もう発売からひと月が経ってしまったが,レイル98号,おかげさまで好評発売中です.“今週こそ紹介を”と思いつつ,自分自身のことは,ついつ後回しになってしまうもので…….

さて,今回のレイルは,そのほとんどが,三菱大夕張鉄道の資料で占められている.前々回,96号では同鉄道の“ダイコン”こと9200形機関車に的を絞った稿をお目にかけたわけだけれど,引き続いて“キュウロクはどうですか?”と,奥山道紀さんからお声掛けをいただいたのです.最初は“9600”だけ,と思っていたのに,実際の原稿が届いてみれば,とんでもない.その中身は,ディーゼル機関車から客車から貨車まで.さらには幾つもの駅の建築物にいたるまで,まさに“三菱大夕張鉄道の全て”といってもよいほどの分量と密度であったのだ.
 この大量の図面と資料と写真をどうするか….さんざん悩んだ末の決断は“縮尺はともかく,全ての図面を掲載する.そのためには,既にお約束していた他の稿を,次に順延させていただくお願いをする”というものだった.
 そうやって出来上がった本は,おかげさまで,掛け値なしの“好評発売中”.もちろん,“レイルのレベルとしては”という注釈はつくわけだけれど.

さて,最初の三菱大夕張鉄道.僕自身はといえば,昭和48/1973年夏に,蒸気機関車の履歴簿調査を目的とした北海道一周の旅のおり,管理局も機関区の事務所もお休みとなる週末に訪れた夕張鉄道の復路,夕張線の列車の車窓から,5号機の牽くナハフ1の姿を見たのが,最初で最後の接触であった.
TM_284_05
清水沢の駅で発車を待つ,三菱大夕張鉄道の列車.“再訪を!”と思いながら,ついに果たすことができなかった鉄道のひとつである.昭和48/1973-8-26


そんな三菱大夕張鉄道と再び接することになったのは,平成19/2007年8月のこと.
 この年の僕に与えられた“とれいん”特集テーマが北海道.当時試運転たけなわだった261系1000番代の写真を撮影すべく,帯広へ向かう途上に,南大夕張駅跡を訪問したのだった.
 この南大夕張駅跡は,元々は夕張市が管理していたものだけれど,平成11/1999年,積もった雪のためにナハフ1が横転するという事態に至り,奥山さんをはじめとする,三菱大夕張鉄道保存会の有志によって,ボランティアによる保存活動が本格化したのだった.
dsb_8044
じっと耳をすませば9600の汽笛が聞こえてきそうな,そんな自然な雰囲気に包まれた,南大夕張駅跡.訪問からもう9年が過ぎようとしている.時の経つのは,全く早いもの…….


この98号の,もうひとつの目玉,それは“公式写真に見る国鉄客車”の連載スタート.僕の手元で長らく未整理のままだった,膨大な分量の国鉄客車のメーカー写真.
 いずれはきちんと印刷してお目にかけたいと思いつつも,自分自身で客車の解説を書くことができるわけもない.思い悩んでいたところに,国鉄客車研究の分野ではいまやベテランの域にある藤田吾郎さんにご相談申し上げたところ,協力のお申し出をいただいたのであった.
 折りしも,この4月には今日と鉄道博物館がグランドオープン.その収蔵品の中には2輛の旧形客車が含まれている.そこで,連載の第1回目には,そのうちの1輛,マイネネフ37290を含めてみた.博物館ではマロネフ59形1号車とされている客車である.

3輛だけ製造された,皇族や貴賓のための特別客車の1輛.昭和36/1961年の交通科学館開館に際してC53 45とともに整備,C53 45に牽かれて東海道本線を走ったという経歴を持つ.僕にとっては,子供のころの,交通科学館での車内見学が忘れられない記憶である.
DSCN8406
窓ガラス越しに撮影してみた,マイロネフ37290の室内.通常は車内見学不可能なのが残念だが,美しい状態を維持するためにはやむを得ないことでもある.


これから何回続くことになるのか,まだ見当もつかないが,車種別にも年代別にもとらわれず,これまでにない組み合わせ方で,写真はできるだけ大きく,また,可能な限り形式図を添えて,掲載の予定である.

京都鉄道博物館といえば,報道公開の日にD51 200を観察することができた.その目的はレイル94号で探求の対象となった,テンダー台枠前端部.レイル読者ならいわずと知れた,丸い膨らみ.
DSCN8342
蝶番のついたカバーは明らかに新製されているが,緩衝器直後の膨らみは,さて.レイル94号の66頁に掲載された写真と見比べてみると…….あなたは,どのように思いますか?



そしてもう6月.7月下旬の発売を目指して,既に次の99号の編集作業がたけなわ.楽しみにお待ちいただきたい…….