今年も早いもので半分が過ぎ去ろうとしている.お蔭様でレイルも4月発売のNo.122や,その前のNo.121がご評価いただいているようで,手持ちの在庫が,いつもに比べて少なくなっている.迷っておられる,そこのあなた,ぜひ早い目のご決断を!

さてそのレイルNo.122,メインテーマハキハ07・42000の一統だった.
 昨年度の新規国重要文化財に指定されたこの流線形気動車の歴史とバリエーション,そして文化財指定の意義,指定された車輛そのものであるキハ07 41についての思い出と保存への経緯を纏めたものである.

このところ国重要文化財に新規指定された鉄道車輛については,毎年,多くの人々のご協力をを得て,特集を展開してきた.
 最初は平成27年度指定の鉄道省230形.レイルではNo.99で,9900形とともに採り上げた.
 続いて翌年,東京地下鉄道1001号電車と鉄道院ナデ6141が指定された.レイルではNo.103で,京阪の“びわこ”とともにご報告した.
 2017年…平成20年は,初めての電気機関車,鉄道省ED4000形ED4010とED16形ED16 1だった.これの紹介は,なんと!No.107No.108,そしてNo.109の3回に亘ってグラフと記事を掲載している.
 その次は,蒸気動車となってJR東海の“リニア・鉄道館”で保存されているホジ6014.レイルでのご案内はNo.112だった.
 そして平成31/2019年は,京都電気鉄道…京電から京都市電N2となった,いわゆる“N電”.レイルNo.116が,“N電”三昧となったのは,まだ記憶に新しい.

そして……前置きがいつも以上に長い!

今回のキハ07・42000の一統,僕は,たった一度の邂逅だった.それは昭和43/1968年3月24日,早朝の米子駅でのことだった.番号はキハ07 214.いわゆる金太郎塗りとなっていたうちの1輛である.製造は昭和27/1952年10月の新潟鐵工所.いまから思えば,まだ車齢は15年.僕ヨリ1年早いだけで,エンジンはもちろんディーゼルだし変速機も新造時から液体式で総括制御が可能…現にキハ20系と手を繋いでいた….“古い”というには新し過ぎる車輛だったのだけれど,印象は“古いディーゼルカーだ!”だった.
TM005_28
米子駅境線ホームである0番線に停車中のキハ07 214.車齢15年にしては傷みが激しくないだろうか.そして手を繋ぐ20系気動車,形式がよく判らない.画面右手の“特急8号車”の札は,もちろんキハ82系“まつかぜ”のものである.写真:前里 孝

この時は福知山線の夜行急行で米子へ向かい,機関区を一巡りして伯備線列車の乗客となり一路倉敷へ.そこで西進して糸崎へ行ってC59とC62にご対面.そのまま急行に乗って湯愚ATAの大阪駅へ戻って,福知山線蒸機牽引定期最終列車の発車を見送るという,すごく泡他らしい旅立った.そして,僕にとって,初めての長距離緑でもあった.
 米子駅ではキハ07とともに,C11バック運転の境線混合列車も撮影している.

またもや話が脇道へ逸れた.現在は九州鉄道記念館で保存されているキハ07 41が,今回の国重要文化財指定車輛である.国鉄最後の機械式変速機の気動車として昭和43/1968年まで宮原線で働き,廃車後は長らく豊後森の扇形庫で保管,その後,大分運転所へ移管されていたのだが,今となっては,誰が“解体するな保存せよ”の号令を飛ばしたのか,不明なのだそうである.
 逸れにもまして,保管されていた豊後森でも大分でも,現場の人たちが慈しんで手入れをし続けてきたこと,それが九州鉄道記念館への収容に繋がり,さらには国重要文化財への指定となって“結実”したことになる.
 御召車輛となった栄誉があるわけでもなく,ただ日常の交通を支えただけのこのキハ07 41にとっては,本当に,数え切れない幸運に恵まれての“いま”だといえよう.

それにしても,である.京都市電“N2”に続いて,現役時代の写真をを探すのに苦労させられたことである.宮原線の起点である豊後森へは,久大本線のD60や8520を求めて多くのファンが通い詰めているのだけれど,いざ“宮原線のキハ…”と話を切り出しても“いやいや,あそこ,C11だったから”と,足を踏み入れた人の,なんと少なかったことか.

そんな中で,辛うじて見つかったのが,加地一雄さんの豊後森発車の後ろ姿と,早川昭文さんの麻生釣発車の後ろ姿というわけである.
HA005
その,麻生釣を発車する恵良方面行きキハ07 41.撮影者の早川さんの記録ではどの駅だかよく判らないとのことだったが,地図と衛星写真,そして“ストリートビュー”というインターネットツールの助けを借りて,撮影ポイントを特定することができた.昭和42/1967年8月26日 写真:早川昭文

このグラフでは,他にもポイント特定で“GOOGLE”のお世話になった.本当に便利な,そして恐ろしい世の中である.
 早川さんをはじめとする,同志社大学鉄道同好会OB会の皆さんには,大いにお世話になった.
 そしてなにより,藤田吾郎さんにはキハ07のバリエーションを解説したいただいたのだが,それとともに,数多くの所蔵写真を提供してくださった.とても豪華なグラフを組むことができたのは,そのお蔭である.
 表紙を新色のキハ07 34で,裏表紙を旧塗色のキハ07 33で飾る,しかもお野味日に同じ日とが撮影した写真で,という,まるで最初から意図して準備したのかとおもう演出が可能だったのも,藤田さんのお蔭.
 そしてその撮影者は合葉清治さん.古くからのモデラーならば,必ずや記憶にあるお名前のはずである.かつて“とれいん”誌上では何度も登場していただいているし.

グラフの究め付けは,桜咲き誇る出雲坂根でのキハ07 18.撮影者は,国電や客車の研究と撮影で有名だった豊田泰太郎さん.
キハ_0718
今や存続が懸念されている木次線の,穏やかだった時代の春の情景である.レイルの場合は発売日の季節にこだわって写真を選ぶ必要はないのだが,この写真は,本来は表紙に…と思ったのだが,どうにもトリミングし難く,合葉さんの大原での写真に切り替えることにして,巻頭見開き写真とした次第.昭和40/1965年4月27日 写真:豊田泰太郎

実はこの写真,表紙に使おうと思ったのはよかったのだけれど,経年劣化が著しく,うちの社の脇に打診してみたら“難しい!”との返事.それでも諦めきれず,製版所に特に無理をお願いして,腕を揮っていただいた結果というわけである.本当はオリジナルの状態もお目にかけたいところがふぁ,そこは“言わぬが花”ということで,結果だけを存分イオ楽しみいただきたい.

ということで,併載の“汽車電車と記念写真”完結編と,60年前の撮影地を求めて…尾道古井戸レポートについてお話するスペースがなくなってしまった.高見さん,宇田さん,相澤さん,ごめんなさい! 読者の皆さんは,ぜひ,手に取ってお楽しみください! ただし,今のところ在庫が少ないです.お早めに!