東京の山手線が現在の運転形態になったのは大正末のことである.以来90年以上の間にはさまざまなできごとがあった.その全てを語るためには,どのぐらい紙数が必要になるか,見当もつかない.
近年の渋谷駅や品川駅における線路付け替えなどの改良工事を踏まえ,間もなく迎えることになる100周年を目指して企画を錬っていたのだけれど,一筋縄ではいかないこと明白であるからして,深く悩み続けていた.
そうこうしているうちに原宿駅本屋の建て替え問題が本格化して実行に移され,さらに一昨年の終わり頃には,明治時代のいわゆる“高輪築堤”遺跡が発見されるという,なんとも“レイル”向けの話題が続いた.
そこで目論んだのが,お目に掛けたとおりの,原宿駅と高輪築堤を主題として,グラフや思い出話で“環状運転”を実現しようという企画だった.
そこで問題になるのが,高輪築堤発掘現場の公開時期…というか,そもそも公開されるのかどうかが不明だった…である.1月下旬発売の書籍への掲載を間に合せるためには,12月中旬には現場の撮影が終了してなければならない.ジリジリしながら待つうちに,ようやく発掘に関するプレスリリースは発表された.しかし,一般への公開は1月に入ってからだという.報道公開はどうなのだろうか.いろいろ各方面に訊ねてみたのだけれど,見当すらつかない.待てるだけ待ったものの,最終的にはプレスリリースに添えられた写真と図版を掲載することで折り合いをつけるしかなかった.
けれど,黒岩さんから引き継いだ“秘蔵”の写真群は,自分でいうのも変だけれど,大宮の鉄道博物館にも収蔵されていない写真ばかりで,実に迫力満点.各方面から多大のご評価をいただくことができた.
高輪海中(海上)築堤を行くA8牽引の旅客列車.印画紙(鶏卵紙)の汚れや劣化は惜しいが,実にあの築堤の実際を表現した名作だと思う.A8にしても,これほど生き生きと誇らしく活躍している姿は,それほど多く残されているわけではない.写真:松鷹文庫
もうひとつの主題である原宿駅.こちらは高見彰彦さんが寄せてくださった稿である.最初は建物財産標がテーマであり,さまざまな建築物に取り付けられている財産標について,その考察が展開されるはずであった.いや,今回の原宿駅でもそのようになってはいるのだが,調査を続けているうちに,重大な過誤があることが判明したことで,稿の方向性が変化せざるを得なくなったのである.
普通の駅ならともかく(というのは,普通の駅に対して大変失礼な言い草である),大いに話題となった原宿駅の建築年が数年単位でずれていることが,ほぼ間違いないことが明らかになったのだから.
なぜ裾野駅や伏木駅が一緒になっているのか,不思議と思われた方がおられたの当然のことなのだけれど,そのような経緯で出来上がった稿なので,多少の不自然さを許容していただければありがたい.レイルで扱っているのは学位論文ではなく,趣味の研究であるのだし.
表紙に使わせていただいた,高見さん自身の撮影による淡雪の原宿駅.ノーカット版である.普段はjpegでの撮影だという高見さんだが,気合を入れてRAWデータでの撮影.その甲斐あって,“表紙を見て迷わず購入した”という読者の声も聞こえてきた.高見さんともども,大いに喜んだことである.写真:高見彰彦
原宿駅といえば欠かせないのが宮廷ホーム.どなたかおられないかと思案したところで思い出したのが“原宿駅にはお世話になったのですよ”と言っておられたのを思い出してお願いした先が,高橋卓郎さんだった.僕の思った通りのお話を写真を寄せてくださった.そのおかげで,明治だの大正だのという大昔…いや冗談ではない.大正10/1921年が100年前のことなのだし,50年前は昭和46/1971年なのですよ.今や…の事柄から,ずっと現代の話題を展開していただけたのだから.
原宿駅宮廷ホームに停車中のEF58 61.僕の世代ではC51239よりも,こちらのほうが馴染みがあって,お似合いだと思う.写真:高橋卓郎
その,高橋さんの思い出から少し遡ったのが,ヒギンズさんの写真群である.同時に,山手線の東半分と西半分をつなぐ役割も担っていただいた.
ヒギンズさんといえば,なぜか私鉄電車,それも路面電車という印象が強い方も少なくないようだ.けれど実際には大手私鉄も国鉄も,電車も機関車も,客車や貨車も,そして貨車移動機も,実に丹念に撮影しておられる.
東京駅のC62 21.ホームにはキャブを撮影している人やカメラを首に下げてたたずむ人も見える.東京駅からC62が消えるのを惜しんだ趣味人だろう.ヒギンズさんももちろん,その中の一人である.趣味活動の範囲が幅広かったことを物語る写真の1枚といえよう.写真:J.W.HIGGINS
奇しくも今月発売のとれいん2021年3月号では,山手線の最新鋭電車E235系をMODELERS FILEとして採り上げている.併せてご覧いただき,山手線の今昔を楽しんでいただければ幸いである.
第2テーマは,林 宏祐さんから寄せられた,新京阪鉄道…現在の阪急電鉄京都線における貨物輸送の痕跡探索である.
新京阪鉄道では実際に“魚菜電車”と呼ばれた5000形や3000形電動貨車,そして,どう見ても荷物室付電気機関車である2000形を保有していた.さらに今もなお西京極駅に残るプレート-ガーダー桁の存在は,新京阪線に興味を持つファンには有名な存在である.けれど,未成に終わった本格的な貨物駅建設の経緯については,これまで深く掘り下げた研究がなされてこなかった.林さんは,現地の検分と徹底した資料探索によって,発端から昭和9/1934年12月の計画放棄に至るまでの推移を明らかにされた.
開業から90年以上を経た西京極駅に残るプレートガーダー.9300系を筆頭とする現代の電車たちが豪快に駆け抜ける横で,ひっそりと歴史を語ってくれている.写真:林 宏祐
林さんはレイルでは初登場だが,既に鉄道史料誌でもご研究を発表されている.高見さんといい,若い趣味人が次々と登場して,将来が楽しみな,今日この頃である.
若い趣味人といえば,レイルNo.109に“JR奈良線 歴史を探る”を発表してくださった高田 圭さんも,そのうちの一人だろう.その高田 圭さんが,鉄道友の会の,島 秀雄記念優秀著作賞を受賞された.対象は奈良線研究である.レイルでは単に発表の場を提供させていただいたに過ぎないのだけれど,掲載された稿が栄誉を受けるというのは,やはり嬉しいものである.今後のご活躍にも,大いに期待しているところである.
※2021.03.23:タイトル一部変更
近年の渋谷駅や品川駅における線路付け替えなどの改良工事を踏まえ,間もなく迎えることになる100周年を目指して企画を錬っていたのだけれど,一筋縄ではいかないこと明白であるからして,深く悩み続けていた.
そうこうしているうちに原宿駅本屋の建て替え問題が本格化して実行に移され,さらに一昨年の終わり頃には,明治時代のいわゆる“高輪築堤”遺跡が発見されるという,なんとも“レイル”向けの話題が続いた.
そこで目論んだのが,お目に掛けたとおりの,原宿駅と高輪築堤を主題として,グラフや思い出話で“環状運転”を実現しようという企画だった.
そこで問題になるのが,高輪築堤発掘現場の公開時期…というか,そもそも公開されるのかどうかが不明だった…である.1月下旬発売の書籍への掲載を間に合せるためには,12月中旬には現場の撮影が終了してなければならない.ジリジリしながら待つうちに,ようやく発掘に関するプレスリリースは発表された.しかし,一般への公開は1月に入ってからだという.報道公開はどうなのだろうか.いろいろ各方面に訊ねてみたのだけれど,見当すらつかない.待てるだけ待ったものの,最終的にはプレスリリースに添えられた写真と図版を掲載することで折り合いをつけるしかなかった.
けれど,黒岩さんから引き継いだ“秘蔵”の写真群は,自分でいうのも変だけれど,大宮の鉄道博物館にも収蔵されていない写真ばかりで,実に迫力満点.各方面から多大のご評価をいただくことができた.
高輪海中(海上)築堤を行くA8牽引の旅客列車.印画紙(鶏卵紙)の汚れや劣化は惜しいが,実にあの築堤の実際を表現した名作だと思う.A8にしても,これほど生き生きと誇らしく活躍している姿は,それほど多く残されているわけではない.写真:松鷹文庫
もうひとつの主題である原宿駅.こちらは高見彰彦さんが寄せてくださった稿である.最初は建物財産標がテーマであり,さまざまな建築物に取り付けられている財産標について,その考察が展開されるはずであった.いや,今回の原宿駅でもそのようになってはいるのだが,調査を続けているうちに,重大な過誤があることが判明したことで,稿の方向性が変化せざるを得なくなったのである.
普通の駅ならともかく(というのは,普通の駅に対して大変失礼な言い草である),大いに話題となった原宿駅の建築年が数年単位でずれていることが,ほぼ間違いないことが明らかになったのだから.
なぜ裾野駅や伏木駅が一緒になっているのか,不思議と思われた方がおられたの当然のことなのだけれど,そのような経緯で出来上がった稿なので,多少の不自然さを許容していただければありがたい.レイルで扱っているのは学位論文ではなく,趣味の研究であるのだし.
表紙に使わせていただいた,高見さん自身の撮影による淡雪の原宿駅.ノーカット版である.普段はjpegでの撮影だという高見さんだが,気合を入れてRAWデータでの撮影.その甲斐あって,“表紙を見て迷わず購入した”という読者の声も聞こえてきた.高見さんともども,大いに喜んだことである.写真:高見彰彦
原宿駅といえば欠かせないのが宮廷ホーム.どなたかおられないかと思案したところで思い出したのが“原宿駅にはお世話になったのですよ”と言っておられたのを思い出してお願いした先が,高橋卓郎さんだった.僕の思った通りのお話を写真を寄せてくださった.そのおかげで,明治だの大正だのという大昔…いや冗談ではない.大正10/1921年が100年前のことなのだし,50年前は昭和46/1971年なのですよ.今や…の事柄から,ずっと現代の話題を展開していただけたのだから.
原宿駅宮廷ホームに停車中のEF58 61.僕の世代ではC51239よりも,こちらのほうが馴染みがあって,お似合いだと思う.写真:高橋卓郎
その,高橋さんの思い出から少し遡ったのが,ヒギンズさんの写真群である.同時に,山手線の東半分と西半分をつなぐ役割も担っていただいた.
ヒギンズさんといえば,なぜか私鉄電車,それも路面電車という印象が強い方も少なくないようだ.けれど実際には大手私鉄も国鉄も,電車も機関車も,客車や貨車も,そして貨車移動機も,実に丹念に撮影しておられる.
東京駅のC62 21.ホームにはキャブを撮影している人やカメラを首に下げてたたずむ人も見える.東京駅からC62が消えるのを惜しんだ趣味人だろう.ヒギンズさんももちろん,その中の一人である.趣味活動の範囲が幅広かったことを物語る写真の1枚といえよう.写真:J.W.HIGGINS
奇しくも今月発売のとれいん2021年3月号では,山手線の最新鋭電車E235系をMODELERS FILEとして採り上げている.併せてご覧いただき,山手線の今昔を楽しんでいただければ幸いである.
第2テーマは,林 宏祐さんから寄せられた,新京阪鉄道…現在の阪急電鉄京都線における貨物輸送の痕跡探索である.
新京阪鉄道では実際に“魚菜電車”と呼ばれた5000形や3000形電動貨車,そして,どう見ても荷物室付電気機関車である2000形を保有していた.さらに今もなお西京極駅に残るプレート-ガーダー桁の存在は,新京阪線に興味を持つファンには有名な存在である.けれど,未成に終わった本格的な貨物駅建設の経緯については,これまで深く掘り下げた研究がなされてこなかった.林さんは,現地の検分と徹底した資料探索によって,発端から昭和9/1934年12月の計画放棄に至るまでの推移を明らかにされた.
開業から90年以上を経た西京極駅に残るプレートガーダー.9300系を筆頭とする現代の電車たちが豪快に駆け抜ける横で,ひっそりと歴史を語ってくれている.写真:林 宏祐
林さんはレイルでは初登場だが,既に鉄道史料誌でもご研究を発表されている.高見さんといい,若い趣味人が次々と登場して,将来が楽しみな,今日この頃である.
若い趣味人といえば,レイルNo.109に“JR奈良線 歴史を探る”を発表してくださった高田 圭さんも,そのうちの一人だろう.その高田 圭さんが,鉄道友の会の,島 秀雄記念優秀著作賞を受賞された.対象は奈良線研究である.レイルでは単に発表の場を提供させていただいたに過ぎないのだけれど,掲載された稿が栄誉を受けるというのは,やはり嬉しいものである.今後のご活躍にも,大いに期待しているところである.
※2021.03.23:タイトル一部変更