先週のはじめ,とれいんの5月号とほぼ同時に,レイルNo.94が出来上がり,全国の有名書店や模型店で発売されています.
 今回の第一テーマは“紀ノ川を巡る鉄道”.ちょうど3年前のNo.82で,早川昭文さんからいただいた“武庫川を巡る鉄道”にはじまる“川を巡る鉄道”だが,第2作がNo.88での,西 和之さんによる高梁川,そして今回の紀ノ川で第3作目ということになる.
 紀ノ川といえば,なんといってもいにしえの“鉄道模型趣味”誌に掲載された,国鉄和歌山線川端貨物駅や南海電鉄紀 ノ川口の紹介記事に思いを馳せる人も少なくないだろう.その筆者である河田耕一さんが,半世紀以上を経た現地の状況レポートを添えて,当時の写真を発表し てくださったのだ.そればかりか,紀伊半島に多く存在した貨物索道についても言及され,数少ない貨物索道の解説書から貴重な図版の引用手配までしてくだ さったのである.“河田ファン”には見逃せない1冊になった.
 そして,なんという偶然か,ほぼ同じ時期に西和之さんからも昭和60年代の川端貨 物駅の様子や,それに加えて和歌山線の線路付け替え跡,ついに未成線に終わった国鉄阪本線の路線状況,さらには和泉山脈を越えて南海高野線紀見峠の線路付 け替えの模様などを纏めた稿をいただいたのだった……なんというセンテンスの長い文章であることよ.我ながら呆れるが,西さんの稿は,実際,こんな感じで 読む者に息をもつかせない迫力で迫ってくる…….
 しかも観察する人の世代による着目点の違いや,あるいは変らない点など,客観的には比較できたりして,そういう意味からも興味深い纏めとなった.

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“廃線跡巡り”が趣味として広く認知されるようになったのは,昭和の末以降のことだと思う.でも,この写真は昭和32/1957年の撮影である.あの時代に, このような風景に対してカメラを向けられた河田さんの感性には,ただただ脱帽しかない.南海電鉄紀ノ川口 写真:河田耕一

西さんの観察地点は紀ノ川流域の多方面に拡がるが,情景としてはまず,阪本線の未成アーチ橋が随一だろうか.ここは,ややメジャーな存在であって,しかも保存措置が取られているようなのでなくなってしまうことはないだろうけれど,衝撃的な風景には違いない.

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今にも川の向こうからキハ10の単行列車か,C11の牽く混合列車が走ってきそうな…….でもこれは平成26/2014年の風景なのである.写真:西 和之

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南海高野線の千早口付近での立体交叉……ではなくて,建設途上の新線の上を,既設の盛土で越してゆく,あくまでも仮の姿.切り替えは一夜にして在来線を撤去 して新線の線路を開通させ,上方に吊り上げられていた新線用の架線を本来の位置に下げて…….画面中央部から右端にかけて光る4本の電線が,新線用の架線 なのである.なんとも強烈な光景といえよう.昭和58/1983年5月8日 写真:西 和之

第2テーマはD51.といっても,数多いD51の中の,たった1輛…D51200にスポットライトを当て,さらにどのD51200のテンダーにだけ注目した,新澤仁志さんの考察である.
 これまで,梅小路で何気なく眺めてきたこの機関車だけれど,実は落成時のテンダー台車は鋳鋼台枠製だったのだ.中央西線での現役時代もずっとその姿だったのに,梅小路に到着した時には板台枠台車のテンダーになっていた…….なぜ?というのがこの考察のきっかけ.
  新澤さんは,実に遠慮深い方で,実質的には今回の論考で事実が解明されたようなものだと思ったので,題名を[解明する]としたところ,確たる証拠を得てい ないのだから,あくまでも[考察]なのですよ,と…….広く[解明する,意気込み]と解釈するということでご納得いただくことはできたのだが.

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D51200の現役時代の写真は,存在に少ない.新澤さんの稿に華を添えていただいたのが,服部重敬さんの列車写真.ここにお目に掛けるのは昭和45/1970年秋の中津川付近での,旅客列車を牽く姿.写真:服部重敬

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こちらはテンダー背面の写真.とはいえ,撮影時点ではオリジナルテンダーであるわけだから,撮影意図は“駅での列車への機関車連結風景”である.昭和44/1969年12月11日 写真:服部重敬

と にかく車輛を上から見下ろした写真とか,蒸気機関車ではテンダーや炭庫背面からの写真は数が少ない.[こんな写真は…]とおっしゃらず,現役時代をご存じ の方は,もう一度,ネガを見ていただきたいものである.また,現代においても,車輛写真では四方八方から撮影していただきたいと思うのである.ずっとあと になって,思わぬ役にたつことが少なくないから.

そういえば今回の表紙の写真は,河田耕一さん撮影の和歌山線普通列車.機関車は後年,鷹取 工場最終全検出場機となったC57 6,続く客車はスロハ32にワキ1に,向い合わせに連結された2等荷物合造車……なんともな編成ぶりだった.河田さんにお訊ねしたところ,そのようなこと は撮影時には意識していなかった,とのこと.スロハ32は僕自身も和歌山機関区で職員の通勤列車用として留置されているのは見ているものの,写真は多分, 撮っていない.ワキ1は山陰本線中部で組み込まれていたのは何度も見て撮影もしているが,和歌山線でも同じことがあったというのは初見であった.

※2015.05.08:C57 6経歴訂正.東京へ遠征したのはC57 7.