モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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R134表1・4C
南海電気鉄道 軌道線 
  モ161形と仲間たちの一世紀  
◆ヒギンズ写真の真髄 14 南海電鉄 

◆大阪市内南部と堺・浜寺を結ぶ南海電気鉄道軌道線.現在の阪堺電気軌道線は両都市間連絡鉄道として誕生し成長してきました.投入された電車も,長距離運転に適した大型車が多く,中でも昭和3/1928年に登場した電5形は2輛連結運転を目指した総括制御を採用するなど,大量輸送にも対応する電車でした.
◆電5形はのちにモ161形と名前を改め,長らく阪堺間の主役として活躍し,そして間もなくデビューから一世紀を迎えようとする今日もなお,現役であり続けています.
◆今回のレイルでは,そのモ161形を中心とする南海電鉄軌道線の昭和初期大型車を語りつくすとともに,阪堺間の路線が建設された経緯の全容も解明しました.


定価:3,960円
(本体3,600円 税率10%)

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とれいん5月号21日の発売なので“もうご覧いただけただろうか”ということはできない.でも,ほどなく目にしていただけると思うので,ちょっと早い,取材余話を…….報道公開の模様は2月13日付のここでご紹介してはいるが.(※リンク追加と発売日がきたので関連記述修正)

東武鉄道野田線……今はアーバンパークラインという愛称で呼ばれるこの路線は,大正中期の北総鉄道による船橋-柏間の開業に始まり,昭和5/1930年の春日部(当時は粕壁)と清水公園の間の開業をもって現在の体系が出来上がった路線である.その間には全線電化,社名は総武鉄道から東武鉄道へと変遷を重ねている.

この路線の景色にはそれぞれ風情があるけれど,僕がとりわけ好きなのが藤の牛島と南桜井の間.初めて訪問したのは8000系の取材時だっただろうか.
 今回も真横写真などを撮影するために何度か訪れた.記事のタイトル写真もこの区間である.ただし,撮影は土屋隆司さんである.
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これはトップナンバーに取り付けられたデビュー記念のヘッドマーク.光線状態といい,表紙にどうだろうとは思ったほど.でも,架線柱の映り込みなどが気になって,候補にはならなかったカット.
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同じポジションから体の向きを変えて春日部方面を見た風景.やってきたのは,いまや古豪といってよい8000系.車号が5桁になった後期グループとはいえそれでも今や車齢は40年を優に超す.

さて,ここまでご覧になって,察しのよい読者なら,なぜ僕がこの区間を好きなのか,その大きな要素に気づかれたと思う.庄内古川橋梁である.
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橋長は31.369m,単線下路プラットトラス,製作は横河橋梁(現在の横河ブリッジ).典拠は,いつもの土木学会の歴史的鋼橋集覧である.なお,この写真では全景が見えないが,トラス桁の両側にはそれぞれ5.995mの単線上路プレートガーダーが架かっている.また画面左端には線路をくぐる車道がある.ちなみにこの写真は下流から上流に向かって撮影している.
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別の日の朝に撮影した庄内古川橋梁.大正期の鉄道院標準設計であると,歴史的鋼橋集覧には記されている.
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銘板.昭和四年 株式會社 横川橋梁製作所 製作 と,しっかり読み取ることができる.プレートガーダー桁にも,同じものが取り付けられている.
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傍らの堤防上に立つ石碑.写真は人名が列挙された裏面で,反対面には“下郷永沼悪水路普(?)過(?)水利組合排水●記念碑 昭和五年十二月建設”と刻まれている(●は判読不能).鉄道建設と同時に進められていたと思われる,河川改修が終了した記念の碑である.

この橋梁の不思議は,ふつうの上路あるいは下路の鈑桁で済ませられる程度の川幅だと思えるのに,なにゆえ態々トラス桁にしたのか……である.その謎を解くヒントが,石碑に刻まれた“下郷永沼悪水路”という文字列に隠されているかもしれないと思うのだが,さて…….

などと思案している間も,電車は次から次へとやってくる.
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8000系の若番,なおかつ列車種別・行先表示装置が幕式の編成も急行運用に……全編成が共通運用のようだから,当たり前ではあるのだが.
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大宮方からは東武博物館の8111編成もやってきた.なんだかこの編成,僕が待ち構えていると,いつも後ろから姿を現わす.それにしても,5連化が完了の時には,どういう扱いをするのだろうか.
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そうそう,こんなのも見つけた.田圃への取水堰である.今ではほとんどが電動での開閉になっているのに,これは古風なねじ式のまま.しかも現役のようであるのが嬉しいではないか.こういう風景といえば“蔵本村”だが,その作者である坂本 衛さんが,今月号に登場してくださっている.お楽しみに!

※2025.04.21:最新号のリンク追加と関連記述修正



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今から1年半ほど前の2023年10月5日のここで第一報をお知らせした,“西武線に小田急電車がやってくる”というお話.11ヵ月前の2024年5月23日には現車が到着,10月3日には8000系への改番と車体外部デザインをお伝えした.

それから半年,ようやく“西武鉄道8000系”が,今日,4月10日の朝,僕の目の前に現われた.
 “○○駅で見たよ”とか,“さっきすれ違った”,などという話を各方面から何度も聞かされて,ジリジリしていたのは,本当のことである.
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南入曽車両基地19番線でポーズをとる西武鉄道8000系“第3”編成.写真は飯能・西武新宿方先頭車のクハ8103.池袋・本川越方に向けてモハ8203,サハ8303,モハ8403,モハ8503,モハ8803,モハ8903,クハ8003と続く.

種車は8103が元8561で以下順に8511,8461,8311,8211,8261で,1985年の東急車輛製である.小田急電鉄8000形とは……ここの読者の皆さんなら先刻ご承知かとも思うが,1982年にデビューした,小田急最後の鋼製通勤電車である.主回路装置は回生ブレーキつきの界磁チョッパ.全部で160輛が製造された.2004年からはインバータ制御への更新下実施され,6輛編成では4M2Tから3M3Tに変更,電動発電機もSIVに換装,車体も大規模修繕を実施…….
 最近まで全数が活躍を続けてきたが,さすがに廃車の声が聞こえ始めたときに,西武への譲渡の話が持ち上がった…….
 なお,残念ながら売り切れてしまったが,とれいん誌では2011年6月号(通巻438号)のMODELERS FILEでこの電車を採り上げている.
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小田急時代のインバータ制御化で電装解除された8303.この側面だけ見ていると“戸袋窓付きの30000系”に,見えなくもない.車号は幕板と車体裾の2ヵ所に表示されている.床下には蓄電池箱を新設している.

もちろん細かい点を観察してみれば,空調装置は分散式だし,なにより台車がアルストム式である.西武では初お目見えの方式だが,既に扱いのノウハウは得ているとのことであった.
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客室は,一見したところでは小田急時代と同じではないかとも感じる.しかし車端部の腰掛は従来の4人掛けから3人掛けに変更されている.当然その部分の腰掛は新調されていることになる.

客室中央部の腰掛は,この編成では痛みが少ないので小田急時代のままである.だから“変わらない”と見えるわけだが,新調部も表地の色は臙脂系で在来の色と変わらない.それもそのはず,改造整備担当が小田急エンジニアリングの出張施工であると聞けば,大いに納得できるところである.
 その他の変更点は防犯カメラの設置と照明のLED化,各種案内ステッカーの一部更新,天井肩部の広告取付枠下部の新設など,そのつもりで探索してみれば,さまざま変更されている.
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運転室と客室との仕切.吊手は在来品の活用だが,壁面の黄色いステッカーは新調…….さて,そのほかにはどこが新しくなっているだろうか.画面左上の銘板類は,2006年に施工された車体修理(いわゆるリニューアルまたは更新のこと)の“2006年 小田急車両”は,もちろんそのままだが,今回の改造銘板や車号類は,当然のこととして新しい.それ以外は,どこが活用され,どれが新しいのか,小田急時代の写真と見比べるなどして探索するのも一興だろうか.
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運転室.保安装置は当然のことながら交換されているが,メーターなどは活用されている.マスコン・ブレーキは左手操作のワンハンドル.西武オリジナルの20000系と同じである.

撮影が終了後,車内で質疑応答が行なわれた.
 サステナ車輛の候補車探索に際しては,JRを含めて,それこそあらゆる鉄道事業者が対象であったという.無塗装車が理想だったけれど,6輛編成については叶わなかったという.けれど,小田急8000形デビューの時の説明を覚えている僕にしてみれば,屋根や床がステンレス鋼製であり,側面も高耐候製鋼板製なのだから,ほぼステンレス車じゃないかと思ってしまうのであった.

関連質問として出たのが,現在の2000系や9000系の処遇について.
 8連の2000系を6連化しているのは,さらに古い2000系を取り替えるためであり,2030年までに直流モーター車を淘汰する目標がある以上,それより以降まで使用の予定はない.
 ごく最近になって列車種別・行先表示装置のLED化が始まった9000系については,既にインバータ化を済ませているので,2030年以降も使用を継続する予定.
 とのことであった.

そうそう,今後の8000系整備状況は,種車の状況を個別に判断して対応をとるとのことなので,趣味的にはいくつかのバリエーション違いが出現するかもしれない.楽しみなことである.でもそれはまだ先のこと.当面は5月末の営業運転開始で,より詳しく観察できる日が来ることを心待ちにしている.

4月11日:西武鉄道から定員についての数値をいただいたので追記.
   定員 座席(内訳)
8003 147   45
8903 157   54
8803 157   54
8303 157   54
8203 157   54
8103 147   45

小田急時代と比べ,両先頭車の総定員は変更ないが,そのほかはいずれも変更されている.

※2025.04.12:中間車車号訂正




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既に見てくださっている方も多いと思うが,とれいん誌4月号の表紙を飾った京福電気鉄道……嵐電のモボ1.構想の発表は2023年5月30日のことだった.これまでのおとなしいデザインから一転してモダンな,しかしどこか古典的な香りも漂う完成予想図を見て,現社の落成を心待ちにしていた電車である.
 しばらく前から採用されている“京紫”という色が新しい電車のデザインに,どのようにマッチングするのか……それも大いに興味があった.

そして昨年の12月,いよいよ搬入との報を聞いて,ほかのことを抛り出してでも京都まで行きたかったけれど,目前に山ほど積み挙がった仕事の前にはそれもままならず,ただ取材の段取りを算段するのが精いっぱい.
 そうこうしているうちに年が改まって令和7年.営業運転開始は2月28日と決まり.鉄道趣味誌向けの報道公開はその直前になりそうだとのお話をいただいた.そのほかの仕事との兼ね合いを考えたら,取材行はどうしても“弾丸ツアー”とならざるをえないことが判明した.
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発表から22ヵ月後にようやく果たすことができた“ご対面”.奇しくも隣で整備中の電車は入れ替わりに引退するモボ101形だった.2025-2-26

……で,打ち合わせ途中で気づいたのが,嵐電の沿線に歩道橋ってあったかなぁ,ということ.試運転は国道との立体交叉がある北野線は走らない…….となると……思い余って京福電鉄に相談してみたところ,西院(さい)に隣接する自社保有の建物から撮影すればよいだろうというご案内をいただいた.では報道公開の時に……と思っていたら,試運転はその前に終えてしまう……(中略)……再び思い余って京都市内にお住いの福田静二さんにお願いすることになった.その結果が…….
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使わなかったカットをお目に掛けよう.試運転は西院と帷子ノ辻の間で実施されていて,宇多野はおろか,北野線はまったく足を踏み入れないということだったので,ならば,と,広報のみなさんの,格段のお計らいの賜物であった.写真:福田静二
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30年前に取材したモボ21形.やってきたのはモボ27.詳細図面は当時の武庫川車両工業のスタッフの方が,黎明期のCADを駆使して描いてくださった.久しぶりのご対面だが,気がつけば台車もパンタグラフも,そして行先表示装置も更新されている.

さて,モボ1“KYOTRAM”そのものについては,本誌をとくとご覧いただくこととして(!),モボ27の背後に見える,四条通の“四条交差踏切道”は,片側2車線という広い道路ながらも,長らく機械式の警音器と交通信号機だけで遮断桿のない踏み切りとして知る人ぞ知る存在だった.去年の春に遮断桿を取り付けるというので,一部で大いに話題になったものである.
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これがその四条交差踏切道.車庫から嵐山方面への出庫に際してはこの踏切道まで引き上げる必要があって,この時も105が回送で出ていくところだった.ちなみにホームがあるビルが…….

そういえば鐘はどこにあるんだったか.ひとつは通りの北側,線路の西側にあった.上の写真に写っている警報機の向こう側“嵐電 西院駅”といういう表示の左側に見える電柱の陰に隠れている.もうひとつは,通りの南側,線路の東側にあった.

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歩道用遮断機の根本に隣接して建っている電柱を少し見上げると,“解”の標識,投光器に続いて……黒い鐘が見えるだろう.
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銘が見える角度からのクローズアップ.銘は信号機器メーカーである京三製作所の“KYOSAN”のように見えるが,どうだろう.

午後3時半,無事に撮影取材を終えて向かった先は平安神宮
 レイルNo.116で“1冊丸ごとN電を”を組むきっかけとなっがN2号電車である.2月の17日から20日に掛けて,恒久的な保存に向けて移動した姿を見たかったから.これも実はお誘いをいただいていたのに,叶わなかったできごとだった.
 工事のため,既にシートで覆われてるかも……ということだったが,結果はご覧の通り.
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立派な覆い屋が完成していた.そして電車が鎮座していて……でも,肉眼ではしっかりと見えた車体も,写真では難しい.
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この写真で,かろうじてお面の輪郭と前窓,腰板の“2”という数字が読めるだろうか.


ということで,大忙しながらも,京都のモダンとクラシックを堪能できた1日となった.
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締めくくりは久しぶりの,たなかの柿の葉すしと,
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途中,満足と疲れでうとうとしているうちに,あっという間に東京着.そうしたら,本当の締めくくりは東海道本線のホームにいた.
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“サンライズ出雲”.乗ったのは一畑電車取材の時だから,まだ半年も経ってないのに,ずいぶん前のことのように感じるのは……あまりにもたくさんの出来事の“お陰?”であろう.そういえば乗車記をまだどこにも書いてない.いずれそのうち…….

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2025年ももう3月が終わりに近づいた.1年に4回の刊行を目標としているレイルは,既に4月発売のNo.134が印刷真っ盛り…….ということは,1月に刊行したNo.133が発刊されてから,早や2ヵ月が過ぎ去ったということになる.
 そのNo.133,東京在住のベテランファンには懐かしいであろう塗り分けの東急電鉄3514が表紙を飾っている.撮影場所は東急電鉄大井町線自由ヶ丘2番線.背後には東横線のガードが見える…….
 そして本文は頁を繰っても繰っても自由ヶ丘,または自由が丘.出てくる電車は東急電車ばかり……ではなく,最近の情景では東武鉄道相模鉄道営団地下鉄西武鉄道の電車も姿を見せる.
 そんなにぎやかな自由が丘の電車風景は,いつ,どのようにして始まったのかを解明したのが,このレイルNo.133なのである.
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この地の鉄道の始まり……ではないが,黎明期には違いない情景の一つ.昭和3/1928年12月に撮影された九品佛駅改良工事落成記念写真である.地平を走るのは東横線の仮線路.画面左に東横線のホームが見えるが上屋すらなく,電車は両運転台車の単行運転である.写真:東急株式会社


何よりの驚きは,駅前だというのに住宅のひと棟さえ見えないこと.逆に,この写真が撮影された時点で,現在の殷賑たる自由が丘を夢見ていた人は,どのぐらいいただろうか…….

その百余年の歴史を詳らかにしてくださったのが,地元に生まれて育った深尾 丘さん.身近な地域ならではの土地鑑というか,愛着というか,そういうものの積み重ねと情熱によって編まれた物語は,学術論文調に陥ることなく,本来の趣味的歴史研究として,余所者にも理解しやすい仕上がりであった.
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自由が丘にかかわりに深い隣接地である,大岡山と緑ヶ丘の間の線路状況.撮影は高田隆雄さん.昭和10年ごろの情景で,手前が大岡山で目蒲線をガードで跨ぐのが大井町線.画面右端に見えるのが緑ヶ丘の駅.

この区間の建設に,とても興味深いいきさつが秘められていたということを,今回の稿で初めて知った.本文には17年前に撮影したプレートガーダーとその銘板が掲載されていて,撮影者は僕なのであるが,建設秘話など知る由もなく,単に“昭和4年 目黒蒲田電鉄株式會社 川崎車輌株式會社製作”という銘に興味を持ったに過ぎない.段違いになった橋台を写しているのは,駅舎の写真とともに,単なる周辺状況説明用であって,段違いになっていることは,深尾さんに指摘されるまで,気づいていなかったというお粗末.
 でもまぁ,気になったら何でも撮影しておくべしというのは“正義”であるということではあった.ちょっと手前味噌ではあるが.
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川崎車輌の銘板.残念ながら改良工事の結果として現存しないようである.写真:前里 孝

自由が丘に関してはもう一編,やはり地元在住の関田克孝さんに昭和20年代からの思い出を語っていただいた.なにしろ実際に体験してきたことなのだから,迫力は充分以上.
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自由ヶ丘から田園調布へ向かう6000系電車.すぐ横を走るのは目蒲線の目黒方面行き電車.昭和38/1963年 写真:関田克孝


それにしても,世の中には偶然の導きというものがある.とれいん誌の2025年1月号での東急特集は,ある意味で連携したともいえる.けれど,まさか世田谷美術館で“東急 暮らしと街の文化”なる企画展が年末から年初に掛けて開催されることになっていたとは…….

また,関田さんの稿に合葉清治さんの若かりし頃のスナップが掲載されているのだけれど,校了間近になって訃報が届き…….

そして,東横線の開通と同時に開店し,100年以上も営業してこられた不二屋書店が,なんと2月20日で閉店してしまった.今回のレイルは,特にお願いしてたくさん仕入れていただき,そして僕の期待以上に売ってくださったのに…….

ヒギンズさんのモノクロ写真は,東急は当然として,相模鉄道と小田急電鉄を採り上げた.解説は,東急電鉄を関田さん,相模鉄道を深尾さん,そして小田急電鉄を深谷則雄さんと宮崎繁幹さん,そして八木邦英さんのお三方にお願いした.それぞれ的を射た内容で仕上げてくださったこと,心から感謝しています.
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第一次の新宿地下駅から姿を見せたNSE.NSEが地下ホームに発着していたのは半年足らずのことだったという,実に貴重な光景.そして周辺の風景は60年を経た今,全く面影をとどめない.レイルとは異なり,ノントリミングでお目に掛ける.昭和38/1963年 写真 J. W. HIGGINS


締めくくりは,ちょうど1年前のNo.129で四半世紀に及ぶ整備の記録が発表された,東洋活性白土の1号機……〈活白ドコー〉の,その後の1年報告.そして宮田寛之さんによる,“ドコービル系機関車”の新発見レポートである.
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春たけなわ.成田ゆめ牧場を快走する〈活白ドコー〉1号機関車.この写真もトリミングなしでお目に掛けよう.写真:高橋卓郎

都会地を高速で走る電車とは対極にある車輛だが,これも趣味,それも趣味.鉄道趣味の幅広さを凝縮してご紹介することができた1冊に仕上がったと思っている.どうぞご覧いただけますよう.

※2025.03.28:最終章の一節が脱落していたので挿入.

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