モデラーな日々 とれいんスタッフブログ

月刊とれいんスタッフの,模型と格闘していたりしていなかったりする日々をお送りします.

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J81

【第81号の主な内容】
特集:信濃の鉄道
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初秋の小海線,冬の飯山線
飯山線を訪ねて
信濃の鉄道を巡って
篠ノ井線D51の思い出   
飯山線C12牽引急行と長野のC58   
初めての信濃行
川中島にて
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米国ストラスバーグ鉄道       


とれいん 11月増刊
定価:本体3,000円+税
A4判横綴じ84ページ
(内カラー8ページ)
2020年9月19日(土)発売

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時間は瞬く間に過ぎ去り,近鉄青山町の車庫でマルーン…ではなく漆メタリックに輝く“楽”こと20000系電車の写真を撮ってから1週間が経ってしまった.

その“楽”がデビューしたのは1990年のこと.こちらも,あっという間の30年だった.
 その頃,団体列車運用に特化した車輛は他の鉄道会社でも数多く制作されたが,“独創性”という点でこの電車に勝る存在は,ほとんどなかったように思う.
 黄色と白というユニークな出で立ちも特徴のひとつ.1978年の30000系以来の“VISTA CAR”ロゴマークも,ひときわ輝いていた.
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今年2月,“ひのとり”撮影取材のためのロケハンで遭遇した“楽”.僕にとっては,これがオリジナル仕様での最後の出逢いとなった.三本松-赤目口 2020-2-2

そして半年後の9月4日,青山町の車庫では一変した“楽”の姿に驚くことになる.
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新しい装いは“漆メタリック”.各車に描かれていた榊 莫山によるロゴは,新デザインに模様替えした.

車体各所には煌きを表現したアクセントが散りばめられているほか,大阪,京都,奈良,伊勢志摩,名古屋をイメージした伝統色を大胆にあしらって華やかさを演出している.
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2号車側面には大阪をイメージした灰桜色の青海波を描いている.側扉右脇には“楽”の新しいロゴマークが.側扉の窓は増設されている,

内装も大幅にリニューアルされた.
 最大の目玉は両先頭車に用意された“楽VISTAスポット”だろう.
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階段状に配置されていた腰掛を全部撤去してフリースペースとし,“楽VISTAスポット”と名付けたものである.正面も両側面も大型の窓ならではの眺望を満喫することができる.床に置かれたソファは両先頭車でデザインが異なる.写真は1号車.

先頭車の階下もフリースペースで,分割することが可能なスツールやクッションを置き,靴を脱いで寛ぐことができる空間とした.
 連結面寄りにはサロンスペースを設けている.この部分の側窓は床近くまで拡大された.
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名古屋・宇治山田方先頭車の階下フリースペース.運転室側からと出入口扉側の両方から出入りすることができる.

中間車の座席スペースはシートアレンジを変更し,各腰掛管にテーブルを新設してピッチを91cmから121cmへ大幅拡大した.両先頭車は98cmである.
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向い合わせにすれば,間にテーブルを挟んで団体旅行ならではの賑やかな旅となる,中間車の座席スペース.当面は両端を除いて一方向に固定して運用されることになっている.

このリニューアルした“楽”こと20000系電車,近鉄では9月19日から27日の各週末6日間に,大阪上本町と五十鈴川の間で1日1往復,ツアー方式での運転が企画した.“利用券”を購入すれば誰でも乗車することが可能であるが,ゆったり楽しむことと,
COVID-19への対応の一環として実際の定員164名に対して70名分の発売としたこともあり,残念ながら9月8日の発売日当日に,予定数が販売完了となってしまったようである.あとはキャンセルが出るのを待つことになるのか?

近いうちに誌上でも詳しい紹介記事を掲載の予定である.乞うご期待!

※2020.09.14:階下フリースペース写真説明一部修正

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先々週のここでは,東急電鉄5050系4000番代の最新編成である4111編成のことを記した.
 その編成のことを詳しく観察しようとチャンスをうかがっているうちに,当然のことながらほかの5050系のことにも注意が向くことになる.
 その結果,5月28日付けのここで初めて記し,6月25日付けのここでさらに詳しい観察を記した,デジタル無線用の増設アンテナの増加ぶりを目の当りにすることとなった.

どうやら,初期の段階では5159,5161,5163,6165……奇数番号の編成が新型の装備選ばれていたようである.
 検査入場の順番の都合なのだろうが,それにしては偶数編成への装着が見られないのはなぜだろうと,素朴な疑問を持ちつつ観察を続けていたら,8月2日には5164編成への取り付けを確認することができた.
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練馬の駅を発車して行く東急電鉄5159編成による石神井公園行きの最後尾.この日は日曜日で,半ば電車ウォッチングが目的の外出だった.だから,カメラも一眼レフである.

少し間が開いた8月24日には,5050系のトップナンバーである5151の編成に装備されているのを発見することになる.
 中期グループから一気に初期編成に飛んだ.しかしやっぱり奇数番号である.
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朝の富士見台の駅で撮影した5151.以前も記したことがあるかもしれないが,朝方の池袋線上り地下鉄乗り入れ列車は8輛編成も所沢方編成端が女性専用車なので,撮影に際しては大変に気を使うことになる.

翌日の練馬では,5164の編成に装備されているのを発見することになる.またもや中期グループである.けれど,2編成目の偶数番号でもある.
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撮影したのは中村橋の駅である.夕方は女性専用車の設定がないから,少しは気が楽である.最初の写真のように池袋方で撮ればよいのに…というご意見もあろうが,普段の利用時には,池袋方は混雑度が高いので避けているからである.

この5164の編成には,練馬から中村橋まで乗車したわけだが,製造銘板(正確にはステッカー)にも目が行った.4111の編成で改番された8輛の銘板で製造年が西暦だけだったので
“あれ? 2010年には東急車輛の製造年表示って,元号ではなかったか?ちょっと手許の写真を調べてみたところでは,2008年の相模鉄道11000系では“平成20年”だった.”
と記したのだけれど,東急電鉄向けではどうだったのだろうかと,気になっていたからである.その結果は……
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西暦だけだった.デザインそのものに変更はない.

ということで,東急車輛としては,少なくとも車内銘板では仕向け先によって製造年の表示を使い分けていたことが判明したのだった.

さて,乗り入れてくる電車があれば,こちらから乗り入れて行く電車もある.西武線で新しいのは40000系のロングシート編成…40050番代…である.昨年末の営業開始を元旦のここで,詳細を2月27日付けのここでお伝えした.
 ところがこのロングシート編成,ずっと地上線専用として使われていた.
 ようやく地下線への乗り入れ列車を目撃することができたのは,8月上旬のことだった.
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新桜台からのトンネルを抜けてきた40151の編成.線路脇に建つビルの上の看板が真っ赤なので正面窓への映り込みが,大変.

つい先日,第3編成が搬入されたこのロングシート40000系.今後の使われ方はどうなるのか.そして置き替えられるのは,どの電車なのか……9000系がまた減ったように感じるのは,気のせいではないような気がする(変な日本語だ).
今後の推移を,さらに観察し続けたいと思う.


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昭和47/1972年夏のことである.期末試験が終わってから終業式までの間の試験休みを利用して北九州から西九州を一周した.いつものように京都始発の夜行急行“天草”の自由席に乗って小倉に降り立ち……と,思っていたのだが,ネガを見返してみたら,山陽本線の小月付近でスナップした朝景の前方に写っているのは,なんと20系ではないか.さて,特急寝台車に乗る原資はどこから得たのか……そして列車は“あかつき”かそれとも“彗星”か…?いやいや,今はそれを詮索するときではない.とにかく小倉に降りたったのは間違いなく,その日は西鉄北九州線の電車や筑豊本線の蒸機列車などを撮影し,門司港発の長崎行き夜行列車に乗った.

目的は長崎電軌の電車である.とにかく浦上の車庫で木造電車を撮影したい!
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浦上の車庫で休む木造車162.もう1輛の168を,組立暗箱で撮影することができた.昭和47/1972-7-14

車庫の皆さんのご厚意によって,その願いは,なんとか叶えられた.前年の暮れに買ったばかりの組立暗箱を展開して撮影していたら,同好の士…といっても随分歳上の…がおられるのに気付いた.名刺を頂いてビックリ.昭和42/1967年1月号の鉄道模型趣味(TMS)誌の表紙を飾った広島電鉄車輛群やレイアウトの作者として名前を覚えていた,越智 昭さんだったのである.

しばし一緒に車庫風景を撮影し,再会を約して,各々の次の目的地へ向かったのだが,この出逢いが,ぐるりぐるりと巡り回って,昭和50/1975年の“とれいん”に吉川文夫さんと一緒に作品を発表してくださったり,昭和52/1977年にうちの会社からの高松吉太郎さんの“東京の電車道”刊行(その後大阪と京都へ続く),“レイル'80 Summer”での越智さん撮影による“海軍呉工廠の機関車たち”,服部重敬さん執筆と撮影による“北陸の私鉄”を発表していただくことができた,遠いきっかけとなるということは,お互いにまだ知る由もない.だって,こちらはまだ大阪の一介の高校生なのである.

いつもながら余談が長い.この時の長崎訪問では,さまざまな電車との出会いもあったわけだが,木造車のほかに印象に残ったのが,150番代の電車だった.
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車庫前の停留所に停車中の152.他の電車たちと比べ,やや細身で屋根が深く,腰の高いスタイルが気になる存在だった.隣に写っている215という電車も,正面窓の上隅を三角形に切り取った表情が独特だった.昭和47/1972-7-14
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154のサイドビュー.全長を11mに短縮し,しかも中央扉を完全に撤去して鋼体化された結果の姿であるとは後に知ったことだが,予め知っていたとしても,信じられない出来栄えである.昭和47/1972-7-14

150番代が箱根登山鉄道小田原市内線から昭和32/1957年に譲り受けた電車で,200形は長崎最初のボギー車だという程度の知識はあった.けれど,さらに興味をもったものだから,大阪へ帰ってから,交通科学館の図書室で古い鉄道ピクトリアルなどの資料を繰ってみた(インターネットなんて,想像もできない時代である).
 150番代の電車は5輛あって,さらに遡れば,151と152は王子電軌から東京都電を経て小田原へ,153から155の3輛は玉川電車から小田原へ移籍したということだった.長崎入りに際しては,いずれも木造車体を鋼体化し,長さを11mに短縮するという大工事が施された.特に153形と呼ばれることもある153~155は,3扉だったのを2扉にしたため原形の面影は全くなくなったという.

4年後の昭和51/1976年に長崎を再訪した.その間に木造車はなかば観光電車化し,162の車体が緑一色に変更されていた.
 150・153形は,この時は151が162と並んだ状態で留置されていたのを撮影している.
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162と並んだ151.側扉が開いているが,長崎へやってきてから車のステップが1段に改造されていることの証明となっている.昭和51/1976-7-21

162はこのあと,昭和54/1979年に廃車となったが個人が譲り受け,長与町の“あや幼稚園”に寄贈の上で保存され,現存している.

150形は1980年代に入ってから新型車に追われるように順次廃車となり,151と152が事業用として残り,そして151と152の番号を振り替えて(いずれも路面電車同好会の文献による),二代目ともいえる151が,箱根登山鉄道時代の塗色を再現した上で動態保存車的に残された.
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箱根登山鉄道時代の塗色を再現した151.車体頂も違うし側窓の幅や数も異なっているが,深い屋根は小田原時代のままであり,正面の面持ちも往年の香織が残っているような気がする.浦上車庫 平成16/2004-4-26 写真:服部重敬

そして元熊本市電の601や元仙台市電1051,東京都電701とともにイベントなどに際して多くの人から注目される存在となったが,平成31/2019年3月末をもって惜しまれつつ廃車となった.

廃車後は,アスベストが使われている可能性があるので譲渡はできないとのことで解体やむなしとされていたが,調査の結果,アスベストが存在しないことが判明し,保存が可能となった.
 そこで今年の春,小田原市在住の人々を中心として,いわゆるクラウドファンディングによる資金集めがスタートした.保存場所も確保されているという.
 興味と関心のある方は,

小田原ゆかりの路面電車。64年越しの里帰りプロジェクト

をご覧いただき,支援してくださればと思う.

最後に,箱根登山鉄道から提供していただいた小田原での現役時代の姿をお目にかけて,本日の締めくくりとしたい.撮影は宮松金次郎さんである.
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緑町付近を走る202.長崎の151(二代目)である.昭和29/1954-3-24 写真:宮松金次郎 提供:箱根登山鉄道
S290324-市内線202-市役所前
市役所前での202.正面窓の幅は中央だけ広くて後の姿と異なっているが,それでも面長の印象は変らない.屋根の深さもこの電車の特徴といえる.昭和29/1954-3-24 写真:宮松金次郎 提供:箱根登山鉄道

小田原への凱旋里帰りの日が,待ち遠しい.


※:2020.08.28:タイトル一部修正
※:2020.09.01:車号一部修正

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現代の東急電鉄5000系は,その構成が複雑極まることでファンの間では有名である.その一端は2013年4月18日のここで前頭部分のバリエーションについて少しだけ観察してみたこともある.
 その他に側窓部と幕板および腰板のステンレス後半の仕上げの違いや空調装置の種類……バラエティは数え切れないほど.中でも4000番代は,系列が4000経過と思ったら5050系4000番代なのであり,さらにその中でも第10編成は車体幅が5000系と同じだったり……. 5050系の8輛編成は5176編成の中間車1輛が総合車両製作所のsustina車体だし,5177編成にはスノウプラウがついた.主制御装置もそれ
までの5050系とは違っているようだし.そして今年登場した5178編成は,さらに変化が…….

そして5178編成の時に少し記した,4000番代が増える予兆…が,いよいよ7月中旬から僕の地元にも姿を見せはじめた.
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初めて遭遇できたのは7月29日のことだった.ひばりヶ丘駅に到着する,元町・中華街行き快速急行である.
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真っ先に気付いたのは,側扉横のコーポレートマークの変化.これまではTOKYU CORPORATIONだった英社名が,TOKYU RAILWAYSに変更されていたこと.

この変更は,昨年8月に落成した追加用の新造車4611と4711で既にお目見えしてはいたものの,編成全体に及んで,しかも営業運転に入っている姿を見るのは,僕にとってはこの日が最初だった.
 今後は,在来車も順次このマークに貼りかえられるのだろう.
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手前が7号車4711,奥が6号車4611である.この時に,おや?と思いながら撮影できなかったのが腰板の帯の違い.
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約1週間後に石神井公園で捉まえた,太さの差.練馬の駅はホームドアが完備してしまったので,こういう観察が不可能になったのである.

帯幅が狭いのが新造車で,太いのが在来車である.在来編成に帯幅の異なるグループがあるのは,実は知らなかった.ましてや,その境界がどの編成であるのか,などというのは,実はこれからの研究課題である…….

さて,室内も観察することができた.
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元町・中華街方先頭車である4011の車内銘板(実はステッカーであること,いつだったも記した).これでは4011が2010年から存在しているみたいだ! 右に見えるのは,当世,各社で実施しているウィルス感染防止策の証しである.

あれ? 2010年には東急車輌の製造年表示って,元号ではなかったか?ちょっと手許の写真を調べてみたところでは,2008年の相模鉄道11000系では“平成20年”だった.
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そして新造車4611の車内銘板.同じ場所で製造されたのだけれど,社名は新しい.
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腰掛の形と色遣い,床の様子などは5178編成と同じである.ほかの乗客がいるので全体を写すことができなかったけれど,隣りの車輛と比べれば変化が解るだろう.

さて在来の8輛は元のどの編成なのか.それはいつもの鉄道フォーラムに改番前の8輛と新造車2輛を繋いだ状態が目撃されたという報告があったことにより,5073編成であることが判明している.


東急電鉄といえば,渋谷駅前に鎮座していた“青ガエル”こと初代5000系5001lが,予定より3ヵ月遅れて秋田県の大館市に旅立ったそうである.流転を重ねたこの電車の車体が新天地で末長く大切にされることを願いたい.

青ガエルといえば,現代の5122編成に施されたラッピングは1年延長されたものの,その期限が8月31日に迫っている.どうなることか……
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一番最近に見かけたのは8月12日のこと.出掛けた先の自由が丘で帰宅の電車を待っていた時に反対側ホームに姿を見せたのが,5122編成だった.


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