既にご覧くださった読者も多いと思うが,近鉄がほぼ四半世紀ぶりに投入した一般車8A系は,9月発売号で紹介記事を掲載した鉄道趣味月刊誌上が多い中,とれいん誌では,岡本真和さんの手になる精密図面や,来住憲司さんのカメラと筆になる試乗会体験記を加え,満を持して10月発売の11月号で岡本さんの自作模型作品発表も含めた大特集を組んだ.
車庫取材は9月号の締め切り入稿を終えた8月10日午前,西大寺の車庫で催された.
事前に敢行する必要があった屋根上や真横の撮影は,来住さんに大いに手助けいただいたが,僕自身も分担する必要があって,近鉄沿線へは8日の深夜に到着していた.
西大寺車庫での取材前夜の宿選定は,なにしろ夏休みの真っ盛りでお盆休みの入り口……難渋を極めたが,なんとかJR西日本関西本線の奈良駅前に,値段的にも手頃な部屋を確保することができた.
僕が奈良駅を初めて訪問したのは昭和43/1968年9月のこと.まだ駅構内に架線はなく,大きな扇形庫があってC58や重装備のD51,入換用のC12などが数えきれないほどに屯していた.機関区へは翌年秋にも出向いたし,沿線には無煙化が迫る頃まで何度か赴いた.
でも,その後はさっぱりで……平成17/2005年5月7日まで間があくことになる.それは法隆寺にあった小川精機のレイアウトでの撮影取材のためであった.この時点では高架化工事がたけなわであったものの,まだ線路は地平を走っており,駅北側の三条通の踏切も健在だった.
その次の訪問は平成25/2013年夏まで,10年の間があく.この時は奈良地区で活躍していた“1M方式の新性能国電”を追っての滞在だった.
そして2024年8月9日夕刻.
10年前には足を向けなかった西口駅前.大きなバスターミナルをペデストリアンデッキから続く歩道が挟み込む.このターミナルあたりが機関区だったような気がする…….
ちなみに駅の高架下に土産物店や飲食店街があるのは,ほかのどこの駅でも同じだが,KOHYOという,元来は大阪八尾で創業したスーパーマーケットが展開しているのが目新しかった.ちなみに帰宅後に調べてみたら,阪急の高槻市駅高架下にも出店しているようだが,県庁所在地の代表駅である奈良駅というのが,僕の目には新鮮だった.なにより夜食などの仕入れに重宝したのが,なによりなことであった.
デッキから南方を望む.正面中央の大きな建物は“なら100年会館”.駅の高架化に先駆けて平成8/1999年に完成したらしい.あの辺りには線路はなかったような気がするのだが.もしかしたら機関区の事務所か官舎が建っていたのだろうか.
そして三条通から東口へ移動.
“平城宮大極殿跡是より西乾二十丁”と刻まれた道標と石燈籠…常夜燈.常夜燈は画面右外にもう1基ある.
道標は,これも帰宅後にちょっとだけ調べてみたら,平城宮遺跡の保存に尽力した棚田嘉十郎が明治45/1912年に自費で建立したものだそうである.
石燈籠……常夜燈はほかにもう1基あって対になっている.これは春日大明神……春日権現のもので,文久三年(1863年)の建立だそうだ.
それにしても,世の中にはいろいろなことに興味を持って調査を尽くしている人がおられるものである.参考というか,出典を明らかにするために,ふたつのURLをご紹介しておこう.ただただ敬服.
◎ローカル駅の坪庭
◎奈良の探訪
この写真を撮影したのは夕方5時ごろ.旧奈良駅本屋は完全な逆光状態である.そこで企んだのが,宿のラウンジから,電車と旧本屋の取り合わせを撮影すること.
待っているとなかなかタイミングが合わない.なにしろ“ラウンジ”であるから,それにふさわしい呑み物をいただいているのだから……でも,なんとか奈良線の205系が到着しているところを捉えることができた.
そして夕食を済ませて戻ってきたら……
こんな風景が展開していた.“駅前 燈花会”という催し.たった今,このブログのために写真を開いてみたら,画面の左上に三日月がっ! 思わず声を上げたら,家人に叱られた.でも,うれしかったのだから,しょうがないでしょ.
主催は“なら燈花会(とうかえ)の会”という団体.毎年この時期に,奈良公園や東大寺大仏殿,興福寺,春日大社の参道などが,蝋燭のほのかな明かりで彩られているそうである.2024年は8月5日から14日に開催されていたのだそうだ.幸運.
そして一夜明けて……
西大寺へ向かう前,ちょっと時間をひねり出して撮影できた“順光”,“常態”での奈良駅旧本屋.
これで,僕の奈良駅観察は一段落……あ,改札内部の観察を忘れていた!
車庫取材は9月号の締め切り入稿を終えた8月10日午前,西大寺の車庫で催された.
事前に敢行する必要があった屋根上や真横の撮影は,来住さんに大いに手助けいただいたが,僕自身も分担する必要があって,近鉄沿線へは8日の深夜に到着していた.
西大寺車庫での取材前夜の宿選定は,なにしろ夏休みの真っ盛りでお盆休みの入り口……難渋を極めたが,なんとかJR西日本関西本線の奈良駅前に,値段的にも手頃な部屋を確保することができた.
僕が奈良駅を初めて訪問したのは昭和43/1968年9月のこと.まだ駅構内に架線はなく,大きな扇形庫があってC58や重装備のD51,入換用のC12などが数えきれないほどに屯していた.機関区へは翌年秋にも出向いたし,沿線には無煙化が迫る頃まで何度か赴いた.
でも,その後はさっぱりで……平成17/2005年5月7日まで間があくことになる.それは法隆寺にあった小川精機のレイアウトでの撮影取材のためであった.この時点では高架化工事がたけなわであったものの,まだ線路は地平を走っており,駅北側の三条通の踏切も健在だった.
その次の訪問は平成25/2013年夏まで,10年の間があく.この時は奈良地区で活躍していた“1M方式の新性能国電”を追っての滞在だった.
そして2024年8月9日夕刻.
10年前には足を向けなかった西口駅前.大きなバスターミナルをペデストリアンデッキから続く歩道が挟み込む.このターミナルあたりが機関区だったような気がする…….
ちなみに駅の高架下に土産物店や飲食店街があるのは,ほかのどこの駅でも同じだが,KOHYOという,元来は大阪八尾で創業したスーパーマーケットが展開しているのが目新しかった.ちなみに帰宅後に調べてみたら,阪急の高槻市駅高架下にも出店しているようだが,県庁所在地の代表駅である奈良駅というのが,僕の目には新鮮だった.なにより夜食などの仕入れに重宝したのが,なによりなことであった.
デッキから南方を望む.正面中央の大きな建物は“なら100年会館”.駅の高架化に先駆けて平成8/1999年に完成したらしい.あの辺りには線路はなかったような気がするのだが.もしかしたら機関区の事務所か官舎が建っていたのだろうか.
そして三条通から東口へ移動.
“平城宮大極殿跡是より西乾二十丁”と刻まれた道標と石燈籠…常夜燈.常夜燈は画面右外にもう1基ある.
道標は,これも帰宅後にちょっとだけ調べてみたら,平城宮遺跡の保存に尽力した棚田嘉十郎が明治45/1912年に自費で建立したものだそうである.
石燈籠……常夜燈はほかにもう1基あって対になっている.これは春日大明神……春日権現のもので,文久三年(1863年)の建立だそうだ.
それにしても,世の中にはいろいろなことに興味を持って調査を尽くしている人がおられるものである.参考というか,出典を明らかにするために,ふたつのURLをご紹介しておこう.ただただ敬服.
◎ローカル駅の坪庭
◎奈良の探訪
この写真を撮影したのは夕方5時ごろ.旧奈良駅本屋は完全な逆光状態である.そこで企んだのが,宿のラウンジから,電車と旧本屋の取り合わせを撮影すること.
待っているとなかなかタイミングが合わない.なにしろ“ラウンジ”であるから,それにふさわしい呑み物をいただいているのだから……でも,なんとか奈良線の205系が到着しているところを捉えることができた.
そして夕食を済ませて戻ってきたら……
こんな風景が展開していた.“駅前 燈花会”という催し.たった今,このブログのために写真を開いてみたら,画面の左上に三日月がっ! 思わず声を上げたら,家人に叱られた.でも,うれしかったのだから,しょうがないでしょ.
主催は“なら燈花会(とうかえ)の会”という団体.毎年この時期に,奈良公園や東大寺大仏殿,興福寺,春日大社の参道などが,蝋燭のほのかな明かりで彩られているそうである.2024年は8月5日から14日に開催されていたのだそうだ.幸運.
そして一夜明けて……
西大寺へ向かう前,ちょっと時間をひねり出して撮影できた“順光”,“常態”での奈良駅旧本屋.
これで,僕の奈良駅観察は一段落……あ,改札内部の観察を忘れていた!