この3月13日のダイヤ改正で,西武鉄道では2つの駅で改称を行なった.ひとつは西武山口線“遊園地西”から“西武園ゆうえんち”へ,もうひとつは山口線と多摩湖線の“西武遊園地”から“多摩湖”への改称である.
 かつて…僕が西武線沿線住民になった頃の新宿線には,“準急 拝島・多摩湖行き”という列車がたくさん走っていた.解結作業は萩山で行なっていた.何度か作業風景の見物に行った記憶があるのだけれど,ちょっとネガ引き出しを探ってみた範囲では見つけることができなかった.日常のスナップはカバーに撮影地を書いていないことが多く,一齣ずつ確かめる必要がある.その作業は,面倒というより,自分がタイムトラベラーと化してしまう…いう意味で大変なのである.
 それはさておき,“西武遊園地”駅は,いつまで初代“多摩湖駅”だったのかといえば,西武鉄道が昨年2月26日付けで発表したプレスリリースによれば,昭和54/1979年のことだそうである.
 村山貯水池として開業したのが昭和11/1936年12月30日,狭山公園前への改称が昭和16/1941年4月1日,そして多摩湖となったのが昭和26/1951年9月1日,西武遊園地に変更されたのが昭和54/1979年年3月25日,ということのようである.
 と,するならば,西武遊園地という駅名が43年間続いたことになるわけで,歴代駅名の中で,もっとも長い時間を経過していることになる.2番目が多摩湖で29年.その割には多摩湖の印象が強いのは,どうしてだろう.西武新宿からの直通電車があったからだろうか.いやいや,西武遊園地になってからでも直通運転は残っていた.ではなぜ?不思議である.

ということで,新しい駅名標や行先表示を確かめるため,半年ぶりに新宿線系統を散歩してきた.もちろんそれだけではなく,そろそろ多摩湖線にワンマン仕様9000系が増えてるかもしれないということと,いよいよ引退が発表された“レッドアロークラシック”を記録できないだろうかという目論見もあっってのことである.
 しかも,許された時間は半日弱.運に天を任せて事務所をあとにした僕である.

新井薬師前から乗った急行電車の車窓に見えた特急“小江戸”は,上りも下りも一般色編成だった.うろ覚えによれば,昼間の特急は2編成で運用をまかなうことができるはず……ということで,新宿線の途中で降りるのは止めにして萩山へ直行.
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目の前に現われたのは9102の編成だった.今年になってから改造が落成した新顔ではある.
年末に池袋線から引退した9106の編成を期待していなかったといえばウソになる.


去年の秋に目撃できたのは9105とレジェンドブルーの9108編成……というのを確認するために読み直してみたら,残存編成として,既に廃車となっていた番号を並べ立てていた.お恥ずかしい.この機会に訂正しておきました…….
 期待していた9106というのは,京急とのコラボ企画で真っ赤に装われた“RED LUCKEY TARIN”である.一足,訪問のタイミングが早すぎたのかもしれない.
 奥の留置線に見えるのはパンタグラフが菱枠だから2000系に間違いない.萩山と国分寺の間の区間列車に使われている編成だろう.

そしてほぼ同時に到着の9108編成に乗って多摩湖へ.
 あとで昨年秋の写真と比較しようと駅名標などを写し,この駅名を表示するのはお初だろうレオライナーも記録し……帰宅後にファイルを開いてみたら,なんと,改称前の駅名標は,写していなかった!辛うじて撮影していたのは,レオライナーの方向幕だけであった.なんたる.

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レオライナーでは多摩湖の行先表示は初めての組み合わせ.もっとも,9000系だってレオライナーよりもさらに新しいのだから.

改札を出て駅舎の駅名標を撮影し,多摩湖線から101系が引退する原因となった軽量タイプホームドア稼動状況を見るために,そのまま国分寺へ.
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どこで軽量化をはかっているのかと思ったら,ゲートが板ではなく柵になっていた.通常タイプに比べれば,電車と人々との間の“隔離”感は和らいでいるといえるかもしれない.すべてこのタイプでは,ダメなのだろうか.

とって返して青梅街道へ.さきほど車窓に菜の花を見掛けたから.
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残りの2編成が就役したら姿を消すだろう,2000系の“萩山”行きと菜の花である.
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9000系の“多摩湖”表示は舞い戻った萩山の進入で記録.

そろそろ新宿線のどこかへ戻ってみようかとも思ったが,特急が増える時間帯にはまだちょっと早いと思い直して,前回,撮影し忘れた屋根上を跨線橋から撮影することとした.ただし,1側は綺麗に撮れるものの,2側はホーム上屋があるので難しい.そういえはさきほど,一橋学園のところに跨線橋があったような.もう一度,出直しだ.


そういえば,かつての分割併合はどのあたりで作業していたのだろうか……と,記憶を呼び出そうとしたのだけれど,僕が見に行ったのは,まだ351とか1411とかいう数字の電車が大多数を占めていた時代である.編成輛数だって,今の10輛編成なんてとんでもない.2+2輛とか,せいぜい2+4輛だったかの時代である.上屋だって,場合によってはホームすら改築されている可能性がある.西武新宿から乗ると前が拝島行きで後ろが多摩湖行きだったということは,間違いないと思うが.
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駅の両端で路線が分岐する萩山駅では,10輛編成運転会してホームは延長できたけれど,ポイントの移設はままならず,多摩湖からやってきた国分寺行きはボームの途中でポイントを渡り,さらにクロッシングも越して行く.東海道本線の三島を思わせる光景が20分に一度,展開される.こちらのホームに向かって加速してくるさまは,ちょっとした迫力シーンである.

気がつけばもう夕刻.レッドアロークラシックの動向は気になるけれど,そろそろ家路につかなければ……と,東村山で高架化工事が進んでいるのを確かめつつ所沢へ抜けてホームで一息ついていたら,本川越方面の発車案内に“特急 小江戸”が表示された.遠くに見える車両の色が……明るい?
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レッドアロークラシックこと10105編成だった.所沢の駅にも立派なホームドアが完備してしまったものだから,可動式の液晶モニターを活用してのライブビュー撮影となった.

この編成も昨年秋の西武球場前駅での出会い以来である.4月29日に定期運用から退くと発表されたわけだが,この表現は,その後もしばらくはツアー列車などが企画されることを意味していると思う.その後については塗装を戻すのか廃車となるのか…….
 4月16日から,前面と1,4,7号車の車体側面にラストランロゴを掲出することになっている,普段着の姿を記録できる期間は,あと3週間.