モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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◆国鉄蒸機運転室の通風・換気装置 

ヒギンズさんの国鉄蒸気機関車 
蒸気機関車の乗務員にとって,煙との闘いは生死にも関わる大問題でした.国鉄では各現場や管理局単位でさまざまな工夫が凝らされてきましたが,その全容は明らかになっていません.新澤仁志さんは,貴重な図面などの資料を分析しつつ,各地の保存機を実地見聞することによって,解明を進められました.模型製作においても重要なディテールとなる換気装置についての理解を深めることができる好レポートです.
 この稿にちなんで,ヒギンズさんのモノクロネガアルバムから,全国各地の国鉄蒸気機関車とその情景をピックアップしてみました.東西南北,大型機から小型機まで,さまざまな機関車と風景が登場します.

大津電車軌道の歴史
第2テーマは,貝塚恒夫さんによる大津電車です.現在の京阪電鉄石山線と坂本線の礎となった大津電車軌道について,滋賀県立公文書館が所蔵している史資料を読み解きつつ,現地の様子と照らし合わせて,線路敷の変遷や未成線,廃線などが明らかになりました.歴代車輛についても詳しく解説されています.併せて,第2次世界大戦後の車輛と沿線風景を,福田静二さんが美しいグラフとして構成してくださいました.

汽車電車と記念写真
第3テーマは記念写真です.高見彰彦さんが精力的に蒐集しつつある鉄道に関する歴史的写真に含まれていた記念写真について,その撮影場所や時代,車輛の謎解きに挑みます.今回は連載の第1回目です.

2021年4月21日(水)発売
定価:3,960円(本体3,600円)

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今日の昼前,京急蒲田駅のホームで,期待の新車1000形1890番代が報道公開された.
 この車輛については本誌の“いちぶんのいち情報室”でお伝えしているほか,このブログでも1月21日付けのここと,続く1月28日付けのここでもご案内した.
 その際に生じた疑問や,想像で記した点を現車で観察してきたので,さっそくご報告申し上げる次第.
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会場は昼間時間帯は使われることのない横浜方面行き待避線2番線.受け付けを終えてホームに上がったら,1000形1890番代の第1編成が出迎えてくれた.外観全体を見渡せないのが残念だが,それは次の機会へのお楽しみ

最初に目に入ったのは,小さくなった正面窓下の尾燈と急行燈のケース.内部では急行燈と尾燈が一帯の切換式に変更されたので,光る面積は大きくなっている.
 車号の書体が全く新しくなったことや,現在の600形以来の“ハイフン方式”となったこと,前照燈がコイト電工の花形LEDになっていることなどは,先に記した.

さっそく案内された客室での最大の注目は,運転室直後の細長い窓の正体である.
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ご覧の通りである.配布されたパンフレットには“前面展望席の復活”とある.

1000形ステンレス車で廃止となった運転室と最初の側扉の間の座席を復活させた,ということである.そしてその座席からは,前面展望だけではなく側面の景色も楽しむことができるとように設けられたのが,超縦長の窓,ということなのだった.
 ではフルサイズの戸袋窓を設ければよいじゃないかと,素人は考えるのだけれど,構体はこの部分に窓を設けることを考慮していない設計であり,そういうわけにはいかないのだろう.そこでギリギリ,あけることができたのが,この窓というわけである.
 実際に走行中に座ってみてどのような景色が展開するのか,早く体験してみたいものである.

次が,ロング・クロス転換式,いわゆるL/C座席である.
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ロングシート状態.腰掛の表地は“三浦半島の旅”を想起する波をイメージしたデザインで,色はご覧の通り赤基調.
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クロスシート状態.袖仕切りは強化ガラス性で,腰掛の柄と同調する波模様を入れている.

ちなみにこの腰掛は京王電鉄5000系と同じコイト電工製.そういえば昨日は京王電鉄から令和4年度下期に増備する5000系にはリクライニング機構付きL/C座席を採用すると発表があった.なんとういうタイミング.

閑話休題.L/C座席の客室は,いまや見慣れたものとなりつつあるが,貸切列車にも活用すべく企画されたこの電車ならではのシートアレンジも見ることができた.どのようなって?写真をご覧いただければ一目瞭然である.
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このようなサークル状での使用も可能とのこと.もちろん定期列車での使用は論外だろうけれど.

京急電鉄として画期的なのは,そればかりではない.同社開闢以来の,トイレ付き,それも4輛編成に2ヵ所も!あまりの驚きに,思わず古風な熟語を使ってしまった
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3号車(1891-3)の品川方海側に設けられた大型車椅子対応トイレ.画面左に見える貫通路の向う側,2号車(1891-2)には男性用トイレが設けられている.
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これが,1891-2から眺めた3号車との連結面.男性用トイレの手前は機器室である.
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そして運転室は,在来の1800番代と大きく変わるところはない.


13時までたっぷりと撮影と観察を堪能して,さあどうしようと考えたのだが,横浜方面に潰走されるのは間違いなかろうということで,取材仲間数人と向かったのが,生麦の駅.
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目論見通りに回送がやってきた.やっぱり全塗装車体は見ていて落ち着くなぁ,というのが感想であった.

このあとさらに神奈川新町まで追い掛けたのだけれど,到着した時には,残念ながら車庫線の奥に引き上げたあとだった.世の中それほど甘くはない.

最後に,配布されたパンフレットから,諸元をご案内して今日のレポートの締めくくりとしよう.
        1891-1(Muc2)    1891-2(Tuv2)    1891-3(Tpsv2)    1891-4(Msc2)
自重        34.5t                   30.5t                    33.0t                       34.5t
定員        101名                 107名                  111名                     101名

主電動機は定格出力190kW,主制御装置は中間車に,電動空気圧縮機は-2に,補助電源装置は-3に取り付けとある.
 なお定員は立席を含む総定員で,座席定員は順に34名,3230名,32名,34名ではないかと思われる.
 近いうちの本誌上での徹底紹介を,ぜひご期待いただきたい!

※2021.04.16:京急蒲田駅2番線説明名修正
※2021.04.17:一部加筆及び座席定員推定修正

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朝7時に宿を発って広島駅経由で旧友Kとの待ち合わせ場所へ.
 昨晩,久し振りに逢ったのだからドライブにつれていったげる,との温かいお言葉に甘えることにしたのだった.
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前日から気になっていたのがこの建物.JR西日本広島支社なのだけれど,数年前から新築移転の計画を耳にしていたものだから,記念に1枚というわけである.そうしたらなんと,1週間後の11月30日には新庁舎(社屋というが正しいのだろうが)へ引越しなのだそうだ.本当にお名残りとなった.かつて履歴簿調べなどでお世話になった,思い出深い建物である.

鉄道にもカメラにも興味がなくて自動車(最近は自転車もだそうだ)好きのKに運転を委ねて向かった先は,Kがお薦めの上八木と中島の間に架かる太田川橋梁.
 途中,通過する駅や沿線は,買収路線の面影を強く残しているように思えた.いちぶんのいち情報室に松永美砂男さんがしばしば寄せてくださる下祇園の駅も確認した.なるほど車輛を採るには向いている駅である.
 いや,実のところ,可部線には乗ったことがない.前述の,履歴簿調べとかEF67の撮影とか広電乗り歩きなどに際して広島駅でうぐいす色に警戒帯を纏った73系を写したのが,唯一の接点である.
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最初にやってきたのがこの列車.側面が朝日に輝き,実に立派に撮影できだのだけれど,もうちょっと待てば正面にも光が回るだろうかということで,次の列車を待つことに.それが,4月号の記事冒頭で使った写真である.

理想をいえばあと1時間後ぐらいが完全順光の時間帯かもしれない.けれど,それではせっかくの立体的な顔がのっぺりしてしまう.それになにより,山陽本線に出て,3輛編成グループの列車写真と,なにより屋根上を写さねば.
 ということで目指すは瀬野.ショートカットできそうな道はないかと探したら,芸備線の狩留家あたりから山越えの道があるかも…….

またもや不勉強なことに,可部線と芸備線がこんなに近接しているだなんて,実感はなかった.太田川を挟んで対岸が玖村とか下深川という駅だった.そういえば芸備線も,ほぼ未乗である.もしかしたら山陰の旅の帰り道で,夜行の“ちどり”に乗って広島へ抜けたことはあったかもしれないけれど.普段は,松江から乗って夜中の備後落合で折り返すために存在してた列車である.僕にとっては.

さて瀬野……の前に,狩留家の手前で右へ折れるべきところ,20年分の話が弾んでいるうちに通り越してしまったら,なにやら護岸工事真っ盛りの鉄道橋が現われた.
 そういえば芸備線もつい先日まで不通だった.橋梁は完成して列車は走りはじめたのだけれど,護岸工事が残っていたのだろう.
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せっかく通りがかったのだから,状況記録写真を1枚.すぐ横の説明板には“芸備線白木山・狩留家間第1三篠川橋りょう改築”とあった.期間は令和3年3月23日まで(予定).無事に出来上がっただろうか.

“狩留家からの山越えの道”は,思ったよりも険しくて“市内経由の方がよかったんちゃう?”といわれてしまった.すんません.

いよいよ瀬野.
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駅前である.EF67の試運転を撮影がてら,EF59の履歴簿を見せてもらった頃からは様変わり.そりゃあそうだろう.あれからもう,50年近く経ったのだから.この一帯も,近年の豪雨で大きな被害を受けて山陽本線が不通になった.駅の外れにはその傷痕が,まだ残っている.

Kとはここで,近いうちの再会を約してお別れ.お互いに20年経っても,あらゆる意味であんまり変化なかったから,次の20年後も同じか?と思いつつ.

一人で徒歩で向かったのは,かつて気になりつつ近付けなかった上瀬野近くの古レール組みの跨線橋.そこから屋根上を撮ろうという算段である.
 でも,その前に踏切に併設の歩道橋を見付けてしまった.なんで併設?と思ったら,瀬野川の対岸に小学校があって,納得.
 結局,屋根上は4方向ともにこの歩道橋で撮れた.ちょっと迷ったけれど,意を決して上瀬野まで歩くことに決めた.
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30分ほど歩いて辿り着いた跨線橋.広島方を見て撮影した227系である.かつては線路沿いを歩いて,カーブの向こうの犬走りからEF66やその後補機のEF59などを撮影したのだが,現代では線路沿いを歩くことはおろか,すぐそばに近寄ることも不可能だった.

どうやってこの跨線橋の全景を撮ろうか,ちょっと迷ったのだけれど,辛うじて畑地にいれてもらって撮影することができた.でもあとで写真を見て思ったのだが,上り方の踏切から撮ることができた…….なんだぁ.
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橋脚も古レール製だった.相当に古く,細いので,もしかしたら山陽本線が複線化した頃に架けられて以来……ということは,大正12/1923年以来か?だとすれば築99年ということになるが.
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床面から見た骨組み.レールは細い…というか,まさかの双頭レールだった.

ここでしばらく,227系とともに貨物列車を撮影し,30分歩いて瀬野駅へ.
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広島行きを待つ下りホームから元の機関区方向を見る.跡形もない.

広島駅へ戻って227系の妻板を撮影した後,駅前で最新の広電ウォッチング.800形ボギー車から最新の5200形グリーンムーバーエイペックスまで,主な車輛は記録することができた.あと1泊すれば,久し振りに本線へ出る100形も見ることができるのは,判ってはいたのだが…….
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小雨が降りはじめた広島駅前.グリーンムーバーLEXとグリーンムーバーマックス(MAX).画面奥の建物は馴染み深かった広島の駅ビル.

次に広島へ来る時には,新しい駅ビルや広電の新ターミナル,新路線は完成しているだろうか.


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前回,広島に滞在したのはいつのことだっただろう……と,記憶を引っ張り出してみたら,多分,22年ぶりのようだ.
 22年前の平成11/1999年に何があったのかといえば,広島電鉄5000形“グリーンムーバー”がデビューしている.3月にロシアの巨大貨物機アントノフ124で到着した第1編成の到着風景と,5月だったかのお披露目に際して訪れたのが,どうやら“最近”だったようである.
 では今回は何があった?

それは,とれいんの4月号をご覧いただいた方には既にご承知の,227系0番代.

国鉄時代の電車が一大勢力を誇っていた広島都市圏の輸送を一気に近代化した,この電車の全貌を探ろうという目論見である.
 この227系は,東海道・山陽本線の快速列車用225系を基本とした,JR西日本の標準設計近郊形電車の発展形である.
 しかし,この227系0番代単独では,JR西日本の,徹底した設計標準化の様子は見えてこない.続いて大阪環状線に登場した323系,さらに2019年から営業運転を開始した和歌山地区用227系1000番代を併せて紹介することによって,標準化の様子や,地域性に応じて実施された変更点が浮かび上がってくると考え,温め続けてきた題材だったのである.

323系は2018年に,227系1000番代の基本は2019年に取材を済ませ,集大成として,源流を探るべくの広島訪問が2020年11月だったというわけである.
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初めて乗る(!),“さくら”の車中から広島運転所…ではなく下関総合車両所広島支所……に太白中の227系と初邂逅.画面奥の照明塔は,“電車が見える球場”として有名な,MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島

広島駅に降り立って最初に訪れたのが己斐…ではなく西広島の駅.駅本屋が改築中で,古い跨線橋が間もなく姿を消すから……でもなくて,下調べと記憶から,駅の外れの踏切が,真横の写真を撮影するのに好適だと思ってのこと.ここがダメだった場合に備えて,他にも何ヵ所かの候補は頭の中にあったのだけれど,結果的には,正解だったようである.そのようなことで,この電車の真横写真は,すべて広島方の踏切で撮影したものである.
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最初に遭遇したのが,川崎重工製A44編成(右)と近畿車輌製A1編成(左).乗務員扉の水切りが違う形であるのに気付いたのは,撮影後のことである.

背景の建物に記されている“己斐鍼灸整骨院”の看板で撮影地の見当がつくわけだが,本に使用した写真では“己斐”は全部トリミングされてしまい,僅かに1枚だけに“鍼灸”の文字が読めるだけとなった.

いつものこととはいえ,同じ場所に3時間も立ち続けての撮影は,周りの人の目が気にならないといえばウソになる.しかも,明らかに普通の列車写真撮影に不向きなポイントでは,なおさらのこと.

ちゃんとした運用が判明しているわけでもないから,時刻表のコピーを片手に,“今通って行ったのは岩国行きだから,戻って来るとすれば○分後だろうか”などと想像を働かせて待ち構えるわけである.ただし,“小まめな輸送サービス”実現のための2連と3連であるわけだから,終点で切り離されて片割れだけが戻ってくることも,あった.一方では狙いの編成が予想通りに戻ってきた時には,“やったっ!”

貨物列車の多い山陽本線のことであるから,東日本では見かけることが少ないコンテナを観察するチャンスでもある.
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14時ちょうどに下って行ったUM12A-105364と105268,105363.2013年から,全国通運所有で下関海陸運送が運用している,産業廃棄物輸送用.下関市のごみ焼却灰輸送用で,本来は下関と新南陽の間で使われているらしい.この日,僕の目の前に現われた理由は,もちろん,不明である.

16時前には,こんな車輛も顔を見せてくれた.
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キハ40系改造の“et SETO ra.踏切の反対側にいれば,ほぼ順光で全体を撮影できたのだけれど,まぁ,しょうがない.現物を見ることができただけでも幸いとせねば.

そして本題の……ちがうっ…跨線橋.
いや,その前に,踏切脇に存在する謎の線路をお目に掛けたい.
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踏切から広島方を見る.上り本線から分岐して踏切直前までの側線が1本,存在している.昭和59/1984年に廃止された貨物扱いのための線路なのだろうけれど,なぜ残されているのか.分岐器は,乗り越しではなく普通のポイントのように見えた.保線用車輛の置き場?にしては,使われている様子がないのも不思議である.

さていよいよ跨線橋.古レールが多用されているタイプで,駅本屋(海側)は下り方だけに階段があり,上りホーム側は両方向に階段がある.駅本屋側は,階段を降りた先には本屋がなく,回れ右する必要がある.これは,元来は階段を降りたところに本屋があって,いまは仮の建物であるからで,不思議はない.元の駅本屋は平屋ながら大規模な建築物だったと記憶している.写真を撮っていない(はず)のが悔やまれる.
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上りホームから見た跨線橋と現在の仮改札口.階段を降りた右が旧本屋跡.ホームの擁壁には二度に及ぶ扛上の痕跡が歴然としている.中線が1本,撤去されていることも解るだろう.
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下りホームから見た跨線橋.残念ながら建物財産標はなく,レールの銘もほとんど全く,読み取ることができなかった.画面左で新しい橋上駅舎が建設中.2022年の完成予定だそうである.

気がつけば太陽は大きく西へと傾き,やはり22年振り(多分)の再会となる旧友との待ち合わせ時刻が迫っていた.本当は広島電鉄の市内線で広島駅へ戻ろうと思っていたのだけれど,もうそんな余裕はない.そのまま227系の客となった僕である.


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この3月13日のダイヤ改正で,西武鉄道では2つの駅で改称を行なった.ひとつは西武山口線“遊園地西”から“西武園ゆうえんち”へ,もうひとつは山口線と多摩湖線の“西武遊園地”から“多摩湖”への改称である.
 かつて…僕が西武線沿線住民になった頃の新宿線には,“準急 拝島・多摩湖行き”という列車がたくさん走っていた.解結作業は萩山で行なっていた.何度か作業風景の見物に行った記憶があるのだけれど,ちょっとネガ引き出しを探ってみた範囲では見つけることができなかった.日常のスナップはカバーに撮影地を書いていないことが多く,一齣ずつ確かめる必要がある.その作業は,面倒というより,自分がタイムトラベラーと化してしまう…いう意味で大変なのである.
 それはさておき,“西武遊園地”駅は,いつまで初代“多摩湖駅”だったのかといえば,西武鉄道が昨年2月26日付けで発表したプレスリリースによれば,昭和54/1979年のことだそうである.
 村山貯水池として開業したのが昭和11/1936年12月30日,狭山公園前への改称が昭和16/1941年4月1日,そして多摩湖となったのが昭和26/1951年9月1日,西武遊園地に変更されたのが昭和54/1979年年3月25日,ということのようである.
 と,するならば,西武遊園地という駅名が43年間続いたことになるわけで,歴代駅名の中で,もっとも長い時間を経過していることになる.2番目が多摩湖で29年.その割には多摩湖の印象が強いのは,どうしてだろう.西武新宿からの直通電車があったからだろうか.いやいや,西武遊園地になってからでも直通運転は残っていた.ではなぜ?不思議である.

ということで,新しい駅名標や行先表示を確かめるため,半年ぶりに新宿線系統を散歩してきた.もちろんそれだけではなく,そろそろ多摩湖線にワンマン仕様9000系が増えてるかもしれないということと,いよいよ引退が発表された“レッドアロークラシック”を記録できないだろうかという目論見もあっってのことである.
 しかも,許された時間は半日弱.運に天を任せて事務所をあとにした僕である.

新井薬師前から乗った急行電車の車窓に見えた特急“小江戸”は,上りも件も一般職編成だった.うろ覚えによれば,昼間の特急は2編成で運用をまかなうことができるはず……ということで,新宿線の途中で降りるのは止めにして萩山へ直行.
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目の前に現われたのは9102の編成だった.今年になってから改造が落成した新顔ではある.
年末に池袋線から引退した9106の編成を期待していなかったといえばウソになる.


去年の秋に目撃できたのは9105とレジェンドブルーの9108編成……というのを確認するために読み直してみたら,残存編成として,既に廃車となっていた番号を並べ立てていた.お恥ずかしい.この機会に訂正しておきました…….
 期待していた9106というのは,京急とのコラボ企画で真っ赤に装われた“RED LUCKEY TARIN”である.一足,訪問のタイミングが早すぎたのかもしれない.
 奥の留置線に見えるのはパンタグラフが菱枠だから2000系に間違いない.萩山と国分寺の間の区間列車に使われている編成だろう.

そしてほぼ同時に到着の9108編成に乗って多摩湖へ.
 あとで昨年秋の写真と比較しようと駅名標などを写し,この駅名を表示するのはお初だろうレオライナーも記録し……帰宅後にファイルを開いてみたら,なんと,改称前の駅名標は,写していなかった!辛うじて撮影していたのは,レオライナーの方向幕だけであった.なんたる.

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レオライナーでは多摩湖の行先表示は初めての組み合わせ.もっとも,9000系だってレオライナーよりもさらに新しいのだから.

改札を出て駅舎の駅名標を撮影し,多摩湖線から101系が引退する原因となった軽量タイプホームドア稼動状況を見るために,そのまま国分寺へ.
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どこで軽量化をはかっているのかと思ったら,ゲートが板ではなく柵になっていた.通常タイプに比べれば,電車と人々との間の“隔離”感は和らいでいるといえるかもしれない.すべてこのタイプでは,ダメなのだろうか.

とって返して青梅街道へ.さきほど車窓に菜の花を見掛けたから.
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残りの2編成が就役したら姿を消すだろう,2000系の“萩山”行きと菜の花である.
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9000系の“多摩湖”表示は舞い戻った萩山の進入で記録.

そろそろ新宿線のどこかへ戻ってみようかとも思ったが,特急が増える時間帯にはまだちょっと早いと思い直して,前回,撮影し忘れた屋根上を跨線橋から撮影することとした.ただし,1側は綺麗に撮れるものの,2側はホーム上屋があるので難しい.そういえはさきほど,一橋学園のところに跨線橋があったような.もう一度,出直しだ.


そういえば,かつての分割併合はどのあたりで作業していたのだろうか……と,記憶を呼び出そうとしたのだけれど,僕が見に行ったのは,まだ351とか1411とかいう数字の電車が大多数を占めていた時代である.編成輛数だって,今の10輛編成なんてとんでもない.2+2輛とか,せいぜい2+4輛だったかの時代である.上屋だって,場合によってはホームすら改築されている可能性がある.西武新宿から乗ると前が拝島行きで後ろが多摩湖行きだったということは,間違いないと思うが.
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駅の両端で路線が分岐する萩山駅では,10輛編成運転会してホームは延長できたけれど,ポイントの移設はままならず,多摩湖からやってきた国分寺行きはボームの途中でポイントを渡り,さらにクロッシングも越して行く.東海道本線の三島を思わせる光景が20分に一度,展開される.こちらのホームに向かって加速してくるさまは,ちょっとした迫力シーンである.

気がつけばもう夕刻.レッドアロークラシックの動向は気になるけれど,そろそろ家路につかなければ……と,東村山で高架化工事が進んでいるのを確かめつつ所沢へ抜けてホームで一息ついていたら,本川越方面の発車案内に“特急 小江戸”が表示された.遠くに見える車両の色が……明るい?
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レッドアロークラシックこと10105編成だった.所沢の駅にも立派なホームドアが完備してしまったものだから,可動式の液晶モニターを活用してのライブビュー撮影となった.

この編成も昨年秋の西武球場前駅での出会い以来である.4月29日に定期運用から退くと発表されたわけだが,この表現は,その後もしばらくはツアー列車などが企画されることを意味していると思う.その後については塗装を戻すのか廃車となるのか…….
 4月16日から,前面と1,4,7号車の車体側面にラストランロゴを掲出することになっている,普段着の姿を記録できる期間は,あと3週間.


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