早いものでレイルNo.94をご案内してから3ヵ月.日本中の梅雨が明け,東京では連日,猛暑に見舞われ,場所によっては強烈な夕立が降っている.
そんな中(?)発売されたレイルNo.95.
最初は,中国大陸現役蒸機を,ほぼ最後まで見届けられた蔵重信隆さんの神戸市電.蔵重さんと神戸市電との組み合わせなんて,意外に思われる方も多いと思う.僕もそう思う.なんでも,大学の4年間を神戸の須磨で過ごしたというのだ.最初は
“蒸
機と違って片手間の記録に過ぎないから”と,謙遜しておられたのだけれど,ふたを開けてみれば,出るわ出るわ.後に,神戸在住の市電大好きファンである山
本雅生さんをして“いや,実に小まめに記録しておられますなぁ”と感嘆させることになった,そういう,アルバムである.
和田岬線を乗り越す立派なトラス橋.僕が趣味的に神戸市電に触れたのは,最後に廃止された年だけ.市内の主だったポイントを巡った中で,もっとも印象に残ったのが,ここ.昭和45/1970年2月 写真:蔵重信隆
きっ
かけは,河村かずふささんが寄せてくださった,神戸市電最終日の思い出.併せて昭和30年代に河村さんが記録された神戸市電の車輛写真とともにお目に掛け
ることにしたのだけれど,そこに“ちらっ”と見掛けた蔵重さんのアルバムを引っ張りだした,という次第.さらに,山本雅生さんに車庫別の配置表の探索をお
願いしたら,小西滋男さんから,昭和40年代の車号表を提供していただだけることになった.
と,あれよあれよという間に,40年前の神戸市電が,町の情景とともにレイルで再現された次第.
続くは,河田耕一さんの信楽線の思い出と信楽高原鐵道探訪.前回の紀ノ川よりすこし前にご提案いただいていたのだが,鉄橋が流されるという異常事態が発生し,その結果“復旧を待って再訪した上で紹介したい”というご意向から,紹介が後になった.
“信楽線時代の列車写真はありませんよ”というお話しから,予め京都の福田静二さんにC58が活躍していた時代の写真をお願いしていたのだけれど,なんの
ことはない,河田さんもC11の列車写真を,ちゃんとご撮影だったのである.ただ,数少ないカラー写真が駅構内での撮影であり,しかも天候に恵まれなかっ
たことから,表紙は福田さんのC58に登場していただくことにしたものである.
何度見ても,ただただほれぼれするばかりの,貴生川駅駐泊所風景.“当時の風景”がよいのではなくて,河田さんのカメラアイが優れていた結果に,間違いはない.昭和36/1961年5月 写真:河田耕一
ちなみに信楽線は,次のNo.96でも別の方の別の写真をご紹介する予定.こちらも河田さんや福田さんとは異なった“眼”で記録された,優れた作品ばかりである.乞うご期待.
直立不動で列車を見送る雲井駅の駅員.行き違い設備はないものの,突っ込み式の貨物側線はある.出発信号機は見当たらない.どういう構造の駅だったのだろうか….答えは,本文をご覧いただきたい.昭和36/1961年5月 写真:河田耕一
その次は,ドイツで復活した鐵聯のコッペル.うちの会社の前には平井の所有になる同系機が保存されていることは,みなさんご存じと思う.西武鉄道に残ったもう1輛のコッペルは,北海道の丸瀬布で展示された後にドイツへ里帰りし,このほど動態への復活を果した.その模様を,平井がフランクフルトフェルトバーン博物館を 訪問して撮影してきたので,お目に掛ける次第.この博物館は,僕も10数年前に訪問したことがあるのだが,中央駅からほんの数キロしか離れていないとは思 えない,広々とした公園の中に600mm軌間のレールが敷かれていて,実に羨ましい環境.東京でいえば日比谷公園に軽便蒸機が走っているようなもの…….
フランクフルトフェルトバーン博物館での晴れ姿.“やっぱり赤と黒の塗装は似合う”と思ったのだけれど,これは,同博物館のメンバーである花井正弘さんの強い希望によって実現したものとのこと.実際には黒一色だったそうである.2015-5-15 写真:平井憲太郎
今回の締めくくりは,田邉幸男さんの 撮影になる,新潟の海.1980年代のレイルで,米国の保存鉄道を積極的に紹介していたのをご記憶の方もあるだろう.そのレポーターが,その頃,自動車 メーカーのエンジニアとして米国東部に長期滞在されていた,田邉さんだった.その後しばらくおつきあいが途絶えていたのだが,最近になって復活し,今後 は,これを皮切りとして国内の作品を披露していただくことになっている.
いずれも優れた作品の中から,僕の好みは,この1枚.今川信号場と越後寒川の間,笹川流れを行くC57牽引旅客列車.昭和43/1968年7月21日 写真:田邉幸男
と,今回も盛り沢山のレイル.ぜひお手元において,じっくりと堪能してくださいますよう.