ほぼ1年前の12月26日,JR東日本E261系電車“サフィール踊り子”の報道公開参加のあとに訪れた,相模鉄道とJR東日本の相互乗り入れ運転風景が,昨年最終のブログテーマだった.
 それから1年.今年のはじめには想像が難しかったほどの大流行となったCOVID-19.未曽有の,とはいわないけれど,稀に見る,という表現ならば当を得ているだろうか.激動の年となった.

そんな今年の締めくくりはといえば,7月23日に水害による不通から甦って運転を再開した箱根登山鉄道である.
 といっても,現役車輛ではない.60年前に廃線となってから長崎電軌へ譲渡された電車のうちの1輛が里帰りした,という話題.

この里帰り運動については,8月27日づけのここで,長崎での思い出話とともにご案内している.
 その後,いわゆるクラウドファンディングはめでたく最初の目標額500万円に達し,さらに保存維持のための第2目標である750万円もクリヤーした.9月25日のことである.この活動のことはブログのほかに誌面にも掲載したから,少しはお役に立てたのかもしれない.

そして12月19日,その電車が小田原市内に姿を見せた.
 長崎を16日に発って3泊4日の行程…なんと,保護シートなしでトラックに積まれて長崎道から九州道,中国自動車道,山陽自動車道,阪神高速道路,京滋バイパス,新名神,新東名と高速道路を乗り継いで走ってきたのだそうだ.いや,一目でよいから走行風景を見てみたかった!…を経て無事に東名高速道路の足柄サービスエリアに到着し,夜明を待って,目的地である小田原市南町2丁目…箱根口交叉点には8時前に到着した.
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国道1号線を走るのは何年ぶりだろうか.譲渡に際して車体は鋼体化を含め大改造されているとはいうものの,面影は充分に残している.加えて車体塗装は長崎電軌で小田原市内線時代の色を再現しているから,まったく違和感はない.先頭のトラックには台車が積まれている.
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車体は2台目のトラックに鎮座していた.車体には“おかえり202号”.保存会お手製である.

輸送を担当したのは,このところ各地で鉄道車輛の陸送を手掛けているアチハ株式会社.創立は大正時代で,最初から重量物輸送を請け負っていたが,平静に入ってから組織改変などにより,鉄道車輛の輸送にも本腰お入れることになったようである.ちなみにアチハとは阿知波で,創業者の名字である.

据え付ける場所は狭いので,車体を吊り上げるクレーンは1台.こちらは地元,山北町の株式会社川崎重機が担当した.

この種作業に従事する人たちの手際のよさというか,スキルの高さには,いつも感心させられる.10月の箱根登山鉄道3100形“アレグラ”第2編成の搬入でもそうだった.そしてもちろん,今回も.なにしろ搬入場所は幅も奥行も広くない.狭い,というのが正しい表現である.
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この場所,かつてはドライブインだったという.運送会社の事務所がなければ,それなりの広さなのだろうが,ご覧の通りの狭さである.右隣の建物のすぐ横に,線路が敷かれているのが見えるだろう.

撮影には,道の向かいで陶器店兼和風カフェを営む“えじまや”の2階を拝借することができた.設置場所のほぼ真向かいだから,搬入作業を観察するのにうってつけのロケーションである.現在はCOVID-19感染抑止対策のため営業日が限られているが,本来は木曜日定休だそうである.
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3軒並んだ店舗のうち,真ん中が“えじまや”.この目の前の道路が国道1号線で,このあたりは東西に走っている.小田原駅を発車した電車は本町で右折してこの前を通り,箱根板橋に達していた.

正月の国道1号線といえば箱根駅伝.今年は無観客(完全にはそのようなわけにはいかないだろうけれど)での実施だそうだが,その分,TV中継はキメの細かい放送が行なわれるかもしれない.となれば,この電車も画面に登場する可能性がある.保護シートに覆われているかもしれないが(この節,1月1日に思いついての追記である).

そうこうしているうちに作業は順調に進み,8時半過ぎには台車が搬入された.
 そして9時半前には車体の搬入.バックで入るのかと思っていたのだが,前向きで敷地に進入した.作業風景の撮影には電車がよく見えるので“絵になる”.
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片側2車線,合計4車線の国道をふさいで敷地に進入.さすがに何度かの切り返しが必要だったが,“隙間”にぴたりと入り込む運転技術は,流石である.
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そして吊り上げ.重量バランスをしっかりと把握できていなければ,このような吊り方はできない.

吊り上げ作業そのものも迫力満点だったが,僕の狙いは,やっぱり床下台枠の様子を観察すること.台枠のどこをどのように切継いで全長を縮めたのか,その痕跡を発見することができないかと思ったのだが,作業はあまりにもスムーズで,その場では確認することができなかった.後日“分析”するしかないようである.
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据え付け完了.Zパンタもちゃんと屋根に載った.汚損防止のためにカバーが掛けられようとしているところである.

この時点で11時ちょっと過ぎ.約3時間の作業であった.

さてこの場所,2月下旬までに報徳仕法株式会社の手によって“Hakoneguchi-Garage報徳広場”として整備されることになっている.というより,その構想が先にあって,電車の保存場所に好適ということで,受け入れが決まったのだそうである.報徳広場の主な目的は,小田原旧市街地の観光客誘致と地元の人々の世代間交流にある.報徳仕法という会社は,小田原が生んだ偉人としての二宮尊徳を奉る報徳二宮神社の周辺事業を営む会社である.

さて,せっかく小田原まで来たのだから,途中まででも箱根登山電車の様子も観察したいと箱根湯本方面に向かった僕である.
 けれど前回に引き続いて随分と長くなってしまった.そこで,もっとも大きな変化をひとつだけご紹介することで,今年の締めくくりとしたい.
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被害が一番大きかった,宮ノ下と小湧谷の間でびっくり.新たに上路ガーダー鋼桁が架けられて線路が直線化され,崖の間に間隔が設けられていたのである.写真は復路の箱根湯本行き3004の前面展望である.

7月時点での線路が元の線路に忠実に敷かれていたのに対して,この変化によって,万が一,再び崖がくずれた時に線路への影響を避けることができる.ただ,宮ノ下側はなんと45m,強羅方も半径60mという急曲線が生じている.

小湧谷で箱根湯本行きを待っていたら,登ってきたのは先日投入されたばかりの3103+3104だった.そして宮ノ下へ到着した時,箱根湯本からやってきたのは104を先頭にした旧型車3輛で,最後尾は緑色の109だったということを,報告しておこう.

僕の住む練馬でも,しんしんと冷えてきた.もしかしたら氷点下まで下がるかもしれない.各地では年末年始にかけて大雪が降るとの便りも聞こえてくる.
 どうか,いつも以上にさまざま注意し,新しい年を迎えられますよう.
 その新しい年には,1日も早く,以前のような生活に戻ることができるよう,心から祈っています.
 本当に,1年間,お引き立てくださって,ありがとうございました.そして新しい年も引き続いておつきあいいただけますよう,お願い申し上げます.

※2021.01.01:箱根駅伝の節を追記