1月に発売のレイルNo.121は,おかげさまで各方面から大きな反響をいただいている.
表紙には千葉県の九十九里鉄道片貝駅風景.その表紙を開くと花輪線を走るピーコックの4-4-0機である5500形が顔を出す.今となってはどちらも遠い歴史の中に埋まってしまいそうな鉄道や車輛である.けれど,そういう存在にこそスポットライトを当てて,現代に蘇らせるのが,“レイル”の役割の一つだと思っている.
九十九里鉄道は,このところお馴染みのヒギンズさん,5500形は,前回のNp.120で煙室延長や斜め煙突のC51などを披露した佐藤 久さんの撮影である.
ヒギンズさんの関東小私鉄は東武日光軌道線,伊庭r機交通,常陸電鉄,鹿島参宮鉄道,銚子電鉄,総武流山電鉄,九十九里鉄道,小湊鉄道,秩父鉄道,川崎市電,そして江ノ島鎌倉観光と続く.
解説は関田克孝さんと花上嘉成さんのお二人にお願いした.出来上がってきた原稿は,お二方ともに,いつも以上に,とても熱が入っていたものだから,一つの文章にまとめてしまうのが,とても惜しくなった.そこで,新しい試みとしてお二人の解説を併記することとした.どのような反響があるか,ちょっと不安だったけれど,思いのほか,大勢の方から“面白い方法で楽しかった”などとご賛同をいただいたので,ほっと胸をなでおろしているところである.
ヒギンズさんの写真の神髄はモノクロにありと銘打ちながら,今回はカラー写真が1枚,“紛れ込んで”いる.それは銚子電鉄のデハ301.住宅が増えているとはいえ,今でも少しは面影が残っている撮影ポイントだが,注目は,デハ301の塗色である.こんな色の試験塗装が実施されていたのだそうである.君ヶ浜-犬吠 昭和38/1963年12月28日 写真:J.W.HIGGINS
江ノ島島鎌倉観光と聞いて“懐かしい”と思ったあなたは,充分にベテランの域に達している.そう,今の江ノ島電鉄である.江ノ電の愛称はずっと変わらないけれど.
その江ノ電の昭和50年代の思い出を披露してくださったのは,三浦 衛さん.40年前の思い出だから,既に充分“歴史”の範疇である.
話題は,江ノ島鎌倉観光という社名の時代としては唯一となった完全新造車であるデハ1000形を宙賃素して,その頃の江ノ電の情景である.今では信じられないかもしれないが,その頃の江ノ電は,平日の昼間などガラガラで,1000形の開発を担当された方から“箱根登山鉄道はアジサイなどでうまく観光客を誘致できているのが,とても羨ましい”という言葉が出たほどである.
新しいと思っていた江ノ電1000形も,もう登場してから40年以上が経過した.沿線風景も変化がないようなあるような…….ここ峰ヶ原信号場の線路配置だけは,今も変わらない.本書ではヒギンズさんの写真による昭和30年代と,三浦さんの撮影された昭和50年代半ばを対比することができる.この写真は三浦さんが撮影された,ピカピカの1000形と300形の出会い.昭和55/1980年11月 写真:三浦 衛
江ノ電の次が,佐藤さんの古典蒸機と東北の私鉄.前回のC51では,煙室延長や斜め煙突のC51が働いている貴重な写真が盛沢山だったけれど,今回も,ボルジッヒのテンホイラー8850形が東北で過ごしていた姿を筆頭に5500形,6750,6250,5500,4110,3200,2500,2400,2120,1150,960といった鉄道省所属の古典機.そして105,3030,1210,115,1730といった買収,再買収機が続く.
さらには津軽鉄道,横荘鉄道西線という私鉄の,生き生きとした姿が記録されている.締めくくりは,後に秋田中央交通となった,五城目軌道.西尾克三郎さんが奥羽本線の列車から撮影された一日市(現在の八郎潟)に停車中の列車が有名だが,佐藤さんは終点まで乗って行かれたようで,衝撃的ともいえる列車写真を撮影されている.
その衝撃的な列車の姿は,レイルに見開きで掲載しているので,ぜひともそちらでご覧いただきたいと思う.ここでは駅に停車中の旅客列車をお目に掛けよう.なお機関車の次位につながれている2軸客車,レイルでは“正体不明”と記したが,どうやら新潟鐵工所に注文して落成したばかりの“新車”であるようだ.昭和8/1933年末 写真:佐藤 久
締めくくりの稿は,高見彰彦さんの“汽車電車と記念写真”の第4回目.いつも通り,古今東西,さまざまな話題の中にいろいろな車輛や人々が登場する.その中で,とりわけ目を惹いたのが,1070形1086の側水槽に取り付けられた1本のロッド.
側水槽下部,歩み板の直上に延びる1本のロッド.機関車前部,連結器の解放テコからキャブ側面に達している.キャブ側にはストロークの大きなテコがある.所蔵:高坂史章
空気ブレーキが未装備だから昭和初期の撮影だろう.同様のロッドやワイヤーや空気シリンダーは,峠の頂点で列車を停車させずに後補機を切り離すための装置として,東海道本線の函嶺越えや関ヶ原のD50,山陽本線でのセノハチ越えのC52やD52,電気機関車ではEF59やEF67で見ることができる.けれど,昭和初期に1070形を後補機に使っていた峠道を,僕は知らない.
だとすれば,考えられるのは駅や操車場での入換作業用といことになる.さて真相は?
ということで,今回もバラエティ豊かな稿が集まってきた“レイル”である.どうぞお見逃しなきよう,早めにお求めくださいませ.
ちなみに次のNo.122は,恒例(?)となった,国重要文化財がメインテーマ.今回は,昨年10月15日に答申があったキハ07 41である.保存車から端を発して,キハ07グループ全体の解説や,北海道から九州まで全国各地での活躍の模様も存分に収録している.4月下旬の発売を,楽しみにお待ちいただきたいと思う.
表紙には千葉県の九十九里鉄道片貝駅風景.その表紙を開くと花輪線を走るピーコックの4-4-0機である5500形が顔を出す.今となってはどちらも遠い歴史の中に埋まってしまいそうな鉄道や車輛である.けれど,そういう存在にこそスポットライトを当てて,現代に蘇らせるのが,“レイル”の役割の一つだと思っている.
九十九里鉄道は,このところお馴染みのヒギンズさん,5500形は,前回のNp.120で煙室延長や斜め煙突のC51などを披露した佐藤 久さんの撮影である.
ヒギンズさんの関東小私鉄は東武日光軌道線,伊庭r機交通,常陸電鉄,鹿島参宮鉄道,銚子電鉄,総武流山電鉄,九十九里鉄道,小湊鉄道,秩父鉄道,川崎市電,そして江ノ島鎌倉観光と続く.
解説は関田克孝さんと花上嘉成さんのお二人にお願いした.出来上がってきた原稿は,お二方ともに,いつも以上に,とても熱が入っていたものだから,一つの文章にまとめてしまうのが,とても惜しくなった.そこで,新しい試みとしてお二人の解説を併記することとした.どのような反響があるか,ちょっと不安だったけれど,思いのほか,大勢の方から“面白い方法で楽しかった”などとご賛同をいただいたので,ほっと胸をなでおろしているところである.
ヒギンズさんの写真の神髄はモノクロにありと銘打ちながら,今回はカラー写真が1枚,“紛れ込んで”いる.それは銚子電鉄のデハ301.住宅が増えているとはいえ,今でも少しは面影が残っている撮影ポイントだが,注目は,デハ301の塗色である.こんな色の試験塗装が実施されていたのだそうである.君ヶ浜-犬吠 昭和38/1963年12月28日 写真:J.W.HIGGINS
江ノ島島鎌倉観光と聞いて“懐かしい”と思ったあなたは,充分にベテランの域に達している.そう,今の江ノ島電鉄である.江ノ電の愛称はずっと変わらないけれど.
その江ノ電の昭和50年代の思い出を披露してくださったのは,三浦 衛さん.40年前の思い出だから,既に充分“歴史”の範疇である.
話題は,江ノ島鎌倉観光という社名の時代としては唯一となった完全新造車であるデハ1000形を宙賃素して,その頃の江ノ電の情景である.今では信じられないかもしれないが,その頃の江ノ電は,平日の昼間などガラガラで,1000形の開発を担当された方から“箱根登山鉄道はアジサイなどでうまく観光客を誘致できているのが,とても羨ましい”という言葉が出たほどである.
新しいと思っていた江ノ電1000形も,もう登場してから40年以上が経過した.沿線風景も変化がないようなあるような…….ここ峰ヶ原信号場の線路配置だけは,今も変わらない.本書ではヒギンズさんの写真による昭和30年代と,三浦さんの撮影された昭和50年代半ばを対比することができる.この写真は三浦さんが撮影された,ピカピカの1000形と300形の出会い.昭和55/1980年11月 写真:三浦 衛
江ノ電の次が,佐藤さんの古典蒸機と東北の私鉄.前回のC51では,煙室延長や斜め煙突のC51が働いている貴重な写真が盛沢山だったけれど,今回も,ボルジッヒのテンホイラー8850形が東北で過ごしていた姿を筆頭に5500形,6750,6250,5500,4110,3200,2500,2400,2120,1150,960といった鉄道省所属の古典機.そして105,3030,1210,115,1730といった買収,再買収機が続く.
さらには津軽鉄道,横荘鉄道西線という私鉄の,生き生きとした姿が記録されている.締めくくりは,後に秋田中央交通となった,五城目軌道.西尾克三郎さんが奥羽本線の列車から撮影された一日市(現在の八郎潟)に停車中の列車が有名だが,佐藤さんは終点まで乗って行かれたようで,衝撃的ともいえる列車写真を撮影されている.
その衝撃的な列車の姿は,レイルに見開きで掲載しているので,ぜひともそちらでご覧いただきたいと思う.ここでは駅に停車中の旅客列車をお目に掛けよう.なお機関車の次位につながれている2軸客車,レイルでは“正体不明”と記したが,どうやら新潟鐵工所に注文して落成したばかりの“新車”であるようだ.昭和8/1933年末 写真:佐藤 久
締めくくりの稿は,高見彰彦さんの“汽車電車と記念写真”の第4回目.いつも通り,古今東西,さまざまな話題の中にいろいろな車輛や人々が登場する.その中で,とりわけ目を惹いたのが,1070形1086の側水槽に取り付けられた1本のロッド.
側水槽下部,歩み板の直上に延びる1本のロッド.機関車前部,連結器の解放テコからキャブ側面に達している.キャブ側にはストロークの大きなテコがある.所蔵:高坂史章
空気ブレーキが未装備だから昭和初期の撮影だろう.同様のロッドやワイヤーや空気シリンダーは,峠の頂点で列車を停車させずに後補機を切り離すための装置として,東海道本線の函嶺越えや関ヶ原のD50,山陽本線でのセノハチ越えのC52やD52,電気機関車ではEF59やEF67で見ることができる.けれど,昭和初期に1070形を後補機に使っていた峠道を,僕は知らない.
だとすれば,考えられるのは駅や操車場での入換作業用といことになる.さて真相は?
ということで,今回もバラエティ豊かな稿が集まってきた“レイル”である.どうぞお見逃しなきよう,早めにお求めくださいませ.
ちなみに次のNo.122は,恒例(?)となった,国重要文化財がメインテーマ.今回は,昨年10月15日に答申があったキハ07 41である.保存車から端を発して,キハ07グループ全体の解説や,北海道から九州まで全国各地での活躍の模様も存分に収録している.4月下旬の発売を,楽しみにお待ちいただきたいと思う.