前回,広島に滞在したのはいつのことだっただろう……と,記憶を引っ張り出してみたら,多分,22年ぶりのようだ.
 22年前の平成11/1999年に何があったのかといえば,広島電鉄5000形“グリーンムーバー”がデビューしている.3月にロシアの巨大貨物機アントノフ124で到着した第1編成の到着風景と,5月だったかのお披露目に際して訪れたのが,どうやら“最近”だったようである.
 では今回は何があった?

それは,とれいんの4月号をご覧いただいた方には既にご承知の,227系0番代.

国鉄時代の電車が一大勢力を誇っていた広島都市圏の輸送を一気に近代化した,この電車の全貌を探ろうという目論見である.
 この227系は,東海道・山陽本線の快速列車用225系を基本とした,JR西日本の標準設計近郊形電車の発展形である.
 しかし,この227系0番代単独では,JR西日本の,徹底した設計標準化の様子は見えてこない.続いて大阪環状線に登場した323系,さらに2019年から営業運転を開始した和歌山地区用227系1000番代を併せて紹介することによって,標準化の様子や,地域性に応じて実施された変更点が浮かび上がってくると考え,温め続けてきた題材だったのである.

323系は2018年に,227系1000番代の基本は2019年に取材を済ませ,集大成として,源流を探るべくの広島訪問が2020年11月だったというわけである.
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初めて乗る(!),“さくら”の車中から広島運転所…ではなく下関総合車両所広島支所……に太白中の227系と初邂逅.画面奥の照明塔は,“電車が見える球場”として有名な,MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島

広島駅に降り立って最初に訪れたのが己斐…ではなく西広島の駅.駅本屋が改築中で,古い跨線橋が間もなく姿を消すから……でもなくて,下調べと記憶から,駅の外れの踏切が,真横の写真を撮影するのに好適だと思ってのこと.ここがダメだった場合に備えて,他にも何ヵ所かの候補は頭の中にあったのだけれど,結果的には,正解だったようである.そのようなことで,この電車の真横写真は,すべて広島方の踏切で撮影したものである.
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最初に遭遇したのが,川崎重工製A44編成(右)と近畿車輌製A1編成(左).乗務員扉の水切りが違う形であるのに気付いたのは,撮影後のことである.

背景の建物に記されている“己斐鍼灸整骨院”の看板で撮影地の見当がつくわけだが,本に使用した写真では“己斐”は全部トリミングされてしまい,僅かに1枚だけに“鍼灸”の文字が読めるだけとなった.

いつものこととはいえ,同じ場所に3時間も立ち続けての撮影は,周りの人の目が気にならないといえばウソになる.しかも,明らかに普通の列車写真撮影に不向きなポイントでは,なおさらのこと.

ちゃんとした運用が判明しているわけでもないから,時刻表のコピーを片手に,“今通って行ったのは岩国行きだから,戻って来るとすれば○分後だろうか”などと想像を働かせて待ち構えるわけである.ただし,“小まめな輸送サービス”実現のための2連と3連であるわけだから,終点で切り離されて片割れだけが戻ってくることも,あった.一方では狙いの編成が予想通りに戻ってきた時には,“やったっ!”

貨物列車の多い山陽本線のことであるから,東日本では見かけることが少ないコンテナを観察するチャンスでもある.
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14時ちょうどに下って行ったUM12A-105364と105268,105363.2013年から,全国通運所有で下関海陸運送が運用している,産業廃棄物輸送用.下関市のごみ焼却灰輸送用で,本来は下関と新南陽の間で使われているらしい.この日,僕の目の前に現われた理由は,もちろん,不明である.

16時前には,こんな車輛も顔を見せてくれた.
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キハ40系改造の“et SETO ra.踏切の反対側にいれば,ほぼ順光で全体を撮影できたのだけれど,まぁ,しょうがない.現物を見ることができただけでも幸いとせねば.

そして本題の……ちがうっ…跨線橋.
いや,その前に,踏切脇に存在する謎の線路をお目に掛けたい.
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踏切から広島方を見る.上り本線から分岐して踏切直前までの側線が1本,存在している.昭和59/1984年に廃止された貨物扱いのための線路なのだろうけれど,なぜ残されているのか.分岐器は,乗り越しではなく普通のポイントのように見えた.保線用車輛の置き場?にしては,使われている様子がないのも不思議である.

さていよいよ跨線橋.古レールが多用されているタイプで,駅本屋(海側)は下り方だけに階段があり,上りホーム側は両方向に階段がある.駅本屋側は,階段を降りた先には本屋がなく,回れ右する必要がある.これは,元来は階段を降りたところに本屋があって,いまは仮の建物であるからで,不思議はない.元の駅本屋は平屋ながら大規模な建築物だったと記憶している.写真を撮っていない(はず)のが悔やまれる.
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上りホームから見た跨線橋と現在の仮改札口.階段を降りた右が旧本屋跡.ホームの擁壁には二度に及ぶ扛上の痕跡が歴然としている.中線が1本,撤去されていることも解るだろう.
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下りホームから見た跨線橋.残念ながら建物財産標はなく,レールの銘もほとんど全く,読み取ることができなかった.画面左で新しい橋上駅舎が建設中.2022年の完成予定だそうである.

気がつけば太陽は大きく西へと傾き,やはり22年振り(多分)の再会となる旧友との待ち合わせ時刻が迫っていた.本当は広島電鉄の市内線で広島駅へ戻ろうと思っていたのだけれど,もうそんな余裕はない.そのまま227系の客となった僕である.