とれいん今月号のMODELERS FILE,JR東日本のE131系と,しなの鉄道のSR1系電車は,お楽しみいただけただろうか.
 側扉の数が3枚だったり4枚だったり,車体断面がE233系準拠だったりE235系準拠だったり,片や0.5M方式で片やMT方式であるなどという違いはあるものの,ともに地域輸送用の最新標準タイプとして開発された電車である.お顔のデザインも近似性が強いということもあって,JR西日本の三姉妹に引き続いて,セットでご紹介することにしたものである.

そのうちE131系は2月の報道公開後,営業運転の開始を待ち,さらに線路設備モニタリング装置の搭載車及び搭載対応車もぜひご紹介したい,と意気込みながら,4月に現地へ赴いたことである.
 幸いにも願いは叶って80番代と称する2編成にも出会うことができた.一般車とは配置が異なっている客室も,タイミングよく土屋隆司さんが寄せてくださったお蔭で掲載することができた.
 前回,外房を訪れたのはいつのことだろうかと思い起こしてみれば,それは2010年5月のことだったようである.2019年7月号(通巻535号)のサイクリング電車B.B.BASE紹介のときに,太海と江見の間の山生(やもめ)橋梁を渡る209系の写真を使ったことを思い出した.この時の主目的はなにだったのかといえば,まだ房総全域に残っていた113系電車だった.その成果は2010年7月号(通巻427号)の“湘南電車と横須賀線”でお目に掛けている.

さて,10年振りの外房で最初に向かったのは,E131系の真横を効率よく撮れそうな場所ということでの,太東と長者町の間だった.本当にラッキーなことに,現地へ到着して間もなく,モニタリング装置を実装した編成(R11編成)がやってきた.上総一ノ宮行きとその折り返しで真横は撮影できた.次は屋根上である.これはどの編成も変化はない.最寄りの長者町駅へ向かってみたら,屋根のない跨線橋があったので,ここで両方向撮影することにした.
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駅前広場から見た長者町駅本屋.郵便ポストと公衆電話,そして客待ちのタクシーと,“平凡な駅前”に必要な小道具は,全部揃っている.

外壁は近代化されているが,妻は横羽目板張りのまま残されていた.ざぅと見渡したところでは建物財産表は残っていないようである.古めかしくはあるけれど,明治32/1899年12月の房総鉄道開業時点のものではないだろう.
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屋根に掲げられている駅名表示は琺瑯製の年代物だった.国鉄時代…昭和20年代昭和30年代以降(末尾に注記あり)の骨董品だろうか.太平洋岸に近いこの地で,よく風雪に耐えているものだ.
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ホーム側からみた駅本屋.ホーム上の張り出しは,かつての信号テコ扱い所だろう.その証としてその部分のホーム擁壁には欠き取りの痕跡が残されている.

ホーム側からみた本屋で印象的なのは信号テコ扱い所跡の張り出しと,画面奥(太東方)の差し掛けを貫く架線柱兼通信柱兼照明燈柱だろう.
 ちなみにこの区間が電化されたのは昭和47/1972年7月のことである.
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2番線…千葉.茂原方面行きホーム上の待合室.こちらは外壁全部が横羽目板のままである.画面右端の柱に貼られた駅名標の上に建物財産標が残っていて昭和21年4月と記されていた.で,クローズアップの写真を……と思ったのだが,なんということか,撮り忘れていたようである.ホームの擁壁には構内踏切のための欠き取り跡が残る.

そろそろ安房鴨川からの列車がやってくる時刻.跨線橋の上で待っていたら,上総一ノ宮方から白い顔が見えた……B.B.BASEであった.約2年振りの再会である.
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B.B.BASE,この日は“B.B.BASE外房”として両国を7時40分に発って上総一ノ宮が8時49分,勝浦が9時19分,安房鴨川が8時55分着という肯定だった…というのは,後日調べて知ったことである.

ここで気になったのは,2番線背後の,ホームとほぼ同じ高さの用地.畑という風でもなく,なんとも不思議な様子である.
 そこで,これも帰宅後に国土地理院の古い空中写真を閲覧してみたのだけれど,線路があったのかなかったのか,どうもよく判らない.
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ホームすぐ横には真新しい柵があり,その向こうにも古びた柵がある.古い柵までがかつての国鉄用地で,近年になって新しい柵までの間を売却したようにも見える…….樹木は半世紀あればこのぐらいに育ってしまうから,判断の材料にはならない.

一方,1番線側の安房鴨川方に貨物側線があったのは間違いないことで,それは今でも明確な痕跡がある.
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1番線の安房鴨川方.画面左側は明らかに貨物側線跡地である.道路との境界柵は古枕木製にも見える,じっくり眺めてみると真新しい材料が使われていて,古枕木ではないことが判る.

側線が何本敷かれていたのかまでは空中写真から判別できない.でも,敷地の幅からは2本または3本,たぶん2本だろうかと思う.柵の外側の,今は払下げられている場所に,貨物上屋があったと考えれば辻褄はあうのだが,さて正解は?

そうそう,この駅から南側,安房鴨川方は単線である.そして上総一ノ宮方は複線である.JR化後の平成8/1996年11月に東浪見(とらみ)との間の工事が完成したものである.上総一ノ宮と御宿の間の,現在は単線である区間でも用地買収を終えているところが数多く見られ,未成トンネルも存在するが,さて,今後,実現する可能性はどうだろうか.

と,探索しているうちに,安房鴨川行き列車の時刻が迫ってきた.この列車の屋根を撮ったら,さきほど真横を撮影したモニタリング装置搭載編成を追って,安房鴨川方面へ移動しなくちゃ,である.

※2021.05.21:駅名標の年代修正
この駅名標は,その書体から推して,昭和30年代以降のものではないか思う,というアドバイスを,高見彰彦さんが下さった.ありがとうございます.