モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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今頃2月の?とおっしゃる勿れ.物事には順番というものがありまして…….でも,順番通りにことが運ばないのも,世の常(というのだろうか?).早くお話したいと思いつつも,なかなか順番が回ってこなかったというのが実情である(論理が破綻していないか?).


戯言はともかく,久し振りの211系観察である.2月の,といえば,いうまでもなく上毛電鉄800形の報道公開で大胡の車庫を訪問した時のこと.


211系については,本誌の2009年11月号で大特集を組んだ.おかげさまで各方面からご好評をいただき,既に売り切れである.
 この時に,交直流の415系1500番代も“ほぼ同じデザインの車体を持つ415系1500番代も仲間でしょう.”と,仲間に入れてやったら“あれはシステムとしては211系とは全く別の電車だ”というご指摘をいただいたのが印象に残っている.それはそう,231系の時にも,地下鉄乗り入れ車はほどほどにして209系500番代をテーマに含めときにも同じご指摘をいただいた.
 でも,そのあたりのニュアンスは,モデラーの貴方になら,きっと理解していただいていたことと,信じている.

前置きが長くなった.高崎の211系である.
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中央前橋からシャトルバスで前橋駅に到着したら,いきなり変種の211系が現われた.

この変種,実は昨年夏に信越本線でD51 498の真横撮影に際しても遭遇している.出自はその時に調べた.
 202年4月から.A28編成に対して施されたラッピングで,帯色を両毛線のラインカラーである黄色と,沿線の山々をイメージした緑色を絡み合わせに変更したものである.絡み合わせ方は,両毛地区の生糸や絹織物のをイメーシしたものだという.
 なお,客室も腰掛背摺の表地を,前橋,桐生市,栃木,小山市の“市の花”をモチーフにした柄に変更している.
 登場してから既に3年を経過しているが,特に終期は発表されていないので,当面は走り続けることになるのだろう.

それにしても,なんで高崎経由で帰宅するのに反対側ホームにいたの?という疑問を抱いた方は少なくないだろう.その答えは,写真の右端にある.小山方面行きのホームは充分な幅があるのに,レールは敷かれていない.なぜ?と観察に行ったわけである.
 もちろん,ちょっと眺めただけで疑問が解けるはずはない.でも,なんらかの都合によって,小山方面行き待避線は敷かれなかったのだ,敷くことができる構造なのに,ということは,理解できた.
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上屋の形だって,柱の建っている位置だって,どうみてもその左にはレールが敷かれてしかるべき構造と寸法である.
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入れ替わりにやってきた6輛編成のC6編成.

構造を確かめることができて満悦のうちに高崎へ.ここでもしばらく211系を眺め……いやいや,発車してゆく電車,到着する電車,東京方面からの電車を除けば,全部211系.
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到着する両毛線454MのA32編成.クモハの霜取りパンタグラフを上昇させている.


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発車してゆく横川行き143MのA56編成.本誌でのMODELERS FILE以来,変化なし……ではなく,例えばスカートはスノウプロウ機能を備えた強化タイプに取り替えられている.

そして……
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東京方面から到着したE231系K-27編成.

折り返しの湘南新宿ラインで池袋まで直行.この日は2階建グリーン車を奢っての旅だった.往路を含め,いろいろ沿線風景を観察した.この車中の話題も,まだお話できていない.毎週,今度こそはと思いつつ…….


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横濱模型鉄道倶楽部からご案内がありました。

「2024年4月28日(日)開催を予定しておりました
 横濱模型鉄道倶楽部 第47回  O/OJゲージ公開運転会は諸般の事情により中止することになりましたことをお知らせいたします。
楽しみにされていた皆様にはご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。
ご理解のほど、何卒よろしくお願い致します。」

(とれいん2024年4月号 98ページにて告知)
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雪が積もった2月以来,西武鉄道池袋線の電車には,目立った動きがなく……と思っていたのだけれど,実は先月の半ば,池添智和さんから新宿線方面からのお便りをいただいていたのである.
 それを自分の目でも確かめたくて,うずうずしていたのだけれど,なんだかんだとまとまった時間が取れず,今年も年の初めは“いぬ,にげる,さる”であっという間に通り過ぎてしまった.
 そのお便りというのは…….
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2081の編成が6連化の上で新宿線方面に移動したされた.また,2079の編成は8輛のままで新宿線で走りはじめている.写真は小平駅に到着する2081編成.写真:池添智和

同じ頃,6000系の6105編成も新宿線所属となったそうである.例によって運転席頭上のモニターが撤去されているとのこと.
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西武新宿行き急行として田無駅を発車する6105編成.写真:池添智和


この移動によって,6000系の若番は最初の2編成を含めて6103~6106,そして6108編成の7本が新宿線配置となったわけである.道理でこのところ,6000系の姿を見掛けないわけである.特に地下鉄直通列車は40000系ロングシート仕様に出会うことが増えたような気がしていたのは,気がしていただけではなかったのだ.納得.池袋線に残っている6107編成も運転室のモニターが取りはずされているから,最終的には転属するのだろうか.

池添さんは,新宿線6000系について,種別表示が変更されていることもお知らせくださった.
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列車種別の文字に黒い縁取りがある.写真は6104で,6103も同様とのこと.なおこれは6101,6102編成と同じ様式だそうである.

そんなこんな,仕事の段取りを考えながら電車を待っていたら,この数日,ちょっと面持ちの変わった6000系を目にするようになった.考え事をしながら目の前を通過して行くのを眺めているだけだから,どこが?というのがよく判らなかった.そこで,今日の午後,駅前の銀行へ行く用事の前後に少し時間をとって,いつもの場所で6000系を待ち構えてみた.その結果はといえば…….
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6115編成.どこも変化した様子はない.見慣れた6000系であった.
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待つこと30分.次に現われた6000系はアルミ合金製の6157編成.あれ?貫通扉が.
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3本目の6000系は6151編成だった.あれぇぇ?
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貫通扉窓の上辺が黄色い.なにかを識別する必要ができたのだろう.

6000系で識別マークといえば,有楽町線への糊入れが始まって間もない頃,スカートに大きな“S”の字が貼られていたことがある.短い期間のうちに消えてしまったから,残念ながら写真は取りそこねているはずなのだが.大きな“S”がふたつも貼られていたのだから,網膜にはしっかりと焼き付けられている.

どうにも気になって,夕方,今度は優等列車が停まる練馬駅に出掛けてみた.
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ステンレス鋼の6111編成である.こちらも見慣れた6000系であった.
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運転台.これもいつも通りの風景である.

次に登場したのは,昼間も見掛けた6157編成.停車後に後部運転台を覗いてみたら……

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速度計下の番号プレート右側に,黄色いテープが2本.最初の1本には“VVVF更新車(東芝)とある.その右は“地下鉄非対応車”.なんと.

貫通扉窓の黄色は,やはり非乗り入れ車識別用だったか!
でも,モニターは外されていない.もしかして臨時で乗り入れ非対応にしたのか?

ますます疑問は深まる.そこで,石神井公園へ移動して,もしも6000系が現われたら練馬まで乗ってみれば,走行中にさらに観察できるだろう…….
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現われた6152編成.外観に変化はない.
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でも,黄色いテープに“地下鉄非対応車”とある.そしてモニターは残っている.

もうちょっと待ってみようと練馬まで乗って行くのは取り止めて…….
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6155編成.これも窓に黄色はない.
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でも,非対応車.
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はてさて.

しかし,通過列車の貫通扉窓上辺を見つめ続けるというのは,動体視力が問われる趣味となりそうだ.

※2024.04.06:2000系に関する写真説明訂正

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とれいん2024年4月号は,もう見ていただけただろうか.
 東京地下鉄から日比谷線用03系の,4社目の譲渡車として上毛電鉄の800形をMODELERS FILEで採り上げた.僕にとって日比谷線の印象は3000系ではあるのだが,それはもう遠い歴史の世界になってしまったようである.
 現に,譲渡先のひとつである長野電鉄では,元3000系が03系で置き替えられている.
 3000系といえば,京王帝都電鉄井の頭線の3000系も,かつて各社に譲渡されて活躍を続けてきたが,今回の03系譲渡によって,松本電鉄ではなくアルピコ交通では元東武20000系によって4編成中3編成が置き替えられている.
 また,北陸鉄道浅野川線では,井の頭3000系の牙城だったのが,これまた03系への置き替えが終わった.
 そして今回の上毛電鉄への譲渡である.ここでも20年以上もの間,京王帝都3000系の独壇場だったところへの登場であり,同社として初のインバータ制御車でもあり,大いに期待されてデビューといえよう.
 
ということで,久し振りに出向いた上毛電鉄線である.2月14日に開催された報道公開の様子は,翌日のここでお伝えした.
 その時点でMODELERS FILEの題材として採り上げることは決まっていたわけで,例によって補強取材のために,都合3度の追加訪問を敢行することとなった.そこで,今日はその間に見掛けた,上毛電鉄線の日常の一部をご紹介してみようと思う.

報道公開の終了後,真横や屋根上を追加撮影するための下見を兼ねて,大胡から先,西桐生方面へ向かった.恥ずかしながら,初乗車である.
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赤城駅で並んだ上毛727と東武桐生線の12258.特急“りょうもう”としてリバティこと500系もやってくる.

桐生の一帯は鉄道路線の密集地でもあって,この駅から歩いて行ける範囲には,わたらせ渓谷鐵道の大間々駅がある.実際,この赤木駅の駅本屋外壁には……
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“赤城駅”の上にひらかなで“おおまま”とも記されている.駅名としてではなく,旧大間々町の中心地域であることを示す表記であるようだが.両毛線の岩宿駅までは,歩いて行くには,ちょっと遠いか.

東京地下鉄03系の,両毛電鉄線への搬入は陸送ではなく,千住から線路上を経由した.どこに接点が?と思ったのも,赤城駅を訪問した目的のひとつだった.
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その答が,これ.画面左が上毛電鉄線,右が東武線.さらにその右の線路は東武の留置線.上毛電鉄線と東武線との間に,ちゃんとシングルスリップが生きている.

上毛電鉄の全面的なご協力によって,2月の18,19日に真横や屋根上を撮影することができた.列車写真や表紙向けの写真も,なんとか抑えることができた.でも…….
 やっぱり行先表示は“試運転”や“回送”ではなく,営業状態がよいのに決まっている.でも2月は短くて締切が早い.おまけに,営業運転は平日の中央前橋と大胡の間の1往復だけ! どうしよう…….
 まぁでも,とにかく本文の目処を先にたてておいて,初日に賭けるしかないでしょ.
 ということでまだ暗いうちに起き出して向かった上毛電鉄線.途中の車窓から見上げる空には雲が拡がっていて,どうなることかと思ったのだが,目星をつけていた上泉駅の東側に到着する頃には,ほぼ雲ひとつない快晴となった.上州名物からっ風も,ない.
 そればかりか眼前の左から右へ,秩父山塊,荒船,妙義,浅間,榛名,赤城はもちろんのこと,その奥には中央アルプス?いや八ヶ岳か?そして榛名の右には谷川連峰が.気が回らなくて東の方を観察しそこねたのだけれど,もしかしてたぶん,筑波も見えていたかもしれない.
 こんなにめでたい門出は,なかなかそうそう,あるものではない.

ここからの写真は,クリックした時の大きさがいつもより大きいです.ご注意ください.
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“本番”直前の西桐生行き711編成.画面右が妙義で左に浅間と妙高が.
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妙義と浅間と榛名と,そして谷川連峰.手前,桃ノ木川に架かる下路桁は昭和40年3月のトピー工業製.銘板にはKS-12,支間31.4m,傾斜角48度37分とあった.
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谷川連峰のアップ.撮影地点からの距離は60キロ程度だろうか.
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最初はアルプスかと思ったのだが,帰宅後に地図で確かめたら,八ヶ岳だった.赤岳,横岳,硫黄岳のようだが,自信はない.距離は谷川よりさらに遠く,80キロはありそうだ.

目的を果たした後,居合わせた同好の士にお訊ねしたら,浅間妙義はともかく,谷川や八ヶ岳はいつも見えるわけではない,とのことだった.本当にラッキーであった.

この幸運が,いつまでも続きますように!


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ある一定以上の年代の蒸気機関車ファンならば,“糸魚川のドコービル”あるいは“活白ドコー”という言葉を,一度や二度ならず,再三,耳にされたことだろう.
 その正体は,その頃,北陸本線糸魚川駅の西北あたりにあった東洋活性白土という工場と糸魚川駅を結んでいた専用鉄道(蒸機の時代No.95で同線の模様を紹介)に在籍していた,謎の機関車のことである.現役としては昭和30年ごろに福島の協三工業で製造されたBタンク機が働いていたのだが,機関庫の中に大切に,しかしひっそりと保管されていたのが,件の“ドコービル”である.
 このドコービル機は,時折,同好の士の要望に応えて引き出されるだけだったから,青空の下で観察できた人の数は限られた.

昭和53/1983年に同社が解散してから,協三工業製の機関車は糸魚川市に寄贈,現在は糸魚川駅構内の“糸魚川ジオステーション ジオパル”という施設内で保存展示されている.
 一方ドコービルの行方はといえば……というのが,このレイルNo,129での物語の始まりである.

以来幾歳月.2023年12月16日,永年に及んだ復元作業の努力が実り,ドコービルは大勢の人たちの前で元気よく走った.建設初期の東洋活性白土専用鉄道以来のことだから,何年振りになるのか……もしかしたら,この機関車が一般の人たちの前で走るのは,初めてのことなのかもしれない.
 場所は千葉県成田市の“成田ゆめ牧場”.
 復元作業に汗を流したのは羅須地人鉄道協会の熱心なメンバーたち.

この日の模様は,珍しくレイルの予告ともなった,昨年12月28日付のここで,ほんの少しだけだけれど,ご紹介した.
 12月16日の模様を1月下旬発売のレイルに掲載するというのは,レイルにとっては,まったく異例のスピードである.しかも年末年始を挟んでの工程は,とてつもない急回転だった.僕自身が忙しいのはさておき,無事に出来上がったのは,デザイン,DTP,印刷,製本と,大勢の人たちのご協力の賜物以外の何物でもない.
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平成12/2000年7月8日,ゆめ牧場の機関庫で始まった,動態復元のための解体作業.ここからほぼ四半世紀の歳月を要したことになるが,“動態保存に完成という言葉はない”のだから,これからも歴史が刻まれることになる.写真:羅須地人鉄道協会(相場二郎)


その復元の記録を執筆してくださったのはメンバーの一員である高橋卓郎さん.機関車のパートごとに,実にこまめな記録を披露してくださった.
 糸魚川のドコービルがいつどのようにして趣味界に知られるようになったのか,などのエピソード紹介に際しては,これまた各方面の皆さんからの絶大なご協力を得ることができた.これは,ひとえに高橋さんの熱意とお人柄によるものである.それら写真や図版を発見して,“懐かしい!”とひとごちてくださった読者も多いことだろう.

そして,宮田寛之さんからは,日本における“ドコービル系機関車と東洋活性白土1号機”という趣味的論文をいただいた.
 本家フランスから来着した機関車から,日本国内の各メーカーで製造されて人知れず土木工事に従事していた“ドコービル系”機関車たちに至るまでの系譜を纏めた論というのは,これまでになかったのではなかろうか.
 また,宮田さんの膨大なコレクションから選り抜かれた,健気に働く彼女たちの記録写真は,まさに圧巻のひとこと.ぜひともレイルを実際に手に取って,その迫力を感じていただきたいと思う.

糸魚川時代に倉地光男さんが実測された図と,正村修身さんが作成された,今回の復元に際しての実測図を並べて掲載することができたのも,宮田さんと高橋さんのおかげである.

と,いうことで,本文ページの約8割が,この機関車の話題となったレイルNo.129である.
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令和5/2023年12月16日午前8時30分.ポートレート撮影のために車庫前ホームを通過するドコービル.ホームのベンチに腰掛けて見守るのは,この活動の立役者の一人でもある,杉 行夫さん.写真:前里 孝


そして締めくくりの14頁では,藤田吾郎さんが西武鉄道多摩川線で走った客車たちの写真と図面を披露してくださった.No.125“保存された鉄道院400形機関車”の補遺でもあるのだが,いわゆるマッチ箱級の客車たちの写真や形式図が,これほどまとまった形で発表されることも,数少ないこと.“珠玉の”という形容がそのまま当てはまる趣味的研究の一例であり,客車ファンには見逃していただきたくない一篇である.
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西武鉄道多摩川線で使われ,同社4号機に牽かれた客車たちの中から,ハフ1(左)と二代目ハ2(右).この写真は昭和10年代撮影のようだが,第2次世界大戦後までこのような客車が多摩川線には走っていたのである.写真:鈴木靖人

この一文を書いているまさに今日,次のNo.130の構成と校正に目途が立った.
 内容は,とれいん4月号の予告広告で既にお知らせしているが,第一テーマは,ヒギンズさんの私鉄写真,第二テーマは“お城と鉄道”.そして第三テーマが新資料が盛り沢山の暖房車補遺.4月下旬の発売を,ご期待ください.

※2024.03.22:冒頭写真の撮影日付と撮影者名訂正
※2024.03.23:現役時代の東洋活性白土専用鉄道を掲載した蒸機の時代No.95を追記

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