気がつけば今年ももう9月,それも半分以上が過ぎ去った……おなじようなセリフを,なんど繰り返していることだろう.
我等がレイルも,7月にNo.119を刊行して,いまやNo.120の編集追い込みに大童状態である.このNo.120では……という前に,恒例の,No.119の編集こぼればなしなどを…….
僕たちの年代の汽車好きには憧れの存在だった20系寝台客車を特集したのは,もう2年ちょっと前のNo.110でのことだった.お蔭様でご好評をいただき,増刷したにもかかわらず,在庫は残り少なくなった.
ならば牽引機の特集もぜひ!とのお声がたくさん寄せられているのだけれど,こちらはなかなか公式写真で特集を組むほどのストックがない.そもそも,メーカーで落成時に取られた機関車の数は,本当に少ないのではなかろうか.どうしよう…….
などと考えあぐねているうちに,JR東日本ではレール輸送を機関車牽引から専用の気動車キヤE97系に移行が始まってしまった.そうなれば,“ブルートレイン牽引用”として誕生した機関車の中でたった1輛だけの現役機となった,高崎車両センターのEF65 501の行方が案じられる.
ならばこの機関車に的を絞って,取材を申し込んで形式写真と細部写真をじっくり撮影して過去の写真を皆さんから募って……とも考えたのだけれど,このご時勢,鉄道現場での撮影取材はなかなか実現が難しい.
そこで思い切って現状の写真は抜きにして,ずっと温めてきた,ふちい萬麗さん形態帯分類記事を核として,この機関車の全盛期の姿を展開するのが,むしろ“レイルらしい”のではないかと,ようやく頭の中で考えがまとまった.
EF65 500番代が登場した頃……僕はまだ小学生である.いわゆる“よん・さん・とお”で,ようやく中学生.その後は蒸気機関車に現を抜かしていたし.
ということで,今回大変お世話になったのが,早川昭文さんと吉田修平さんのおふたりというわけである.
関東地方でのEF65 500番代撮影の定番ポイントで,富士山バックの“富士”を見事に射止められたのが吉田さん.このポイントは,今では自動車専用道の完成によって“失われた世界”となってしまったようだ.三島-函南 昭和53/1978年2月26日 写真:吉田修平
EF65 500番代に牽かれる客車は,どれがベストマッチングだろうか,というのは,しばしば議論のテーマとなる.一方で20系客車がもっともよく似合う機関車はどれだろう,というのもまた,意見の分かれるところである.
No.110の20系客車では,さまざまな機関車に登場してもらった.そこで今回は,20系から24系25形までの組み合わせを集めるべく,努力した.
そのわがままに応えてくださったのが,早川さんである.
神足駅の外れで撮影された“日本海”のスナップ.20系客車の深い屋根に圧倒されないように,というわけでもなかろうが,パンタグラフを目一杯上げたEF65 500の姿は迫力満点だった.神足-向日町 昭和43/1968年10月16日 写真:早川昭文
早川さんはこの写真を,“いい写真ではありません”と謙遜されるが,いかにも秋の朝らしい冷たい空気が画面に溢れている,すぐれたスナップ写真であると,僕は思う.
僅かな期間しか運転されなかった“とびうお”“銀鱗”でのEF65 500番代重連運転も,しっかりと捉えられている.
大舞台から降りてからの姿も,せっかくなので何点かお目にかけ,裏表紙では“手前味噌”で両毛線の霜取り機関車を使わせてもらったのだけれど,ここでミスをしでかしてしまった,撮影日が,実際より9年も遡ってしまったのだった.正しくは平成22/2010年1月19日.伊勢崎市の華蔵寺公園からC6120が搬出される,その日の早朝,“行き掛けの駄賃”だった.失礼いたしました.
さて,第2テーマは京都市N電のその後……北野線(堀川線)の廃止から60年の節目となる今年である.宮崎繁幹さんのご努力によって,国重要文化財に指定された栄えある電車ながらも現役時代の姿がほとんど残されていない“2号電車”の写真が新たに発見されたこと,京都市の市電に関する図面や資料類が誌の文化財に指定されたこと,それを祝う展覧会が企画されたこと…さまざま交錯する中での,“その後”企画である.
遠藤晃一さんによる,さらなるN電考察も意義深いことだった.そして愛知県岡崎市在住の藤井 建さんから寄せられた,愛知県でのN電の活躍の思い出も,貴重である.
前照燈が屋根上にあるので別の電車のように見えるが,N電である.車庫前で下N電同士が顔を合わせた貴重なシーン.この写真撮影後,まもなくN電は廃車となった.岡崎市内線は,奇しくも京都市電北野線廃止の翌年,昭和37/1962年6月に全線廃止となっている.岡崎車庫前 昭和29/1954年1月 写真:倉地満孝 所蔵:名古屋レール・アーカイブス
そうそう,花上嘉成さんからは,堀川での着物職人の作業とN電との出会いという,雅趣溢れる写真をご提供いただいている.これも必見である.
締めくくりは,高見彰彦さんの“汽車電車と記念写真”の第2回目.京急電車,目蒲電車から出征兵士を乗せたC50,流電からD52へど,話題が転がるように展開して行く.
背景のモハ51と思しき電車の定員が“130人”と記されているのに対して,該当する電車が…….ということで,高見さんを大いに悩ませた記念写真.所蔵:高見彰彦
ということで,今回も盛りだくさんの内容でお届けしたレイルNo.119.まだご覧になっていない方は,ぜひともお近くの書店や模型店へ,ご注文を! お店にご不便な方のために,e-shumi.jpでも承っています.どうぞよろしくお願いします.
我等がレイルも,7月にNo.119を刊行して,いまやNo.120の編集追い込みに大童状態である.このNo.120では……という前に,恒例の,No.119の編集こぼればなしなどを…….
僕たちの年代の汽車好きには憧れの存在だった20系寝台客車を特集したのは,もう2年ちょっと前のNo.110でのことだった.お蔭様でご好評をいただき,増刷したにもかかわらず,在庫は残り少なくなった.
ならば牽引機の特集もぜひ!とのお声がたくさん寄せられているのだけれど,こちらはなかなか公式写真で特集を組むほどのストックがない.そもそも,メーカーで落成時に取られた機関車の数は,本当に少ないのではなかろうか.どうしよう…….
などと考えあぐねているうちに,JR東日本ではレール輸送を機関車牽引から専用の気動車キヤE97系に移行が始まってしまった.そうなれば,“ブルートレイン牽引用”として誕生した機関車の中でたった1輛だけの現役機となった,高崎車両センターのEF65 501の行方が案じられる.
ならばこの機関車に的を絞って,取材を申し込んで形式写真と細部写真をじっくり撮影して過去の写真を皆さんから募って……とも考えたのだけれど,このご時勢,鉄道現場での撮影取材はなかなか実現が難しい.
そこで思い切って現状の写真は抜きにして,ずっと温めてきた,ふちい萬麗さん形態帯分類記事を核として,この機関車の全盛期の姿を展開するのが,むしろ“レイルらしい”のではないかと,ようやく頭の中で考えがまとまった.
EF65 500番代が登場した頃……僕はまだ小学生である.いわゆる“よん・さん・とお”で,ようやく中学生.その後は蒸気機関車に現を抜かしていたし.
ということで,今回大変お世話になったのが,早川昭文さんと吉田修平さんのおふたりというわけである.
関東地方でのEF65 500番代撮影の定番ポイントで,富士山バックの“富士”を見事に射止められたのが吉田さん.このポイントは,今では自動車専用道の完成によって“失われた世界”となってしまったようだ.三島-函南 昭和53/1978年2月26日 写真:吉田修平
EF65 500番代に牽かれる客車は,どれがベストマッチングだろうか,というのは,しばしば議論のテーマとなる.一方で20系客車がもっともよく似合う機関車はどれだろう,というのもまた,意見の分かれるところである.
No.110の20系客車では,さまざまな機関車に登場してもらった.そこで今回は,20系から24系25形までの組み合わせを集めるべく,努力した.
そのわがままに応えてくださったのが,早川さんである.
神足駅の外れで撮影された“日本海”のスナップ.20系客車の深い屋根に圧倒されないように,というわけでもなかろうが,パンタグラフを目一杯上げたEF65 500の姿は迫力満点だった.神足-向日町 昭和43/1968年10月16日 写真:早川昭文
早川さんはこの写真を,“いい写真ではありません”と謙遜されるが,いかにも秋の朝らしい冷たい空気が画面に溢れている,すぐれたスナップ写真であると,僕は思う.
僅かな期間しか運転されなかった“とびうお”“銀鱗”でのEF65 500番代重連運転も,しっかりと捉えられている.
大舞台から降りてからの姿も,せっかくなので何点かお目にかけ,裏表紙では“手前味噌”で両毛線の霜取り機関車を使わせてもらったのだけれど,ここでミスをしでかしてしまった,撮影日が,実際より9年も遡ってしまったのだった.正しくは平成22/2010年1月19日.伊勢崎市の華蔵寺公園からC6120が搬出される,その日の早朝,“行き掛けの駄賃”だった.失礼いたしました.
さて,第2テーマは京都市N電のその後……北野線(堀川線)の廃止から60年の節目となる今年である.宮崎繁幹さんのご努力によって,国重要文化財に指定された栄えある電車ながらも現役時代の姿がほとんど残されていない“2号電車”の写真が新たに発見されたこと,京都市の市電に関する図面や資料類が誌の文化財に指定されたこと,それを祝う展覧会が企画されたこと…さまざま交錯する中での,“その後”企画である.
遠藤晃一さんによる,さらなるN電考察も意義深いことだった.そして愛知県岡崎市在住の藤井 建さんから寄せられた,愛知県でのN電の活躍の思い出も,貴重である.
前照燈が屋根上にあるので別の電車のように見えるが,N電である.車庫前で下N電同士が顔を合わせた貴重なシーン.この写真撮影後,まもなくN電は廃車となった.岡崎市内線は,奇しくも京都市電北野線廃止の翌年,昭和37/1962年6月に全線廃止となっている.岡崎車庫前 昭和29/1954年1月 写真:倉地満孝 所蔵:名古屋レール・アーカイブス
そうそう,花上嘉成さんからは,堀川での着物職人の作業とN電との出会いという,雅趣溢れる写真をご提供いただいている.これも必見である.
締めくくりは,高見彰彦さんの“汽車電車と記念写真”の第2回目.京急電車,目蒲電車から出征兵士を乗せたC50,流電からD52へど,話題が転がるように展開して行く.
背景のモハ51と思しき電車の定員が“130人”と記されているのに対して,該当する電車が…….ということで,高見さんを大いに悩ませた記念写真.所蔵:高見彰彦
ということで,今回も盛りだくさんの内容でお届けしたレイルNo.119.まだご覧になっていない方は,ぜひともお近くの書店や模型店へ,ご注文を! お店にご不便な方のために,e-shumi.jpでも承っています.どうぞよろしくお願いします.