昨年12月はじめにJR東日本から発掘が発表された“高輪海中築堤”l.高輪ゲートウェイ駅建設とその周辺の再開発工事にともなって発掘された,鉄道創業時の遺跡である.
 その報道公開が1月8日に実施され,幸いにも参加することができたので許された範囲内でじっくりと観察してきた.

当日の朝はすごく寒かったけれど風はなく,空も雲ひとつなく晴れ渡って,遺跡観察には好適の日和であった.
 集合場所から敷地の中に入り,現場事務所の前でブリーフィング.取材陣は3ヵ所の公開ポイントを3つのグループに別れて順に撮影観察を行なうという段取りであった.

僕たちのグループが最初に案内されたのは,クリアランスが線路下から1.5mしかない,高輪橋架道橋や大木戸跡にほど近い,ポイントB.
F8A_3900
四角い石を横に目が通るように積まれた石垣.右端が途切れているのは,そのすぐ右側(北側)に水路のための擁壁を作るためだったかもしれない.そのさらに右側に高輪橋架道橋がある.画面右上に見える立ち木の場所が,大木戸跡である.

石垣の積み方にはさまざまな様式があって,なかなかに奥が深い世界のようである.
 今回発掘された石垣は,切込継布積と呼ばれる様式のようである.見た目は美しいが石材の加工や構築に手間が掛るとのことで,それは素人の目にも明らかである.

続いて案内されたのが,もっとも品川駅に近い,ポイントA.7号橋梁の橋台が露出した部分で,今回公開された遺跡の中で,ハイライトともいうべき部分である.
 この橋台の写真はJR東日本から12月2日に発表されたニュースリリースにも添えられていて,先のブログとれいん1月号の“いちぶんのいち情報室”でもお目に掛けたのだが,周囲が写り込んでいないものだから,大きさを掴むことができなかった.
 それが現地を訪問してみれば一目瞭然.明らかに3線分の幅がある.
 3線……明治5/1872年の鉄道開業時,本線は単線だった.複線化は明治9/1876年,のちの山手線を加えて3線となったのは明治32/1899年のことである.
F8A_3935
品川方から田町方を望む.先ほどのポイントから南へ下がったポイントである.大木戸跡付近も写りこんでいる.かつての山手線や京浜東北線の線路跡にパワーショベルが留置されている.発掘された築堤からこちら側は田町電車区の敷地になるのだろうか.

F8A_3989
7号橋梁橋台のクローズアップ.手前(海側)と奥(山側)とで石材の表面の仕上げが異なっていることが判るだろうか.露出した部分のほぼ中央から山側が線増時の増築分で,手前が創業時の石垣.手前の方が表面の仕上げが平滑である.
F8A_3958
7号橋梁橋台を田町方から見る.翼の石積みも美しい状態で残されている.石垣の裾部分には丹念に縁取りが施されている.海面にはたくさんの杭が見える.

数えきれないほどの数の杭はいずれも松材.昭和のはじめころまでは大きな構造物の基礎部分に松材が多用されていた.そういえば東京駅の復元作業でも大きな松杭が発掘されたのを見せてもらったっけ.

最後は,もっとも田町寄りのポイントA.かつて京浜東北線の乗り越し線や,品川客車区の札の辻群線,東京機関区があったあたりになるだろうか.
 ここでは,築堤を横断して山側に回ることができた.
F8A_4030
右手に見える高架橋は東海道新幹線.石垣は海側よりも切り立っている.随所に手作業で進められた発掘作業の跡が見える.

この部分で,自分の歩幅によって築堤幅を測ろうとしていたら,最初の複線分の幅が6.4m,3線分で15mと説明された.そのぐらいあれば,確かに充分である.
 そして大正期には,海側は東京機関区や品川客車区が新設されることで埋立が進み,山側は山手線や京浜線の線増で陸地化して,海中築堤は姿を消すことになった.
F8A_4053
山側の石垣をクローズアップで見る.海側とは積み方が全く違っている.谷積みというのだそうである.

谷積みとは,石を斜め(対角線が縦になる)にして積み重ねる様式で,江戸時代後期に始まった積み方だとか.有名な例は五稜郭の石垣だそうである.

……来週,20日前後には店頭に並ぶ予定の“レイルNo.117”の68から69頁には,この石垣の現役時代の姿を掲載している.
 レイルの締切時点では現場を見ることができていなかったため,明治32年以降の3線化以降ではないだろうかと推定して記した,6150形が列車を牽いて走る走る写真の撮影時期が,石垣の積み方からも立証できた.ほっ.
MT_SS_008
品川から新橋目指して快走する6150形牽引の旅客列車.レイルの写真説明ではバラストの新しさを撮影年代推定の根拠としたが,現地を観察して,石垣の積み方からほぼ確証となった.写真所蔵:前里 孝


ということで,レイルNo.117の発売を,楽しみにお待ちいただきたい


実は,1月10日から12日に掛けて実施された一般向けの見学会にも申し込んでいたのだが,残念ながら外れてしまった.報道公開に参加できたからよかった……と思っていたら,一般公開では,同時に発掘された汽車土瓶などが展示され,石垣の石,引き抜いた杭などを間近で観察することができたそうである.そういう意味では,残念!ではあった.次の機会を待つことにしよう.