東京の都心を移動するのに,どうしても迂回せざるをえないところがある.それは皇居.“あれ”さえなければ,まっすぐ行くことができるのに……と思うことは少なくない.そしてそれは道路だけではなくて,地下鉄だって,皇居の真下を通過する路線は,ない.
 かつて有楽町線が開業した時には“なんで飯田橋から市谷へ迂回するんだ?”という素朴な疑問も数多く聞かれたほどだ.
 でも,その皇居があるおかげで,東京の都心部は,他の大都市に比べて緑が豊かであり,その結果として,新鮮な空気が供給され,また,都市型の気温上昇も抑えられているのに違いない.

その皇居をぐるりと取り巻いているのがお壕.内濠と外濠があって…などというのは無用の講釈だろう.そしてそのお壕は,明治期には容赦なく埋め立てられたりして,江戸期の姿を留めているところはそれほど多くないという.
  そんな,“多くない”うちのひとつが,四谷近辺ではないかと思う…といいながら,なかなか観察のチャンスもなく過ごしてきたのだが,つい先週,久し振り に,ほんの少しながら,散歩することができた.中央本線の四ッ谷駅,地下鉄丸ノ内線の四ッ谷駅があるあたりが,まさにかつての“四谷見附”.甲州街道から 江戸城への入り口,四谷門の石垣が,いまなお橋の袂に,自然な形で残されている.

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江戸城四谷門跡の石垣.石の積み方には,いろいろと蘊蓄があるに違いないが,今の僕は,なにも語る知識を持たない.ただ,町の風景に自然に融け込んでいるその存在そのものに,敬意を表するのだ.

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石垣に続いてお壕を渡る新四谷見附橋には,千代田区と新宿区の手で,このあたりの風景の説明板が設けられている.そこには,鉄道好きなら一度は見たことがあ るだろう,明治期のお壕端を行く甲武鉄道の列車の写真も掲示されている.その説明板から顔を上げれば,100余年を経過した,現代のお壕が目の前に現われ る.そして変化の少なさに驚かされることになる.

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四ッ谷駅で中央快速電車から降りれば,そのホーム上屋の柱に目を奪われる.素材が古レールだから,なのだが,それだけではない.平鋼板で化粧張りが施されていて,東京方からみれば,古レールだとはわからないのだ.

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新宿方から見ればこのとおり.ちゃんとレールだ.なぜ,両面ともに同じ細工を施さなかったのか不思議だが.いつもの習い性というか,レールの銘を探したが,それらしきものは1ヵ所だけしか見つけることができなかった.

ひとつだけ見つけた銘も不完全で,“もしかしたら”ドイツのドイッチャーカイザー社製かもしれないという程度.いつもの“古レールのページl”によれば,四ッ谷駅には,1928年の八幡製鉄所製も存在しているというのだが,僕には見いだすことはできなかった.緩行線にも古レールの柱はあるので,そちらかもしれない.

さてようやく今日の本題.なぜ本題が最後になったかといえば,まことに残念なことに,すでに閉幕してしまったイベントだから.
  それは,本誌の伝言板などでもお知らせしていた,慶應義塾大学の鉄道研究会OB会“鉄研三田会”の写真展が,四谷の“ポートレートギャラリー”で開催され ていたのだが,今年は本当に仕事の都合がつかず,訪問できたのがようやく6月7日の日曜日となってしまいったのが,その原因である.
 会場はいつも通り,古今東西の鉄道情景が優れた切り口で展示され,圧倒された.古い写真でも,必ず“新作”があって,この会の底力を思い知らされるのだが,もちろん今回も例外ではなかった.

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旧作と新作との融合,世代を越えた創作活動……汽車好きに年齢の違いは関係ないということを,つくづくと再認識させてくれるこの写真展.次回も是非,期待したいものである.

※2015.06.25:地下鉄四ッ谷駅表記修正