モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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先週、突然LANディスクが吹っ飛んでしまいました。この装置を移動しようと、シャットダウンボタンを押して終了作業に入っている最中、あやまって電源コードを抜いてしまったんです。

抜いたときは「ああ、やば」ぐらいの気持ちだったんですが、再起動してもエラーが出て起動しない。説明書を読み、ネットを検索し、サポートセンターに電話し、2日ほど格闘しましたが結局直らず、中に入っていたデータはすべて無くなってしまいました(泣

でも、幸いだったのは、これが自宅のLANディスクだったこと。もし会社のサーバだったら、今月の『とれいん』は出ていなかったかもしれません。いや、私にとっては超・不・幸!!なんですけど。

吹っ飛んだのは昨年導入したIO-DATAのHDL-GT2.0(2TB)です。少しバックアップにお詳しい人なら分かると思いますが、この中にはハードディスク(以下HDD)が4個入っていて、利用者の好みで独立した4つのHDDとして使ったり、2個ずつストライピング(仮想的に1つのHDDにすること)したり、3つをストライピング、1つを独立HDにしたり、4つ全てをストライピングしたりできるわけです。買った当時は、10万円したので決して安くない買い物です。

これにOMRONの無停電電源装置(停電時に電気を供給し、雷サージにも対応した装置)をかませていますから、個人としてはかなり対策を講じているだろうと自負していました。

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自宅のウォークインクローゼットの一角。左から光回線終端装置、CTU(加入者終端装置。ルータを兼ねたもの)、LANディスク、無停電電源装置(UPS)です。ここまでで十分だろうと思っていたのに・・・

しかし、私がLANディスクで構築していたのはRAID5でした。これは4つのHDDがお互いにデータ補完をしあい、1つのHDがクラッシュしても新しいHDDと交換すれば、データを一切消失ぜずに復活できるというものです。HDDが2つ同時にクラッシュすることは、あまり考えられないので、これで十分だろうと思ったのです。

しかし、RAID5はお互いのHDDで情報のもたれ合いをしています。つまり何かを保存している最中に電源が落ちると単独HDDよりも決定的に深刻なダメージを受けるのです。それが今回の私でした。無停電電源装置があってもLANディスクの電源コードが抜けてしまったのだから救いようがありません。

やはり、もうひとつバックアップディスクを用意するべきだったのです。

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そこで買ってきたBUFFAROの外付HDD(1.5TB)。池袋にできたばかりのヤマダ電気LABI1日本総本店で1万ちょっとで買えました。

LANディスク自体にもバックアップ機能はあるのですが、これが結構ショボイのです。IO-DATAでも出たばかりのHDL-GTRシリーズなら差分バックアップ(変化分だけ保存する機能)ができるのですが、このマシンでは完全バックアップしか対応していません。これじゃ、バックアップに毎日数時間掛かってしまいます。フルで埋まったときには1日でも済まないでしょう。そこでバックアップ専用ソフトも購入しました。

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ネットで評判の良かった“Acronis True Image Home 2009”をとりあえず購入してみました。アマゾンでも売ってるようです。これどうですか?

・・・と、これが届いたのが昨日の話。早速バックアップしてみようと思います。あと、会社の編集用マック用サーバも怖くなったので、ソフトを買いG5からリモートで行うことにしました。

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海外のシェアウェアソフトで$40で購入した“ChronoSync”今までは旧OS(ver9.2.2)で“HyBackUp”を使用してましたが、こちらは開発を止めたようです。

以上、バックアップって大変だし、お金がかかるし、面倒ですよね。でもちゃんと保存しておかないと、せっかく撮影したデータがパーになってしまいます。鉄道データなら自分だけの問題ですが、夫婦の写真、お子さんの写真を吹っ飛ばしたら、それはそれは深刻な問題に発展しそうです(怖

CD・DVDもいまいち信用できませんからね(何度も飛んだ経験アリ)。Blu-rayディスクに複数保存し暗所に保管、別にHDDにも・・・と考え出したらキリがありませんが・・・

便利なようで、こういう点はほんと困ります。デジタル時代って。

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鉄道コンテナ輸送50周年記念列車出発式が2009年11月8日(日)11時から 東京貨物ターミナル駅構内(コンテナホーム21番線)で行われました。
再 現した[たから]号のヘッドマークを装着したEF210電気機関車牽引で新型コキ107系10両に記念カラーコンテナ(19D)を限定50個新制し、積載 して出発するという内容でした。 出席者は関係者来賓のほか一般から親子ペア48組96名が招待され、その中から1人一日駅長として出発合図を行いまし た。その様子がこれ↓
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[たから]のヘッドマークを掲げ出発を待つEF210型。
テープカットの後、一日駅長「蟻川さん」の合図とくす玉割で出発(左上)
記念カラーコンテナ列車の編成を後部から(左下)

さて、この記念カラーコンテナ今後の行方ですが、とりあえず式典の翌日11月9日から東京貨物ターミナル→札幌貨物ターミナルの運行区間で運行されるのがわかり、綺麗に揃っているのは今のうちかな?と出かけて来ましたのでご覧下さい。
ただし、コンテナは50個のうちコンテナ車7車分の35個の積載で運行されました。

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西国分寺駅を通過するEF65-1000牽引9089列車。帰宅時間のピークでホームには沢山の人が電車を待っていました。さて、この記念コンテナに何人が気づいたでしょう??

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貝田のSカーブを行くEH500牽引8051列車。やって来る直前まで濃霧で撮影も危ういところでしたが、急速に霧も取れ背景の紅葉もチャント見て取れました。ヨカッタよかった。万歳です。

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続いてその後打ち。この後は紅葉を撮りながら帰路に着きました。  この次はどこでこのライトグリーンのコンテナが見れるのか? 今から楽しみです。

おまけ。
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今回の出発式で資料のほかに記念として↑このストラップを頂きました。きてぃちゃんのハコ乗り具合が何ともですが、ナカナカかわいいストラップです。
11月22日に開催予定の隅田川駅貨物フェスティバル会場で買えるようです。

デハ。

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この8月,211系,213系の撮影取材で東海道本線の木曽川を訪問したときのこと.木曽川左岸の築堤に通路トンネルと架道橋をみつけた.両者の煉瓦と石の使い分けが印象的で,列車待ちの間に少し観察してみた.

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木曽川左岸の東海道本線築堤に穿たれた通路.開通時のものだろうか,それとも後年の構築だろうか…….木曽川橋梁の歴史を調べてみなくては.

通路トンネルの名前はメモするのを失念したので不明だが,堤防から遠くないところにあって,トンネル部の上半分アーチ部だけを煉瓦で巻いて,下部構造と翼は石積みという組み合わせ.煉瓦は“小口積み”と呼ばれる方式で積まれている.すなわち出入口から見て煉瓦の小口だけが見える積み方である.
 石は,整然とした切石布積みで,上端と飾り石(笠石というのだそうだ)だけが置き方が異なる.

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山側(木曽川の堤防から名古屋に向かって左側)から見た,史郎兵衛北架道橋の全景.上下線間の約1メートル位は,桁が載る部分とは石の積み方が異なっている.

通路トンネルの名古屋方に,小さな架道橋がある.史郎兵衛北架道橋(しろうべいきたかどうきょう)というのが正式名称.橋台は実に整然とした切石布積みで,翼は石を傾けて積む,谷積み.桁は,今では上下線2線を一体で載せる大きなコンクリート塊(?)だが,建設当時は1線ずつの鋼製プレート桁だったと思われる.
 その他,海側の翼はコンクリートで補強されているし,作業用の通路が線路の両脇に追加されている.そのうちの海側はコンクリート製の板が敷かれ,それを支えるために,手摺の柱を兼ねた古レール製の枠が組まれている.けれど,それらを頭の中で消していけば,明治か大正の姿を再現することは難しくない.

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古レールでできた,作業用通路のフレーム.残念ながら銘を読むことはできなかった.僕は古レールのこのような使い方を初めて知ったが,他でも多く見ることができるのだろうか.

そして,木曽川の煉瓦といえば忘れられないのが,駅構内の油庫(俗にランプ小屋).駅の改良工事に際してその行方が案じられたが,昨年9月,旅客通路上屋の木柱とともに,場所を移動して保存の運びとなった.頑丈な柵で囲われているので,残念なことに近づいて観察することは叶わないけれど,イタズラなどによって傷つけられることがないから,安心ではある.
 なお,木曽川駅の改札内には,国鉄時代に架け替えられた旧跨線橋の主柱基部が保存されている.大正元/1912年の月島機械製だという.これは鋳鉄製なので,またいずれの機会にでもお目に掛けようか.

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大切に保存されている煉瓦製の油庫.日本各地には,顧みられることなくぽつねんと建ち続ける油庫がまだまだ存在していることだろう.
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前回に続いてBetsyの組立記を書こうと思っていましたが,今回は本誌の編集作業が佳境となっているので1回お休みします.再来週までに塗装したいなあ…
  今月発売の“とれいん”では,京成電鉄創立100周年にかこつけて“青電・赤電”の特集を企画しました.私も幼稚園の頃から沿線に住んでいて,小学校高学 年まで毎日のように京成電車を眺めていましたから,青電・赤電の活躍した時代には一家言あるつもりです.そうした思い入れも含めて,貴重なカラー写真のグ ラフなど,私鉄ファンには見応えある内容に仕上がったと思います.どうぞ発売をお楽しみに!
 ちなみに私もつたないながら模型で参加したので,今回はBetsyどころではなかったのでした…↓
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さて今回は,久々に米国客車ネタを一つ.しばらく前になりますが,2005年にブランチライン・トレインズからREAエクスプレス・リーファーのHOプラキットが発売されました.
 これは戦後急速に回復した生鮮品急送の需要に対応するため1948年に量産されたタイプで,伝統的な氷式冷蔵のスタイルながら車体は全鋼製の溶接組立てという,クラシックな要素とモダンな要素が共存した車輛です.
 主に旅客列車に併結して運用できるようできるよう,台車はコモンウェルスBX高速台車を装備.重鋼製客車にも軽量客車にも似合うし,小荷物列車として荷物・郵便車ばかりの編成に割り込ませても使える,たいへん便利な役者といえます.
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登場時は銀と緑のツートンに赤のストライプが入るという,気張った塗色でしたが,1950年代にはすぐに緑一色の地味な色となりました.
 本誌でも2005年10月号“新車登場”で紹介し,同年12月号の“米国客車の楽しみ”ではサザン鉄道“ペリカン”編成として登場させたので,バックナンバーをお持ちならば御覧いただければと思います.
  ブランチラインのキットはプラ製ながらモールドが大変スケール感に富んでおり,真鍮製品と並べても全く違和感なく見えるのが素晴らしいところです.最近新 製品が少なく元気がないのが気がかりですが,これからも客車ファンをうならせるハイクオリティーなプラキットをリリースし続けて欲しいものです.
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入り組んだ妻面に正確に印刷されたレタリング,梯子の細さ,そして細かいメッシュの歩み板など,真鍮模型顔負けの仕上がり.こんな製品が塗装済プラキットで1輛数千円で買えてしまうところが,アメリカの模型業界の懐の深さといえる.
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今年の夏にパスポートの申請と受け取りのために,横浜関内のパスポートセンターに何度か行きました.場所はみなとみらい線・日本大通り駅から徒歩5分のところです.
 この行き帰りに“電話交換創始の地”とか“外国郵便創業の局”(横浜港郵便局)といった記念碑を数多く目にしました.
 いくら横浜で育ったとはいえ,このあたりは用がないと来ないところですし,観光目的で来ようとしても,つい大桟橋とか山下公園,中華街などメジャーなところへ行ってしまいます.道脇の記念碑などいままでずっと気がつかなかったのです.
 他にどんなものがあるのだろうとそれ以来気になっていた矢先,横浜市中区役所が発行している「中区の歴史を碑もとく絵地図」というリーフレットを入手しました.それによると実に80近くもの記念碑が存在することがわかりました.
  150年前に横浜に港が開港し,近代水道,電信,ビール,アイスクリーム,ガス灯などなど,さまざまな西洋文明が文明開化の中心地であった横浜に入ってき ました.こんなに多くの碑があったとは今更ながらびっくりなのですが,こうして一覧してみると横浜は西洋文明の受入れ口だったことがよくわかります.

詳しくは中区役所のホームぺージの中区の歴史を碑もとく絵地図コーナーをご覧下さい.地図もPDFで見ることができます.中でも個人的に興味を引かれたのは,“吹奏楽発祥の地”が横浜にあったということですね.(学生時代吹奏楽部員だったので)

鉄道に関係のあるものは
“鉄道創業の地”と“開業当時の横浜駅長室跡”があるとのこと.

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場所は桜木町駅を山側の方へ降りて、関内の方へ少し歩いたところです.ほとんどの観光客はランドマークタワーか汽車道の方へ流れていってしまうので,この場 所は人目につきにくいところで,記念碑はひっそりと建っています.案内板等もないので,たどり着くまでにちょっと迷ってしまいました.

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動輪の形をした台座の上に,丸みのある鉄板が3枚合わさった形,そのつなぎ目部分にはレールがあしらわれています.さらに碑の上部には蒸気機関車の汽笛を模した部品が飾られています.

日 本で最初の鉄道を造るために,明治3/1870年に鉄道資材をイギリスから購入し,横浜港で陸上げされ,建設が始まりました.2年後の明治5年,旧暦5月 7日,横浜〜品川間に鉄道が仮開業し,それから4ヶ月後の9月12日(新暦10月14日)に新橋〜横浜間が本営業として運転され,日本初の鉄道となりまし た.
 この鉄道発祥の地を記念して,昭和42年10月16日にこの記念碑が建てられたそうです.

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記念碑には創業当時の横浜駅の外観と仮開業時の時刻表,運賃表,乗車規則などが刻まれています.当時は1日2往復,横浜〜品川間を35分で運行して運賃は上等が片道1円50銭.中等が1円,下等が50銭だったことなどがわかります.

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また,この碑のすぐうしろ側,数歩のところ,地下道入り口階段の左側には“開業当時の横浜駅長室跡”の碑が埋め込まれています.こんなに小さいので,知らなければ見落としてしまいます.
 いずれにしても,こんなに存在感なく建っている記念碑が実は日本の鉄道の輝かしい歴史を刻んでいると思うと,寂しくもあり,同時に奥ゆかしさも感じてしまいました.

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