10月22日,近畿車輌でのJR西日本DEC741報道公開に参加するため,片町線の徳庵駅へ行った.
 どういう経路で行こうかと,ちょっとだけ考えたけれど,新大阪からなら,2年前に新しく開業した“おおさか東線”が順当だというのは,衆目の一致するところだろう.
 ということで8時半過ぎに新大阪駅1番線に到着した僕を待っていたのは,うぐいす色の201系だった.関東地方では姿を見なくなって久しい201系も,大阪ではまだまだ現役.先頭はクハ200-77.1983年の川崎重工製である.
 先頭部をホームから撮影…と思う間もなく発車時刻が来てしまった.初乗りとあれば,運転室のすぐ後ろでの“かぶりつき”が必然である.
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製造は国鉄時代だけれど,車内標記はJR西日本書体だった.体質改善工事の際に貼り替えられたのだろう.

発車してすぐに東淀川を通過,神崎側を渡ったら東海道本線と立体交叉で分岐し,南吹田の駅を過ぎると再び神崎側を渡る.このあたり,もっと南方で右へ方向を変えればよいのにと,合理的にはそうなるのだけれど,路線計画は随分昔から存在していて,用地も確保済みだったという事情も,ある.
 2度目の神崎川渡河の後すぐに左から城東貨物線が寄り添ってくる.ここから先は,僕だけではなくて,大阪周辺にUMレソだった人には,なんといっても城東貨物線である.
 昭和初期に大阪北部と南部を結ぶ貨物専用路線として開業した城東貨物線は,先行投資として全線に亘って複線のための用地が確保されていた.淀川貨物駅から吹田操車場までの間は,片町線の電車運転開始とともに電化工事も実施された.昭和14/1939年には放出と八尾の間も開業し,以後,大阪周辺貨物輸送の大動脈としての役割を果してきた.第二次世界大戦後は,最大級の貨物用蒸機であるD52も牽引機のラインナップに加わるほどに.
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2度目の神崎川はカーブしたトラス橋で渡る.左手に見えるデッキガーダー橋は吹田操車場…吹田貨物ターミナルからの線路である.
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高架化工事真っ盛りの阪急電車の真下にあるのがJR淡路.
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そして“赤川の鉄橋”.いや,正式名称は“淀川橋りょう”である.これから渡ろうとしている南行き線路が,つい先日までの人及び自転車通路だった,と,思う.

僕が生まれ育った地からほど近いこの鉄橋,子供のころに何度も遊びには行った.とはいえ,さらに親しかったのは,赤川の鉄橋の少し上流にある城北公園(しろきたこうえん)であり,さらにいえば,現在は豊里大橋という道路橋が架かるあたりであった.僕の子供時代には後に新幹線の鳥飼基地が建設される鳥飼の近くに架けられた鳥飼大橋の次には天神橋筋の長柄橋まで橋がなく,豊里の辺りには,淀川を渡る最後の渡し船“平田(へいた)の渡し”があり,それは本当に身近な存在だった.
 ということで,地図を見ていただければ理解してもらえるだろうが,子供にとって,平田の渡しから城北公園を経て赤川の鉄橋まで行くのは,大冒険だった…….

そしてJR野江を過ぎたら,京阪電車との交叉地点である.
 京阪電車の車窓からは,D51牽引の貨物列車が通過して行く様を眺めていたものである.たぶん定数一杯だったのだろう,本当にゆっくりゆっくりと走っていたものである.
 とはいえ,交叉風景を撮影しようと思ったら,それは至難の業なのである.あんなにゆっくり走っているのだから,鉄橋を通過している間に電車の1本や2本,やってきてもよさそうなのに,全然,来ない!
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画面右端に,見事に6000系が写りこんでいるではないか!
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元の淀川電車区からの線路跡を過ぎて,片町線との合流が近づく.向うには207系電車も見える……あ,こんな所に踏切が.なにしろ初乗車.いろいろと新しい発見があるものである.

そして到着した,鴫野(しぎの).いろいろ観察したくて,列車を降りてみた.
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大きくカーブしたホームの駅という印象は変らない.けれど,何もかもが,新しい.

この鴫野駅は,高校に通っていた3年間,毎日通っていた駅である.その頃から既に高架化され,駅の近くの線路脇には郵便車の車体を使った倉庫があったのを覚えている.探索してみようと思っているうちに,卒業してしまったけれど.
 その頃の鴫野駅は,駅の南側に広い空き地があった.何のためだろうと思っていたのだけれど,実は高架化前の線路敷きだった.それとともに,将来の線増に備えて確保された土地でもあった.その証拠(?)として,京橋方面行きホームの上屋は,拡張の余地を残した構造だった……と,記憶しているのだけれど,さて,実際は?そして,今回の線増に際しては,それらはどのぐらい活用されたのだろうか.
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さきほど通って来た道.次にやってきたのはクハ200-142が先頭の編成.かつてのこの駅の,ちょっと鄙びた風情は,ほぼ振り払われてしまった.

撮影した201系にそのまま乗って放出へ.沿線風景は,いろいろ様変わりしていたけれど,かつてC11が給水していた駐泊所の付近は,線路に面した敷地に建つ倉庫が健在であることもあいまって,ほんの少しだけれど往年を偲ぶことができた.
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そして放出駅.ホームは変らないが,橋上駅になったので1番線から直接改札を通ることはできない.背後のマンションとその周辺は,貨物扱い用地の跡である.


ということで,単純に乗り通せば僅か23分の旅.でも,新線ならではの新鮮さの中に,思い出もいっぱい湧き出てきた,豊かな旅となった.
 次は南半分にも挑戦しなくちゃ.