先々週のここで“もうお彼岸じゃないか”と記したが,それもあっという間に過ぎ去ってしまい,もはや新しい元号である令和に突入しそうな勢いである.
 だからレイルのことといえば,頭の中はもう今月発売のNo.110のことで一杯.
 でも,1月に発売のレイルNo.109のことも,ちゃんと振り返っておかなければ.いうことで,今日のテーマはED16と奈良線と駅名標.
 ED16といえば,鉄道模型社の16番製品が家の近所の模型店に飾ってあって,ガラス越しにためつすがめつ,店に行くたびに眺めていたものである.として時にはケースから出してもらって手に取らしてもらうこともあった(それだけ長い間,在庫していたということでもあるわけだが).
 もう半世紀をとっくに過ぎた記憶によれば,箱は銀灰色,車体はエッチングではなくて帯をプレスで表現していたと思う.そして子供の目に奇異に映ったのが先輪で,真っ黒な樹脂製だった.日東科学の近鉄ビスタ・カーも並んでいたような気もするが,そのあたりは定かではない.

そんな子供のころの思い出を頭の中に秘めつつ,初めて実物と対面したのは,東京に住むようになった昭和48/1973年のこと.5月の連休に五日市線を案内してもらい,秋留の多摩川鉄橋を渡る貨物列車を撮ったのが,ファーストコンタクトだった.
 その次の邂逅は…って,そんな大げさなものではない.昭和53/1978年7月2日のこと.西国立駅のホームで,だった.その時に撮影したのが,13頁に“手前味噌”した1号機の写真である.どんなきっかけで西国立へ赴いたのかは,まったく記憶にない.しかも月初の,月刊誌の締切に追われているはずの時期.ED16の記事を企画していた記憶もないし,誰かに誘われて同道したということも,ない.
 けれどまぁ,よくぞ組立暗箱で撮影しておいたものだと思う.しかも,豪華にカラーである.
 この写真を見てくれた友人からは“窓が開いてますやん”といわれてしまったが,なにしろ機関区へは一歩も立ち入らずに撮影していたのだから,ご勘弁を……である.
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この日にスナップした立川機関区検修庫前の全景.とにかく機関車はED16しかいない.画面右端の客車は救援車オエ61 61.跡地は,この敷地の形をそのままなぞったマンションが建っている.経緯を知らなければ,なんとも不思議な建物と思われていることだろう.

僕にかわって昭和40年代から50年代の立川,そして青梅線を語ってくださったのが高橋卓郎さん.地元ご出身でもあり,実に丹念に記録を残しておられたものだから,写真ではなく形態分類の表も使わせていただいた.
 園田正雄さんと早川昭文さん,そして安藤征一さんからは,カラーや,もう少し古い時代の写真などを提供していただいた.
 これらの写真によって,小野田滋さんによるED16の解説に花を添えていただいた,というわけである.
 小野田さんの解説は,いつもながら地道に史資料をあった上での丁寧な記述であり,ED16が国重要文化財に指定された意義を,広く理解していただけたものと思う.
 3月には,今年の重要文化財指定の答申についての発表が,文化庁から行なわれた.今回はJR東海リニア・鉄道館で保存されている蒸気動車ホジ6014である.これについても,詳しい紹介を企画中.乞うご期待.

第2テーマはJR西日本の奈良線.昭和40年代の関西に育った僕には,国鉄奈良線といえばキハ35が往来し,ときおりC58の貨物列車が姿を見せる地味なローカル線という印象が強い.けれど,その歴史を繙けば遠く明治期の奈良鉄道からの連綿とした歴史があるわけで,複線化が進むこの機会にその歩みをまとめてくださったのが高田 圭さんである.奈良鉄道から関西鉄道を経て国有化された奈良線だけではなく,それに絡む京阪電車や奈良電との確執などにも記述は及びます.陸軍の軽便線と奈良線が平面交叉していたというのも,興味深い,しかしこれまでほとんど知られていなかった史実だろう.

 この研究に花を添えてくださったのが小菅一己さん…目次でもタイトルでもお名前の文字を間違えてしまった.申し訳ありませんでした.
 その小菅さんの写真は,どれも奈良線の魅力を最大限に表現しておられて,選択に困ってしまったものである.
 その中で,“へぇ”と思ったのが木津の駅の入換風景.
“梅小路の88638が木津まで出張して入換作業という仕業があったんだぁ,知らなかった”ということで,そのような説明を付けたのだが,実はこの機関車,梅小路でのお役目を終えてから奈良に転じていたのだった.

小菅さんご本人からも“昭和45/1970年6月5日に奈良へ移動した記録が鉄道ピクトリアル誌242号(昭和45/1970年10月号)に掲載されています.とご指摘をいただいてしまった.重ねての失態であった.
 なにしろこの機関車,僕とっては梅小路での姿があまりにも印象に残っていたものだから…というのは単なる言い訳である.

ということで,改めての写真説明.
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奈良線のほかに片町線と関西本線が合流する木津駅の東側には,比較的大きな貨物扱いの線路群があった.当時,木津には奈良線のC58,片町線のC11,関西本線のD51と,多彩なカマが出入りし飽きることがなかった.写真は,降りしきる雨の中で入換作業に勤しむ,梅小路から奈良へ転じた88638.昭和46/1971年6月12日 写真:小菅一己

三番目は,高見彰彦さんの“駅名標の発掘”.3年前のレイルNo.100を皮切りに,これまでスポットライトの当たらなかった分野を,やっぱり地道に現地探訪と資料探索を続けておられる高見さんだが,そのバイタリティには,ほんとうに頭が下がる.
 今回は,これまでの3年間に高見さんが出逢った駅名標から,本来の役目を終えた駅名標や乗り場案内をまとめて紹介してくださった.
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2015年までに出現した,神戸駅の上屋柱のホーロー製駅名標.新聞が“戦前製の可能性も”と報じるのに対して高見さんは,仮名遣いから見て戦後製だろうと断じている.左は最新の,駅ナンバー入りの駅名標.写真:高見彰彦
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昨年1月,一ヶ月に満たない短い期間だけ見ることができたという,山陽本線兵庫駅の上屋柱に記された,手書きの“ひょうご”標記.これも“ひやうご”ではないので戦後製だろうと高見さんは推測している.写真:松田隼弥

そして,3月7日付のここで記した,東海道本線吹田駅の木造上屋.ここにもホーロー製の駅名標が,実は隠されていることが,このレイルNo.109に記されている.僕が訪問した時には次の行き先への予定があって,柱を1本ずつ見て回る時間がなかった…というのも,いいわけ,ではある.
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これが,12月に僕がたどりつけなかった,吹田駅下りホーム上屋の柱.写真:高見彰彦

このような,“隠された歴史”は,まだまだ全国各地に存在するに違いない.高見さんが,こんごどのような趣味活動を展開されるか,プレッシャーにならない程度に,大いに期待しているところである.

今回の“公式写真に見る国鉄客車”は,万博輸送に際して登場した12系座席車と,24京寝台客車である.初めてカラー写真が登場する.しかし,そろそろ国鉄客車の時代はおしまいを迎えてしまう.そんな背景を頭に入れて,じっくりとお楽しみいただきたい.

というところで,まだお買い求めでない方は,ぜひ!

そして次のNo.110も,もう印刷所へと原稿は渡っている.今月下旬の発売を,楽しみにお待ちいただきたい.

※2019.04.05:駅名標に関する記述一部修正