京都市電2号電車……いわゆるN電が国の重要文化財に指定された.このところ,230形蒸気機関車に始まって院電ナデ6141と東京地下鉄道1001,ED16と10000(EC40),蒸気動車ホジ6014と,鉄道車輛が毎年指定されるようになったのは,喜ばしいことである.
N電…残念ながら,僕は趣味的に眺めることができなかった.京都へは家族で何度も出かけていると思うのだが,子供心にも,残っていない.
それだけに,憧れというか悔しさはひとしおで,いずれなんらかの形でまとめてみたかったテーマであった.
N電…これは我々のような趣味人にだけ通じる愛称であって,路線名としては京都市交通局堀川線というのが正しいようである…は,京都駅前から北野までの,きわめて短い距離を結ぶ電車ながら,その沿線は変化に富んでいた.
高崎の田部井康修さんが昭和29/1954年に撮影された,西洞院松原でのN113号電車.狭い狭い街路を走り抜ける,N電沿線の代表的な表情のひとつである.ちなみに写りこんでいる洋食店“吉長亭(よしちょうてい)”は,今も盛業中とのこと.写真:田部井康修
田部井さんがN電,それも昭和20年代の姿を記録しておられることは,かねてアルバムを拝見していたから知っていた.そのどれもが未発表ということなので,今回のグラフに提供していただいた次第.それにしても昭和29/1954年撮影のカラー写真は,貴重であるばかりでなく,ほとんど褪色していないことにも驚かされた.
N電沿線のふたつ目の表情は,京都らしからぬ(?)広々した空の下を走る堀川沿い.通りの西側には二条城の白い壁が展開している.番号の頭の“N”が取れて一斉改番されてからの姿である.レイルに掲載したのはトリミングしているが,ここではほぼノントリミングでお目に掛けよう.写真:J.Wally.HIGGINS
J.Wally.HIGGINS=ヒギンズさんのことは,レイル読者にもNo.78に掲載の“宇治川のおとぎ電車”でご存じだろう.今回,縁があってヒギンズさんのネガやポジを管理している名古屋レール・アーカイブスとの協力関係により,ヒギンズさんのモノクロ写真を,レイルで順次ご紹介できることになった,その第1回目のテーマが,N電というわけである.
年が明けた1月に発売予定のNo.118における第2回目のテーマは,“東京・山手線をめぐる”.こちらもお楽しみに!
話が少し逸れた.
京都駅前から北野までの沿線風景は,福田静二さんから提供の所蔵写真を主体として構成した.最初は“同じ場所が何度も出てきて飽きないか”と懸念したが,並べてみたら,時代ごと,季節ごとに表情が大きく異なっていて,とてもバラエティ豊かなグラフページとなった.
N電の探求でやっかいなことのひとつ……それがほとんど全てではあるのだが,京都市に買収される以前の資料が,ほとんど全くといってよいほどに残されていないのである.
電車そのものについても,製造所銘板に梅鉢鐵工場の名はあるものの,肝心の製造年が記されていない.
だから,N電,京都電気鉄道(略して京電)の歴史解明は困難極まりないものだった.
ところが今回は,地元の皆さんが情熱を燃やしてくださり,とりわけ遠藤晃一さんは,なんと,交通局で保存されていた膨大な資料を分析して,番号の変遷ばかりでなく車体寸法や材料の相違,台車や主電動機の種類などについて,詳細極まる表を作成されたのだった.その表は,理解しやすいように彩色もされていて,さて,カラーページの乏しいレイルで,どのように扱うことができるのか,しばし悩んだのだったが,やはりオリジナルを尊重する以外になかろうということで,カラー8頁のうち2頁を,この表に充てることにした.
でも,出来上がってみたら,その効果は絶大でとても見やすく,思い切ってよかったと,密かに自画自賛したことである.
京都市交通局所蔵資料からは,車体や台車の組立図を含む,たくさんの図面も掲載することができた.
京電の探求といえば,同志社大学職員であり鉄道同好会の顧問だった大西友三郎さんが第一人者だろう.その成果は地元新聞社の連載や鉄道友の会京都支部講演,鉄道ピクトリアルの京都市電特集号などで発表されている.
大西さんは,歴史調査のみならず,模型製作も写真撮影も趣味としておられ,その写真や資料の多くは,今では福田静二さんの手元で大切に保存されている.
今回のレイル刊行に際しても,その成果は随所に散りばめられているし,そもそも表紙の写真が,大西さん撮影による北野終点での8号である.
北野神社の鳥居前,今出川通りを挟んで南側にあった,N電の停留所に停車中の8号.北野の終点付近の線路は変更が行なわれており,鳥居の位置だって時代によって異なる.そういうことは,“大阪もん”の僕では,なかなか気付くことができない事実であった.鳥居と8号の間を京都市電今出川線の架線が横切っている.トリミングはレイルの表紙と少し異なるが,鳥居の全景を入れるために電車を左に寄せているのは大西さんの意図を活かしたつもりである.写真:大西友三郎
昔,西尾克三郎さんから頂いた明治期の京都市内電車のアルバム写真も,ようやく日の目を見させることができた.石井行昌子爵が撮影された市内風景で,写っている電車は,のちのN電ではなく,京都市に引き継がれなかった小型車ばかりだが,沿線風景の多くは大きくは変わっていない.なおかつ,“これらの電車とN電とは異なる車輛である”という証しとするためにも掲載したかったものである.
北野のすぐ手前,下ノ森に停車中の七条行き電車.このあたりの風景は現在では大きく変わっている.なおレイルでの写真説明では“燈篭の跡地は三角形の小さな溘焉として残っている”と記しているが,“燈篭の跡地は三角形の小さな公園として残っている”が正しい.なんという誤変換.写真所蔵:前里 孝
最後は,海を渡ったN電.米国の実業家であるゴールドマンさんが譲り受けて南カリフォルニアに現存する19号のレポートである.最初は僕自身の“手前味噌”で1981年夏の訪問記.そして2020年2月に現地を訪問された蔵重信隆さんが寄せてくださった現状報告である.写真で見る19号は,40年前とほとんど変わらない姿を保っているのが嬉しい.動態であるかどうかは判然としないが,アグレッシブな彼らのことである,きっとその気になれば,すぐに走り出すことが可能になるだろう.
さまざまな1,067mm軌間の車輛たちと一緒に,なかよく車庫で休む19号.空気が乾燥しているカリフォルニアならではの保存状態である.2020年2月24日 写真:蔵重信隆
ということで,1冊まるごとN電,という本が出来上がった.京都市電の本はこれまでに数えきれないほど刊行されているが,100頁にも及ぶ大冊で“N電だけ”というのは,ほとんど例がないと思う.
正直なところ,今だからいえることだが,不安がないわけではなかった.けれど今のところは,各方面からお褒めをいただいている.いやそれはひとえに,資料を詳しく調べて原稿を執筆して表をまとめた遠藤さんたちや,解説などにお骨折りくださった福田さんたちの情熱とご協力の賜物である.
探索に難渋を究めた保存車2号の写真を,N52号時代の原形と昭和初期,そして現役最終期の姿を揃えて収録することができたのも,そのお蔭である.
京都市や交通局,平安神宮や北野商店街,京都府立京都学・歴彩館などからの格別のご厚意にも,心から御礼申し上げます.
N電…残念ながら,僕は趣味的に眺めることができなかった.京都へは家族で何度も出かけていると思うのだが,子供心にも,残っていない.
それだけに,憧れというか悔しさはひとしおで,いずれなんらかの形でまとめてみたかったテーマであった.
N電…これは我々のような趣味人にだけ通じる愛称であって,路線名としては京都市交通局堀川線というのが正しいようである…は,京都駅前から北野までの,きわめて短い距離を結ぶ電車ながら,その沿線は変化に富んでいた.
高崎の田部井康修さんが昭和29/1954年に撮影された,西洞院松原でのN113号電車.狭い狭い街路を走り抜ける,N電沿線の代表的な表情のひとつである.ちなみに写りこんでいる洋食店“吉長亭(よしちょうてい)”は,今も盛業中とのこと.写真:田部井康修
田部井さんがN電,それも昭和20年代の姿を記録しておられることは,かねてアルバムを拝見していたから知っていた.そのどれもが未発表ということなので,今回のグラフに提供していただいた次第.それにしても昭和29/1954年撮影のカラー写真は,貴重であるばかりでなく,ほとんど褪色していないことにも驚かされた.
N電沿線のふたつ目の表情は,京都らしからぬ(?)広々した空の下を走る堀川沿い.通りの西側には二条城の白い壁が展開している.番号の頭の“N”が取れて一斉改番されてからの姿である.レイルに掲載したのはトリミングしているが,ここではほぼノントリミングでお目に掛けよう.写真:J.Wally.HIGGINS
J.Wally.HIGGINS=ヒギンズさんのことは,レイル読者にもNo.78に掲載の“宇治川のおとぎ電車”でご存じだろう.今回,縁があってヒギンズさんのネガやポジを管理している名古屋レール・アーカイブスとの協力関係により,ヒギンズさんのモノクロ写真を,レイルで順次ご紹介できることになった,その第1回目のテーマが,N電というわけである.
年が明けた1月に発売予定のNo.118における第2回目のテーマは,“東京・山手線をめぐる”.こちらもお楽しみに!
話が少し逸れた.
京都駅前から北野までの沿線風景は,福田静二さんから提供の所蔵写真を主体として構成した.最初は“同じ場所が何度も出てきて飽きないか”と懸念したが,並べてみたら,時代ごと,季節ごとに表情が大きく異なっていて,とてもバラエティ豊かなグラフページとなった.
N電の探求でやっかいなことのひとつ……それがほとんど全てではあるのだが,京都市に買収される以前の資料が,ほとんど全くといってよいほどに残されていないのである.
電車そのものについても,製造所銘板に梅鉢鐵工場の名はあるものの,肝心の製造年が記されていない.
だから,N電,京都電気鉄道(略して京電)の歴史解明は困難極まりないものだった.
ところが今回は,地元の皆さんが情熱を燃やしてくださり,とりわけ遠藤晃一さんは,なんと,交通局で保存されていた膨大な資料を分析して,番号の変遷ばかりでなく車体寸法や材料の相違,台車や主電動機の種類などについて,詳細極まる表を作成されたのだった.その表は,理解しやすいように彩色もされていて,さて,カラーページの乏しいレイルで,どのように扱うことができるのか,しばし悩んだのだったが,やはりオリジナルを尊重する以外になかろうということで,カラー8頁のうち2頁を,この表に充てることにした.
でも,出来上がってみたら,その効果は絶大でとても見やすく,思い切ってよかったと,密かに自画自賛したことである.
京都市交通局所蔵資料からは,車体や台車の組立図を含む,たくさんの図面も掲載することができた.
京電の探求といえば,同志社大学職員であり鉄道同好会の顧問だった大西友三郎さんが第一人者だろう.その成果は地元新聞社の連載や鉄道友の会京都支部講演,鉄道ピクトリアルの京都市電特集号などで発表されている.
大西さんは,歴史調査のみならず,模型製作も写真撮影も趣味としておられ,その写真や資料の多くは,今では福田静二さんの手元で大切に保存されている.
今回のレイル刊行に際しても,その成果は随所に散りばめられているし,そもそも表紙の写真が,大西さん撮影による北野終点での8号である.
北野神社の鳥居前,今出川通りを挟んで南側にあった,N電の停留所に停車中の8号.北野の終点付近の線路は変更が行なわれており,鳥居の位置だって時代によって異なる.そういうことは,“大阪もん”の僕では,なかなか気付くことができない事実であった.鳥居と8号の間を京都市電今出川線の架線が横切っている.トリミングはレイルの表紙と少し異なるが,鳥居の全景を入れるために電車を左に寄せているのは大西さんの意図を活かしたつもりである.写真:大西友三郎
昔,西尾克三郎さんから頂いた明治期の京都市内電車のアルバム写真も,ようやく日の目を見させることができた.石井行昌子爵が撮影された市内風景で,写っている電車は,のちのN電ではなく,京都市に引き継がれなかった小型車ばかりだが,沿線風景の多くは大きくは変わっていない.なおかつ,“これらの電車とN電とは異なる車輛である”という証しとするためにも掲載したかったものである.
北野のすぐ手前,下ノ森に停車中の七条行き電車.このあたりの風景は現在では大きく変わっている.なおレイルでの写真説明では“燈篭の跡地は三角形の小さな溘焉として残っている”と記しているが,“燈篭の跡地は三角形の小さな公園として残っている”が正しい.なんという誤変換.写真所蔵:前里 孝
最後は,海を渡ったN電.米国の実業家であるゴールドマンさんが譲り受けて南カリフォルニアに現存する19号のレポートである.最初は僕自身の“手前味噌”で1981年夏の訪問記.そして2020年2月に現地を訪問された蔵重信隆さんが寄せてくださった現状報告である.写真で見る19号は,40年前とほとんど変わらない姿を保っているのが嬉しい.動態であるかどうかは判然としないが,アグレッシブな彼らのことである,きっとその気になれば,すぐに走り出すことが可能になるだろう.
さまざまな1,067mm軌間の車輛たちと一緒に,なかよく車庫で休む19号.空気が乾燥しているカリフォルニアならではの保存状態である.2020年2月24日 写真:蔵重信隆
ということで,1冊まるごとN電,という本が出来上がった.京都市電の本はこれまでに数えきれないほど刊行されているが,100頁にも及ぶ大冊で“N電だけ”というのは,ほとんど例がないと思う.
正直なところ,今だからいえることだが,不安がないわけではなかった.けれど今のところは,各方面からお褒めをいただいている.いやそれはひとえに,資料を詳しく調べて原稿を執筆して表をまとめた遠藤さんたちや,解説などにお骨折りくださった福田さんたちの情熱とご協力の賜物である.
探索に難渋を究めた保存車2号の写真を,N52号時代の原形と昭和初期,そして現役最終期の姿を揃えて収録することができたのも,そのお蔭である.
京都市や交通局,平安神宮や北野商店街,京都府立京都学・歴彩館などからの格別のご厚意にも,心から御礼申し上げます.