新鶴見操車場跡の江ヶ崎跨線橋
前回は,直接的には全く鉄道と関係のない話題だったので,今回は“どっぷり”と鉄道……と題材を探していたのだが,“江ヶ崎跨線橋の解体に着手”というニュースが耳に入ってきた.
この跨線橋,旧新鶴見操車場のほぼ南端に架かっている道路橋なのだが,前身は鉄道橋なのである.このような道路橋は全国各地に存在していて,“とれいん”でも,昨年の8月号で,旧名古屋機関区(現在のJR東海名古屋車両区)を跨ぐトラス橋を紹介している.
こんど解体されることになった江ヶ崎跨線橋は,2種類3連のトラス桁と1種類の下路式プレートガーダー桁で構成されている.うち,2連の大きいプラットトラス桁が日本鉄道海岸線(現在の常磐線)北千住-松戸間の隅田川橋梁用として明治29/1896年に英国のA.Handyside社で製作されたもの.小さいポニーワーレントラス桁が明治28/1895年に,やはり英国のCochrane社で日本鉄道王子-浦和間の荒川橋梁用として製作されたものとされている.
この地にやってきたのは,新鶴見操車場が建設された昭和4/1929年.8月21日に竣功したという.
以来,地元の人々やクルマのための橋として大切な役割を果たして来たのはもちろんのことだが,同時に,操車場に出入りする列車や機関車や貨車の撮影のための足場としてファンにも親しまれてきたこの橋.昨年の9月20日に通行止となり,掛け替え工事が近いことを感じさせたものである.その後はなんの動きもなくてどうしたのかと思っていたら,6月になって横浜市(平成17/2005年にJR東日本と国鉄清算事業団から移管された)から,解体工事着手の案内が出されたのだという.
発表によれば,現在の橋長178.7mに対して新橋は77.8mであるという.ずいぶん短くなるものである.今は線路が敷かれていない西半分は,橋にしないで平面の道路とするのだろう.幅が現状の5.5mが13mに拡張となる.ちゃんとした歩道もつくというから,地元の人たちにとっては大いなる改善が実現することになり,大変喜ばしいことといえよう.
我々が気になるのは,撤去されたトラス橋の行方.何しろプラットトラスは径間200フィート.ポニーワーレンでも100フィートある.おいそれとは保存できるシロモノではない.でも…….
工事施工者がどのように考えているのかは,解体作業の進め方で想像がつこうというもの.行方を注目したい.
……鉄道に,大いに関連してましたでしょ.“どっぷり”と感じるかどうかは,皆さんの関心の方向に拠るけれども.
大きなプラットトラスは,元の常磐線隅田川橋梁用だという.今回お目にかける写真は全て今年の2月の撮影.今とは状況が異なるかもしれない.
径間100フィートのポニーワーレントラス桁.京浜東北線の東十条駅傍にある跨線橋も,桁は同じ年に同じ会社で製作された同形(使われていたのも同じ荒川らしい)である.
ポニーワーレントラスに残っている銘板.残念ながら破損していて文字を読むことは難しい.
派手なトラス桁の陰にかくれて注目度合が低いけれど,東端(写真では右端)のプレートガーダーも,どうやら明治末から大正初期に製作された鉄道橋の転用らしい.