モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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とれいん]9月号の甲種・特大 運行計画に9/3はEH500-66甲種で ある事が載っています。本当はこれを撮りに行く予定でしたが、都合が悪くなり断念。でも、今までのパターンでは翌日にこの機関車の試運転が武蔵野線で行わ れる事が多く(ただし63号機は3日後でした)近所ですので駄目元で昨日出かけてきました。普通の車両走行写真ですが、出来たてホヤホヤのピッカピカ金太 郎をご覧ください。

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貨車は繋がっていませんが、望遠で正面ガチに撮ればそれっぽく見えるかなと思いましたが、運転台に乗務員が沢山乗ってます(笑)
何人乗っているのでしょう?加速する所だったのか、凄いスピードで迫ってきました。

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手前に引いて横位置で・・・今回珍しいと思ったのは、区名札の横に試運転の「試」の札が・・・。区名札も甲種輸送では無いのですが、この試運転の時点で「仙貨」や「門」の札を入れることが多いようです。

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下りの試運転が通過してから1時間半ほどで上りがやってきます。天気が曇りベースなので、いつもは逆光のこの場所で1エンド側をゲットしました。営業運転状態との相違点としてはパンタグラフのすり板両端部に赤色の色差しがまだありません。(仙台総合鉄道部所属車のみ)

試運転はこの1往復ですので、これにて終了。
来週には仙台に回送されて、早ければ今月中には東京に今度は貨車を牽引してやって来ます。どこかでゲットしたいですが、今から楽しみです。

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先々週に続いて“あとわずか”の写真展情報.タイミングの問題でこうなってしまったが,それでも駆けつける価値のある催しなのでご紹介する次第(9月6日(日)までである).
 テーマは台湾・羅東森林鉄道.
 台湾の東海岸にあって,1970年代後半まで現役として存在しながらも,阿里山と違って観光地的な要素がなく,さらに交通の便も悪くて,訪問した人が少なかった鉄道である.
 日本人のファンで最初に訪れたのは,おそらくは1960年代半ばの,“けむりプロ”の面々ではないだろうか.
 今回の写真展では,その“けむりプロ”の一員である杉 行夫さんを筆頭に,“レイル”での中国大陸現役蒸機レポートでお馴染みの蔵重信隆さん,そしてやはりベテランファンの野口信夫さんと金澤 忠さんの4人による協演.
 会場は三愚舎ぎゃらりー.都電荒川線の鬼子母神前(きしぼじんまえ)から徒歩数分.ちょっと目立たないから,もしかしたら通り過ぎてしまうかもしれないが,それはそれで鬼子母神堂(きしもじんどう)に立ち寄ってから,というのも悪くはない.

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“おそれいりやの……”ではなく,雑司が谷の鬼子母神.都電の停留所名は“きしぼじん”だが,ここはやっぱり“きしもじん”でありたい.

さて,写真は,杉さん撮影の1960年代半ばから,ほかの3氏による1979年の廃線まで,蒸気機関車あり客車あり貨車あり,気動車あり,そして人々の姿が克明に記録されている.
 そして極めつけは,蔵重さんが昨年訪問された廃線跡.幾つかの駅は保存され,あるいは失われた建物が復元され,と,ある意味,日本の廃線跡よりも文化的な香りの高い雰囲気を醸し出している様子がきっちりと紹介されているのである.
 僕にとっての羅東は,訪れることができたはずなのに果たせなかった“悔恨の地”のひとつ.それだけに,会場を飾っている数多くの写真は,すべてが悔しさと憧れの対象なのであった.

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現役時代の貴重な記録の数々.もちろん記録というだけではなく,優れた鉄道写真でもあるわけだが.

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2008年の現地の様子.復元された駅舎は,現地産の桧で作られている.残念なのは屋根.日本瓦が入手不可能とのことで,代用品が使われていること.

メンバーの夢は,台湾現地…台北だけでなく羅東でも……で同じように写真展を開催することだという.実現すれば,必ずや大反響となることだろう.

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メンバーのうち,杉さん(画面右),蔵重さん(その左),野口さん(その左).金澤さんは失礼してしまった.ごめんなさい.画面最左端はモデルス・イモンの井門さんである.
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この場所で隔週でブログを書くようになって早くも半年.本欄のタイトルが“モデラーな日々”と謳っているにもかかわらず,ちっとも模型を作っていない… ということで,今回は反省の念も込めて,久々に米国型のプラキットを引っぱり出してみました.
 とれいんの連載“米国客車の楽しみ”でも度々ご紹介した,ブランチライン・トレインズ“BLUEPRINT”シリーズの重鋼製客車ですが,今回は“80' SINGLE WINDOW COACH”のニュー・ヘヴン鉄道塗装をご覧に入れましょう.
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見ての通り,接着剤のみで組める塗装済プラキットですが,パーツ点数がとても多いので,腰を落ち着けて組むとなると,休日まる一日ぐらいは余裕でかかります.なにしろ窓ガラス一枚一枚を側板にゴム糊で固定しなきゃならないし.
 ただしプラ製とはいえ,重鋼製客車の特徴を良く捉えたプロポーションの良さはダントツ.手持ちのショアハムーサムホンサ製プルマン寝台車の真鍮モデルと繋げても,全く違和感がありません.
  その見栄えの良さに惚れて,同社のキットは今までに10輛近く組みましたが,やはり現在の市場では組み立ての面倒さが嫌われているようで,このところ新製 品が停滞気味なのが寂しいところ.プルマン寝台車のペンシー戦前塗装なんか出してくれたら,ばんばん買って“ブロードウェイ・リミテッド”のヘビーウエイ ト編成を組むのになぁ.
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車体のリベット表現などもウォルサーズ製重鋼製客車などに比べてスケール感に優れていて実感的.さらにカプラー胴受け廻りや床下のディテールは真鍮モデルと 見紛うばかりの細密さですから,これでキットが約40$ってのは,客車ファンにとっては実に有り難い製品だと思います.
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さて,ニューヨークから北へと向かうニュー・ヘヴン鉄道(New York, New Haven & Hartford Railroad)ですが,ニューヨークーボストン間のメインルートへはペンシーからの直通列車“セネター”を乗り入れていたこともあって,東部(特にペ ンシー)好きの私としては外せない鉄道の一つです.電化区間を走った様々な電気機関車など,話題は尽きませんが,そのあたりはまた次回に…

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今日は横浜・神奈川デスティネーションキャンペーンの団体臨時列車「開港150周年記念号」が走りました.
 今年で,横浜・函館が開港150周年,新潟が開港140周年を迎えました.これを記念して,横浜〜函館間を新潟経由で訪れるという列車の旅です.
 これはJR北海道,東日本がそれぞれ企画した個人型の旅行商品で,JR北海道は札幌〜木古内間の主要駅発横浜行き,JR東日本のは横浜発函館行きで,青森〜横浜間は24系客車で移動するというものです.
 大宮〜横浜間は湘南新宿ラインのルートを通るので,普段は寝台列車が運行しない経路を通るというところも魅力ですね.
 青い客車欠乏症(笑)の私はさっそく見に行ってしまいました.

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まずは今日朝8時36分.昨日の夕方青森駅を出発した団臨が終点横浜駅6番ホームに到着しました. 6番ホームに24系客車が入るのは「銀河」廃止以来で しょうか?? 編成は ←横浜 EF81 81+オハネフ25 201+オハネ25 147+オハネ24 44+オハネフ24 15+カニ24 25+EF65 501 →青森 でした.

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横浜でお客を下ろしたあと,いったん保土ヶ谷へ引き上げて,また都心方面へ戻っていくところ.  う〜ん.もしかして500番代がブルートレインを引っぱっているのを見るのは初めてかも知れない!!! って,家に帰ってから気がつきました・・・
 レトロ横濱号の旧客牽引でも大活躍だったPトップ.ピカピカでかっこいい!

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今度は夜,21時少し前,横浜発青森行きの団体臨時列車が10番ホームに入線です.
あれ! 機関車がカシオペア牽引機に換わっています.しかもさっきEF65がついていた側です.いつのまに換わったのでしょう.反対側はちゃんとEF65 501でした.

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ヘッドマークもついていました.黄色の車体に青いヘッドマークがとても映えています.青森到着は明日の16時30頃.今頃どこを走っているでしょうか.

この列車の旅が6月から続いたデスティネーションキャンペーンのファイナル企画ということです.
 旧客が走ったり,いろいろなイベント列車で賑わった横浜の3ヶ月間でありました.「横浜・開国博Y150」は9月27日まで開催ですので,まだまだ横浜は熱いですよ〜!
というわけで,最後はみなとみらいの夜景をどうぞ〜.
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“とれいん”の昨年9月号“CoffeeCup”でご案内した,東急車輛の“東急車輛産業遺産”制度.その指定第2号車が,今日8月27日に公開された.
 第1号である元東急電鉄デハ5201に続く第2号車の指定は,保存車輛用の線路が2輛分敷かれていたことから,遠い未来のことではあるまいと,簡単に予想されたことである.
 ただ,具体的にどの車輛が2輛目にふさわしいのか,その選定については部内でも大いに議論があるに違いない……と思っていたのだが,実になんともあっさりと元東急電鉄デハ7000形に決まった.選定理由は,
“現在の東急車輛があるのはオール・ステンレスカー製造のノウハウであり,その量産第1号形式である東急電鉄デハ7000系”
 とのこと.確かにその通りである.
 車号はデハ7052.昭和40/1965年製だから,デハ7000形の中では後期の製造グループに属する.冷房化改造が行なわれておらず,その他の部分も比較的原形に近い.運転室のマスコン・ブレーキ弁がワンハンドルになっていることと,保安装置の箱が運転室と客室の間に追加で設置されていることが大きな改造点といえるだろうか.
 東急電鉄の鉄道線用営業車の中では最後の非冷房車として,相棒のデハ7057とともに,平成11/1999年まで子供の国線で現役だった.
 廃車後,構内入換車として東急車輛が譲り受け,つい先日,上田電鉄から里帰りしたデハ7200形に仕事を譲ることによって保存が可能になったという次第.
 細かい部分まで丹念に整備され,磨き上げられたデハ7052は,デハ5201と背中合せに置かれている.気軽に“見せてください”というわけにいかないというのが唯一の残念な点だが,金網越しならば観察することは可能(正確には,その金網のある道も私有地ではあるそうだが).

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実に美しく整備されたデハ7052.背後のデハ5201とは車体断面や車体高さが全く異なることに気づかされる.もっとも,保存状態では枕バネに空気が入れられていないので,標準的な高さより,さらに低くなってはいるのだが.

今回の事業では,デハ7052だけではなく,隣接する建屋を活用して“歴史記念館”も整備された.館内には昭和21/1946年に“東急横浜製作所”として始まる東急車輛の歴史年表や歴代銘板の数々,そして敷地の前身である“帝国海軍航空技術廠支廠”の遺品などが展示されている.こちらも原則非公開.但し,グループなどで工場見学を申し込んで受け入れられれば見ることが可能.

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歴史記念館内部の一部.壁面の歴史年表.手前のケースには,ソ連(サハリン)向け客車の銘板など,歴代のプレート類や製品カタログなどが展示されている.

そしてもうひとつ.これは東急車輛の製品ではないのだが,いわゆる“松葉スポーク”の車輪が3軸,ベンチ代わりに置かれている.
 これは,同社の社内で仮台車に組み込んで使っていた古車輪.1897年のランカスター製や明治42/1909年の大宮工場製などが含まれる.いつ,どこからやってきた車輪たちなのか,その出自は残念ながら不明.

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歴史記念館前に置かれた3軸の松葉スポーク車輪のひとつ.手前の輪心が大宮工場製,向うが英国ランカスター製.スポークの形が異なっているのが判るだろうか.

ということで,思っていたよりも早いテンポでの整備拡充が進められている“東急車輛産業遺産制度”だが,とりあえず線路は一杯になった.けれど,その横にはまだ敷地はある.急な展開でなくてもよい.着実に整備,維持していただけるよう,お願いしたいものである.

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事務所の屋上から見たデハ7052とデハ5201,そして歴史記念館.折りしも京急初のステンレス車輛N1000形最新グループが通過して行った.これも同社の製品である.

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