モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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8月4日,東京汐留の旧新橋停車場の鉄道歴史展示室で「特急“燕”とその時代」展が始まった.昨年12月から今年の3月まで開催されていた「制定80周年 トレインマークの誕生」展に続いて,若干のお手伝いをさせていただいたこともあり,とれいん9月号の編集作業が終わるや否や,出向いてきた.

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入り口から見た展示室全景.手前に見えるのは“燕”ならぬ,船と飛行機とバスの模型.

会場に入って真っ先に目に入るのは,古い飛行機(フォッカー・スーパー・ユニバーサル)と大きな船(貨客船“ぶえのすあいれす”),そして背中を向けた古いバス(鉄道省営バス)の模型.
 “燕”の展示会だよね,という疑問を頭に浮かべつつ歩みを進めると,次に目に入るのが,当社刊行物の古くからの読者ならば強く記憶に残っているであろう,高田隆雄さん撮影の,国府津駅を発車する“燕”の3連写.その下には,細江正章さん撮影による,展望車から見た走行解放の瞬間の写真も展示されている.

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名作“国府津駅を発車する超特急燕”の3連写.大型機関車,鋼製客車,自動連結器(直接画面に写っているわけではないが),太いレールという,鉄道全体の改良の成果としての“超特急”であることが,すべて写し込まれている.

続いて展望車の話や駅弁,国際連絡列車としての役割,丹那トンネルの開通,流線形の登場などに触れられていて,やっぱり“燕”の展示会だよねと納得しつつ,一方ではさっきの模型の疑問が解けないままに会場をめぐっていくと,“東京へ向かう最後の特急つばめ”の写真が登場し,その次に“その後のつばめ”の写真が7枚登場して,プツッと終わりになる.戦後まで語りはじめると,この展示室の面積では収拾がつかなくなるのが明白.ならば昭和18/1943年の運転中断で区切った方が密度が高くなる,という狙いなのだろうが,見る者には,実になんとも強い余韻が残る“見せ方”である.

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運転最終日の戦前の“燕”(手前)と,“その後のつばめ”として展示されている,戦後から現在までの“つばめ”たち.

そして振り返った所に置いてあるのが,昭和5/1930年製の電気洗濯機や電気冷蔵庫,木製の氷冷蔵庫や盥や洗濯板.壁面には昭和初期の洗濯講習会の様子を写した写真.

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手前から昭和5/1930年製の電気冷蔵庫,電気洗濯機,氷冷蔵庫,盥と洗濯板.電気冷蔵庫と電気洗濯機は,東芝科学館(東芝の資料収蔵部門)から,初めて部外展示されるものだという.これはこれで“みもの”だろう.

これでようやく全ての疑問が氷解した.単に“超特急 燕”を紹介するのではなくて,“燕”が存在した時代を,この展示は語りたいのだ,と.いや,タイトルには最初から“その時代”という言葉が加えられているではないか.こういうアプローチは,今までの鉄道関連の展示会には少なかった.
 入場無料であり,“近くまで来たから寄ってみよう”ということが多いだろう旧新橋停車場の展示室は,有料で“そのために出向く”であろう大宮の鉄道博物館とは,訪問者の性質が自ずと大きく異なる.
 開館して丸5年を経て,この展示室は,そんな“気まぐれな不特定多数”の訪問者の心を上手に捉える“技”を掌中にしたのではないか.
 この企画展は11月23日まで.会期中の休館日は祝祭日を除く毎週月曜日と9月24日(木),10月13日(火).なお,充実した内容の図録が700円で用意されている.

注:展示室内は撮影禁止です.ここに掲載した写真は,事前に東日本鉄道文化財団の許可を得て撮影したものです.

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ちょっと旧聞に属するのだが6月にイギリスを訪れた帰りに、「ぜひ遊びに来てくれ」と言われていた、ミニネイチャー輸出元のフレヴィー社を訪ねてオランダはアムステルダムに立ち寄った。
 「午前中は抜けられない仕事があるので、午後に迎えに行くから」
との言葉通り、午後1時頃にアムステルダムの中心部にある私のホテルに同社のゲラルド社長がボルボのワンボックスでやってきた。
 「今日はどこに行きたい?」
と聞かれたのだが、前からゲラルド氏は「農業が本業だ」、といっており好奇心もあって、
 「あなたの農場を見せて欲しい」
と言ったら、「それは嬉しい、ぜひ見て欲しい」とのことで、早速案内してもらう。
  市内から北へ50キロほど、高速道路なので30分ほどで着いてしまうのだが、あたりは一面真っ平らな畑ばかり。聞けば1920年代に干拓して出来上がった 土地だったが、第2次大戦のドイツ軍の攻撃で堤防が破壊され、ふたたび海の底に戻ってしまった。それを1950年頃に再び干拓し直して農地としたのだそう だ。
 そして案内された彼の自宅兼オフィスでは、巨大な無蓋トレーラーが駐車しており、ジャガイモの出荷が行われている。

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巨大トレーラーにベルコンでジャガイモを積み込み中

 「このトレーラーは何トン積?」と聞くと、
 「40トン積」と軽く答える。冷蔵倉庫に貯留してある昨年収穫したジャガイモを、洗浄、選別して積み込むのに3人がかりで約半日だそうだ。倉庫からジャガイモを運び出すのも巨大なショベルローダー。まったくすごい世界だ。
 その後畑も案内してもらう。案内してもらったジャガイモ畑は白い花が綺麗に咲いている。今年9月に収穫する予定とのこと。
 「このジャガイモ畑はどのくらいあるんですか」
 「8.5ヘクタール、ヘクタールあたり50トンの収穫を予定しているから、425トン、さっきのトレーラーで10台分ぐらい」。
その他に収穫時期の違うジャガイモ、小麦やシュガービーツも作っていて、総面積は82ヘクタールあるそうだ。日本の農地から見たらびっくりするような規模である。
 そしてもっと驚いたのが農機。もちろん巨大なトラクターが様々なアタッチメントを引っ張って、耕したり、薬剤を散布したり、収穫したりしているのだが、これがGPSを使って自動運転しているのだ。
  GPSは運用している米国が意図的に制度を落としているので、必ず数メートルの誤差があり、そのままではうっかりすると道路まで耕してしまいかねないのだ が、自宅にもGPS装置を取付、実際の緯度経度との誤差をトラクターに発信して、誤差を吸収するので、数センチの精度を出すことができるのだそうだ。そう いわれてみれば畑の畝はどこまでもまっすぐ伸びていて、無駄がない。

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この巨大なトラクターが誤差数センチで自動運転するのだ

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これが木の枝セットの若芽。回りの植物は雑草で取り除くのが大変だ、とゲラルド氏

 そして最後に案内してもらったのは、以前弊社で扱っていた「木の枝セット」の畑。まだ若芽の状態で製品の姿は想像もできないのだが、畑は1ヘクタール以上もある大きなものだった。
 干拓地で真っ平ら、ということもあるのだろうが、これが大規模農業だ、というまさに実例。思わぬ人脈で見学させてもらうことができた。

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さてさて、いきなりの宣伝です。なんと当サイト(etrain.jp)では今後、とれいん編集部宛に送られた新製品を併せて紹介します!

メーカーの都合で とれいん 発売日まで掲載を控えるような依頼があるものは残念ながら掲載できませんが、それ以外は発売日前に掲載してしまうつもりです。最近の製品は少量多品種のものが多く、月に1回の雑誌では、“知ったときには既に完売”という事もありうるのです。

ただし、速報性を第一にしているため、製品名、スケール、商品の販売形態、価格、備考程度しか掲載できない事はご承知おきください。細かい説明は本誌をご覧頂ければ・・・

とりあえずサンプルとして、今月4日に当編集部に届いた杉山模型の“GARRATT-TYPE LOCO”を掲載します。本誌発売は21日ですから約10日も早い掲載です(注:当製品はJAM限定なので同社に直接、注文の電話をしないでくださいね)。こういうネットならではのメリットを活かして、より良い情報提供と趣味ライフのサポートをできれば・・・ 建前じゃなく、本当に我々スタッフはそう思っているのです。基本は“私達も、そんなサイトが欲しかった!”です。

■本誌・etrain.jp読者様
こんな新製品を紹介して欲しい!そんな要望がありましたら、どんどんご意見をお寄せくださいね。

■メーカー・ディーラー様
本誌“新車登場”欄に掲載経験のないメーカーやディーラーでも、サンプル、もしくはリリースをお送り頂ければご紹介いたします。是非、当サイトをご活用くださいませ。

すべてのメールアドレスは
info(あっとまーくを入れてね!)eriei.co.jp
です。すべてにお返事はできませんが、必ず専属スタッフが拝見いたします。たくさんのメールをお待ちしております。

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暑中お見舞い申し上げます。 暑いですねぃ。
このブログで大阪ネタが、水~木曜日と続きましたが、実は私も今大阪にいたりします。(笑) 
キヤノンギャラリー梅田でJRPS写真展の大阪展(~12日まで開催中!)をやっていてその関係で来ています。
では私も大阪ネタを・・・なんてやるとさすがにクドイですよね。ではやめておきますか・・・。(汗)

一昨日、知人に誘われ山梨県の富士吉田市に出かけました。富士急行さんにお邪魔したのですが、伺う時間が13時過ぎというのもあり、午前中に沿線で撮影して来ましたので、その何点かご覧ください。

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夏と言えば向日葵(ひまわり)です。その横を1000系が行きます。元京王5000系です。この車両って昔ウチの近所で走っていたんですよねぇ。元気に活躍していてとても嬉しかったです。

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フジサン特急!!元パノラマEXPアルプスも元気に走っていました。富士山のキャラがとても楽しいのです。

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フジサン特急も向日葵を絡めてみました。(笑)

で!・・・。何しに富士吉田市まで??
それは・・・

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2009年8月8日から・・・つまり今日から新たに富士急の電車が走り始めます。その名も[富士登山電車]。元京王5000系に富士急行の前身[富士山麓電気鉄道]モ1のサビ朱色に工業デザイナー水戸岡鋭冶さんによるデザイン。

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富士登山電車]は1号車赤富士、2号車青富士と車両が分かれて車内の様子も2種類。画像は青富士の様子です。

この電車は8月8日はオープニングイベントに関わる運行ですが、9日からは普通運用にも付くそうです。
外観も車内もとても楽しい電車(赤富士はレトロ調!)ですので是非この夏休みにお出かけになられては如何でしょうか??

車両の詳細は[とれいん](10月号予定)に掲載予定です。

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6月18日に大阪高島屋東別館のことを書いたが,その後,別の探し物をしていた時,肝心なものは見つからず,2年前に撮影した,同じ大阪堺筋の古い建物の写真が発掘された.
 高麗橋(こうらいばし)というのは,それこそ古い大阪の中心地である,いわゆる船場(せんば)の北部に位置し,薬問屋の集まる道修町は堺筋の両側に拡がっているのだ.そうして,堺筋という通りは,昭和の初めに御堂筋が出来上がるまでの,大阪の南北の通りのメインだったのだから,多くの象徴的な建物が存在していて当然のエリアなのである.
 戦災をかいくぐり,再開発の波にもめげずに残された建物たち.子供の頃,この辺りに来る用事があったりしたものだから,記憶にある建物も少なくない.けれど,もちろんその頃には当たり前の風景だったから“歴史の目”で観察することなどなかったわけだし,“日本一”などという行き先の市電の窓から眺めるだけということも多かった.あれからもう40年以上が経っている.様変わりぶりも大きい.
 古いものでは小西の旧宅(コニシボンドのコニシである),ちょっと東へ御堂筋のほうへ歩けば,近代的なビルの中に古い商家がそっくりと収まった,妙な光景に出会うこともできる.塩昆布などの老舗である神宗(かんそう)の本店で,建物そのものはレプリカなのだが,古い船場の風情を味わうことができる.
 いわゆる近代建築は,もう明治から昭和にかけての建物が数え切れないほどある.嬉しいのは,そのほとんど全てが,今もなお現役であること.順不同に挙げるなら,三井銀行大阪支店,生駒時計店,日本基督教団浪花教会,高麗橋野村ビルディング,そして今はフレンチレストランに変身している,元大阪教育生命保険(のちに大中証券)…….
 どれもこれも個性的で,統一感がないといえばいえるのだけれど,それはそれで,また趣きが,と思う,近ごろの僕なのである.

それらの中から今回写真をお目に掛けるのは,僕の記憶になかった建物.それは八木通商という会社のビル.住所的には今橋2丁目に存在している.近頃は便利なもので,インターネットの海へ泳ぎだしてみれば,基本的な情報は集まってくる.

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北東から見た八木通商ビル.3階部分は明らかに増築.1,2階部分はとても自然なテラコッタ仕上げに見えるのだが…….

それによれば,設計者は,なんと辰野金吾であるという.辰野金吾といえば鉄道好きには東京駅だけれど,大阪のこのあたりでは,なんといっても中之島の中央公会堂である.その目と鼻の先に,こんな洒落た建物を設計していたとは……と思ったのだけれど,実は最初は煉瓦仕上げだったのだそうだ.
 完成したのは大正7/1918年.大阪農工銀行(後の日本勧業銀行の一部…現在のみずほ銀行の一部)として建設されたものだという.そして,昭和4/1929年に國枝 博という建築家によって大規模な改修が行なわれ,今の姿になったのだという.そんなこと,知らなければそのまま通り過ぎてしまいそうなほど,自然な改築といえる.しかし,新築からわずか10年での大規模改築,早すぎないか?なにか問題があったのかと勘繰ってしまう.

現在の姿で,なによりも特徴的なのは窓や扉の回り.アラベスク模様というのだろうか,過剰ともいえるその装飾は,子供心にも印象的だったはずなのに,なぜ,記憶に残らなかったのだろう.もしかしたら,すぐ近くの,いかにもクラシックの香りが強い,煉瓦造りの“大中証券”に心を奪われたのだろうか.実はその大中証券も辰野金吾なのだそうだけれど.

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実になんとも豊かな表情を持った窓であることか. 昭和4/1929年といえば,世の中の趨勢は既に“モダン”であっただろうに.

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玄関口の上部の装飾.照明器具とも妙にマッチしているのが不思議.

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建物の北面.隣のビルとの境目から西面を覗き見れば,もしかしたらオリジナルかもしれない煉瓦の外壁を見ることができる.

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