間もなく11月号の内容が案内される頃になって,ようやく,10月号の特集についてのこぼれ話を聞いていただけるチャンスが訪れた.
これまで10年ほど,僕が主体となって製作する特大号は,国電とその仲間の探求が続いた.新しいところではE231系やE233系,古くは交直流急行形電車も採り上げた.そして 201系から, 105系,107系, 113, 115, 117, 119, 205, 185, 211, 485……凡そ現存する“国電”の主だったラインナップは,皆さんのご協力によって,あらかた纏めることができたと思う.それも,できるだけ“模型の目”での観察記事と写真によって.
いずれの系列も,本誌の完成後しばらく経った頃から廃車の動きが本格化し,今では,多くの車輛について,現車調査が不可能になっている.なんともタイミングよくというべきか.
それらの特集に際しての取材では,さまざまなできごと,エピソードがあった.大雨の北陸で朝の3時からお目当ての編成を追い掛けたり,列車風景を効率よ
く,もれなく収録するために新潟から長野へ大急ぎで駆けめぐったり…….そんな中で,機材面で画期的だったことのひとつが,デジタル一眼レフの性能向上.
一
眼レフデジタルカメラを導入した最初が,この201系,E233系の取材の時.平成19/2007年春のことである.写真は1/4000秒のシャッターで
捉えた,日野と豊田の間の直線区間を全力で疾走する201系クハ200-101(左)とクハ201-102(右).この10輛を撮影するのに40カットを
要している.
高速で走る10輛編成の車輛の真横を,どうしたら上手く仕留めることができるか.悩んだ末に小遣いをはたいて手に入れたのが,ニコンのD200だった.
購入してからひと月も経たないうちにファイル番号は5,000を越してしまったD200だが,なによりもファイルサイズさえ適切に選べば36コマ以上を連
続して撮影できることは,大きな魅力だった.加えて,どの編成がやってきたのかを,撮影後すぐに確かめることができるということも,取材の効率向上に大い
に貢献した.さらにいえばフィルム代と現像代が不要で,繋ぎ作業のための手間も省けた.当時,どのぐらいのコストカットになったのかを簡単に計算してみた
ところ,驚くべき数字が出て,自分でびっくりしたことである.
それで今回だが.これはもう,どなたの目に見明らかな通り,“この時”ならで
はのテーマである.もちろん公式には,“トワイライトエクスプレス”が来年の春で定期的な運転を取り止めることが発表されているだけで,“北斗星”や“カ
シオペア”,そして急行“はまなす”についてはまだなんらの発表もなされていない.
けれど,今度の年末年始は“北斗星”“カシオペア”ともに運転されない.北海道新幹線への切り替え工事とその試験が,年末年始の貨物列車が減少する機会に実施されるからである.
それで,新幹線の工事が完了したら,これらの客車列車を牽引して青函トンネルを通過することが可能な機関車は,JR貨物のEH800だけになってしまうのだ.
と,なれば……結論は明白だろう.
今回の特集では,とりわけ藤田吾郎さんと平石大貴さんのお二方による客車解説が主軸となった.細かい車種の解説や運転と編成の変遷などは,日頃から観察し続けておられる趣味人でなければなし得ないこと.
一方,各列車の撮影では“北斗星”がもっとも難関だった.なにしろ元々の車種が豊富な上に,所属は北海道と東日本の2社,さらにそれぞれの所属車輛が尾久と手稲で,1輛単位で差し替えられるのだから.とにかく,“来てみないと判らない”.
それで最終は入稿直前の9月6日の朝,鶯谷のホームで撮影したオロハネ24 501だった.残念ながら真横での撮影はできなかったけれど,とにかく通路側の窓配置を明らかにすることができたのだった.この日の牽引機はラストナンバー,EF510-515だった.
結果はその場で確認できるとはいえ,何が現われるのかは,来てみなければ判らない.とにかく“現場百度”…違うけれど….こうなったら,もう仕事というより,ほとんど趣味の世界かもしれない.
鶯谷から向かった先は,田端運転所.ローズピンクに塗り戻されたEF81 81を中心とした機関車撮影会にお邪魔したのだった.そこで見つけたのがこの運用札.懐かしの3列車,4列車.この時代にEF510-500が登場してたら…….妄想はふくらむ.