた.

ちなみに全長の29,530mmというのは軌道建設規程の制限一杯だそうで,FUKURAMの27,160mmを凌いで日本では最大級.
 形式記号のHUは芳賀(Haga)と宇都宮(Utsunomiya)の頭文字を組み合わせ,形式の300は全長を示しているのだろうか.車号はパンタグラフ装備車(南北に線路が敷かれた車庫での北側がHU301-A,中間がHU301-C 反対側がHU301-Bとなっている.
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台車にはドイツの歯車メーカーであるZF Friedrichshafen(Zahnradfabrik=歯車製造)の銘板がある.末尾は所在地フリートリクスハーフェン(バーデン・ヴュルテンベルク州)を示す.
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HU301-Bから客室を見る.床面の一部には大理石模様を表現,腰掛や日除けには和風の柄が施されている.画面手前右に見えるICカードリーダーは全ての側扉に設置され,どの飛びッラからも乗降可能としているのが新しい.

車体幅は2,650mmでFUKURAMと同じ.それによって日本の超低床車としては最大の160名という定員を実現し,座席定員も50名を確保した.
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運転席.アドトランツ系列の車輛では既にお馴染みの光景である.速度計は80km/hまで刻まれている.

もちろんワンマン運転を前提とした設計で,前述の前扉へのICカードリーダー設置もそのひとつ.車外には後方確認用カメラが設置されている.
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櫛桁部に取り付けられた銘板.製造所は“トランシス”とのみ表記,デザインはGKデザインが担当している.

このHU300形…今年3月に“ライトライン”という愛称が与えられた….開業までに17編成が納入されることになっている.
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式典が行なわれた位置から車庫の敷地北方を望む.画面右の道路が国道4号線バイパスである.左手に建設中の建物は事務所棟だろうか.

敷地の南側には検修棟と思われる建物も建設中である.これらの施設が整い,今はまだ1本しか貼られていない架線が張りめぐらされるころには,量産車も出揃いはじめることだろう.
 それにしても広い車庫である.ざっと見渡したところでは30編成ぐらいは余裕で収容できるような気もする.それだけ発展性の高いプロジェクトなのである.首尾よく実現することを,大いに期待したい.
 車輛の詳しい紹介は,近いうちに実現できると思う.乞うご期待!

……この宇都宮行きの翌々日,即ち昨日には田園都市線の鷺沼駅に隣接する東京地下鉄鷺沼車庫で最新型18000系の報道公開が催された.そして明日,6月4日には,また別の車輛公開も行なわれる.あぁ嬉し忙し!



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とれいん今月号のMODELERS FILE,JR東日本のE131系と,しなの鉄道のSR1系電車は,お楽しみいただけただろうか.
 側扉の数が3枚だったり4枚だったり,車体断面がE233系準拠だったりE235系準拠だったり,片や0.5M方式で片やMT方式であるなどという違いはあるものの,ともに地域輸送用の最新標準タイプとして開発された電車である.お顔のデザインも近似性が強いということもあって,JR西日本の三姉妹に引き続いて,セットでご紹介することにしたものである.

そのうちE131系は2月の報道公開後,営業運転の開始を待ち,さらに線路設備モニタリング装置の搭載車及び搭載対応車もぜひご紹介したい,と意気込みながら,4月に現地へ赴いたことである.
 幸いにも願いは叶って80番代と称する2編成にも出会うことができた.一般車とは配置が異なっている客室も,タイミングよく土屋隆司さんが寄せてくださったお蔭で掲載することができた.
 前回,外房を訪れたのはいつのことだろうかと思い起こしてみれば,それは2010年5月のことだったようである.2019年7月号(通巻535号)のサイクリング電車B.B.BASE紹介のときに,太海と江見の間の山生(やもめ)橋梁を渡る209系の写真を使ったことを思い出した.この時の主目的はなにだったのかといえば,まだ房総全域に残っていた113系電車だった.その成果は2010年7月号(通巻427号)の“湘南電車と横須賀線”でお目に掛けている.

さて,10年振りの外房で最初に向かったのは,E131系の真横を効率よく撮れそうな場所ということでの,太東と長者町の間だった.本当にラッキーなことに,現地へ到着して間もなく,モニタリング装置を実装した編成(R11編成)がやってきた.上総一ノ宮行きとその折り返しで真横は撮影できた.次は屋根上である.これはどの編成も変化はない.最寄りの長者町駅へ向かってみたら,屋根のない跨線橋があったので,ここで両方向撮影することにした.
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駅前広場から見た長者町駅本屋.郵便ポストと公衆電話,そして客待ちのタクシーと,“平凡な駅前”に必要な小道具は,全部揃っている.

外壁は近代化されているが,妻は横羽目板張りのまま残されていた.ざぅと見渡したところでは建物財産表は残っていないようである.古めかしくはあるけれど,明治32/1899年12月の房総鉄道開業時点のものではないだろう.
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屋根に掲げられている駅名表示は琺瑯製の年代物だった.国鉄時代…昭和20年代昭和30年代以降(末尾に注記あり)の骨董品だろうか.太平洋岸に近いこの地で,よく風雪に耐えているものだ.
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ホーム側からみた駅本屋.ホーム上の張り出しは,かつての信号テコ扱い所だろう.その証としてその部分のホーム擁壁には欠き取りの痕跡が残されている.

ホーム側からみた本屋で印象的なのは信号テコ扱い所跡の張り出しと,画面奥(太東方)の差し掛けを貫く架線柱兼通信柱兼照明燈柱だろう.
 ちなみにこの区間が電化されたのは昭和47/1972年7月のことである.
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2番線…千葉.茂原方面行きホーム上の待合室.こちらは外壁全部が横羽目板のままである.画面右端の柱に貼られた駅名標の上に建物財産標が残っていて昭和21年4月と記されていた.で,クローズアップの写真を……と思ったのだが,なんということか,撮り忘れていたようである.ホームの擁壁には構内踏切のための欠き取り跡が残る.

そろそろ安房鴨川からの列車がやってくる時刻.跨線橋の上で待っていたら,上総一ノ宮方から白い顔が見えた……B.B.BASEであった.約2年振りの再会である.
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B.B.BASE,この日は“B.B.BASE外房”として両国を7時40分に発って上総一ノ宮が8時49分,勝浦が9時19分,安房鴨川が8時55分着という肯定だった…というのは,後日調べて知ったことである.

ここで気になったのは,2番線背後の,ホームとほぼ同じ高さの用地.畑という風でもなく,なんとも不思議な様子である.
 そこで,これも帰宅後に国土地理院の古い空中写真を閲覧してみたのだけれど,線路があったのかなかったのか,どうもよく判らない.
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ホームすぐ横には真新しい柵があり,その向こうにも古びた柵がある.古い柵までがかつての国鉄用地で,近年になって新しい柵までの間を売却したようにも見える…….樹木は半世紀あればこのぐらいに育ってしまうから,判断の材料にはならない.

一方,1番線側の安房鴨川方に貨物側線があったのは間違いないことで,それは今でも明確な痕跡がある.
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1番線の安房鴨川方.画面左側は明らかに貨物側線跡地である.道路との境界柵は古枕木製にも見える,じっくり眺めてみると真新しい材料が使われていて,古枕木ではないことが判る.

側線が何本敷かれていたのかまでは空中写真から判別できない.でも,敷地の幅からは2本または3本,たぶん2本だろうかと思う.柵の外側の,今は払下げられている場所に,貨物上屋があったと考えれば辻褄はあうのだが,さて正解は?

そうそう,この駅から南側,安房鴨川方は単線である.そして上総一ノ宮方は複線である.JR化後の平成8/1996年11月に東浪見(とらみ)との間の工事が完成したものである.上総一ノ宮と御宿の間の,現在は単線である区間でも用地買収を終えているところが数多く見られ,未成トンネルも存在するが,さて,今後,実現する可能性はどうだろうか.

と,探索しているうちに,安房鴨川行き列車の時刻が迫ってきた.この列車の屋根を撮ったら,さきほど真横を撮影したモニタリング装置搭載編成を追って,安房鴨川方面へ移動しなくちゃ,である.

※2021.05.21:駅名標の年代修正
この駅名標は,その書体から推して,昭和30年代以降のものではないか思う,というアドバイスを,高見彰彦さんが下さった.ありがとうございます.

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さて,JR西日本最新一般車である227系と323系をご紹介してから,早くも2ヵ月が経った.三姉妹の長女である広島向け227系の取材記は,4月1日付け4月8日付けのここで記した.
 最新,そして今のところ末っ子の227系1000番代の基本取材は,近畿車輌での報道公開と2019年初夏に行なっていた.沿線での撮影は,まだ編成数が少なくて朝夕しか走っていない時期であり,やや効率は悪かったものの,天候には恵まれて,思った通りに撮影できたのは幸いだった.
 なお,最終投入グループの仕様変更を確かめるための,今年に入ってからの撮影では,来住憲司さんの行動力と気転に助けていただくことになった.
 2019年の撮影行のベースキャンプは,橿原神宮前駅前だった.その宿の部屋の窓から“ふたつの”橿原神宮前駅を一望できるという絶好のロケーション.今でこそ,どちらも同じ近畿日本鉄道の駅ではあるものの,生い立ちは異なり,ゲージも違っているということで,実質的には別の駅である.この一帯には縁が薄くて,実のところ,ほとんど初訪問ということもあり,夕食前のひととき,駅とその周辺を散歩してみた.
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画面右が南大阪線,左というか中央の大屋根の向こうが橿原線の駅である.遠くに見えるのは高取山をはじめとする吉野の山並み.
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その大屋根の駅本屋.昭和15年…皇紀2600年祭に際して著名な建築設計家である村野藤吾が手掛けた作品だという.

村野藤吾と鉄道との関わりは,この建物だけではなく,大阪上本町の近鉄本社社屋などもある.他には志摩観光ホテルや,東京では日本橋高島屋が昭和27/1952年に増築した部分……国重要文化財に指定……,その他に新高輪プリンスホテルも,村野の作品だそうである.
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こちらは南大阪線の側の駅本屋.橿原線のそれと比べて,なんとかわいいことか.正式には,西口という扱いだそうである.

ぐるぅっと一周して,南大阪線と橿原線と車輛受渡線…狭軌広軌の併設線路も見ようとしたのだが,線路が一段高い位置にあり,作業場そのものは建物の中だから,構外の道路からの見学は残念ながら果たせなかった.
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橿原線の駅に停車中の京都行き急行.電車は3200系.京都地下鉄乗入れ用として前面非対称のデザインがなんとも近鉄らしからぬ表情を醸し出しているが,斬新だと思っていたこの電車も,誕生から40年近くを経過しようとしている.電車の左手線路の向うに見える建屋が,狭軌広軌車輛受渡作業場である.

橿原線の駅の北側で線路を潜り,橿原神宮の方へ向かうと,橿原観光ホテルの前で道路が二又に岐れている.左へ行くと第一鳥居,右の道路は,地図を見るとそのまま北上して畝傍駅の方向へ向かっているが,どうやらこの道路が,大阪電軌(大軌)畝傍線の線路跡で,分岐点あたりに,畝傍線終点としての初代橿原神宮前があったようである.
 大阪鉄道は阿部野橋から橿原神宮最寄りの久米寺駅まで到達したが,南方からは,吉野鉄道も久米寺駅で接続し,大軌の橿原神宮まで路線を延長して接続した.
 そして後には,大軌が吉野鉄道の線路を三線軌條に改築して久米寺駅へ乗り入れるようになった.
 さらにこの道からやや北東にそれて国鉄畝傍駅に至っていた,小房線という路線もあったらしい.
 ああややこしい.なんだかどこかで勘違いして書き間違えているかもしれない…….
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第一鳥居の前で分岐する道路.右が旧畝傍線(現在の橿原線)線路敷らしい.そしてまさにこの地点が,初代の橿原神宮前だったのではないかと思われる.
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そして第一鳥居と,その向うに沈む太陽.

南へ下がって南大阪線の駅…大阪鉄道の開業時には久米寺と呼ばれた駅…の外れの踏切に出てみる.この駅の位置は変わっていないようなので,小房線の線路は,この踏切から真北に伸びて初代橿原神宮駅まで敷かれていたのだろう.
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南大阪線橿原神宮前駅の西の外れの踏切から北方を見る.小房線の線路は画面右に向かっていたと思うのだが.さて.

ということは,現在の近鉄橿原線の線路は,大軌の畝傍線とはほとんど無関係の所を走っていることになる.この付け替えがいつ行なわれたのかといえば,冒頭でお話した皇紀2600年祭のための“再開発”.駅本屋の新築年からも理解することができる.ちなみにその折に命名された駅の正式名称は“橿原神宮駅”.だから,普通の言い方をするならば橿原神宮駅駅となる.畏れ多くも神武天皇を奉る神社の名称に敬称をつけないのは失礼である,というのが理由だったそうな.

そのようなことで,夕食前の僅か1時間で,日本の歴史ばかりでなく,大近鉄の複雑な歴史の一端も辿ることができた,有意義なひとときとなった.

なおこの翌日には,227系1000番代撮影の合間に,レイルNo.115でご紹介した和歌山線の五条駅を訪問している.そのレイルN0/115には,奇しくも西 和之さんによる近鉄吉野駅…吉野鉄道吉野駅の大屋根も紹介されている.ご一読いただければ幸いである.


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