旧形国電の天下だった時代の鶴見線というものを,僕は知らない.それだけではない.101系も,103系だって気がついたら姿を消していた.最初の訪問は205系の改造1編成目を弁天橋の車庫で撮影させてもらった時だから,いつのことだろう…….その後は,とれいん2008年7月号(通巻403号)での205系特集撮影取材の時に何度か通ったのと,レイルNo.96号(2015年10月刊)で日本鋼管鶴見の蒸機時代を田邉幸夫さんの写真と思い出話で綴った際に現状確認のため訪れただけである.
その鶴見線で活躍していた旧形国電の中でも,ひときわ人気があったのは大川支線で使われていたクモハ12だろう.武蔵白石駅での分岐のカーブがきつくて20m車が入線できないとのことでJR東日本の発足後も残っていたもので,その武蔵白石駅のホームを撤去するという荒業によって制限が解消した1996年まで2輛が現役だった,そのうちのクモハ12052は,引退後も中原電車区の配置で籍を残したまま長らく大切に保管され続けていたものである.
そのクモハ12052,引退後は何度か大井工場…東京総合車両センターのイベントに際して一般公開されていた.最近では5年前だっただろうか.自分で見に行くことはできなかったが,品鶴線の列車…湘南新宿ラインや横須賀線…の車窓から見えるところに留置されているのを目撃できた時には,それ相応の傷みが気になって,そろそろ再整備を……と思っていたところ,“復元整備記念撮影イベント”が開催されるとの報が聞こえてきた.
撮影イベントは,今年2月3日付のここでご紹介したのと同じ,JR東日本東京支社の主催で,JRE MALLで告知・募集が行なわれたものである.今回の参加費は税込み9,000円.開催は7月9日と10日,午前9時,12時,午後3時の3回ずつ,1回当たり20名ずつという容量で募集された.もちろん(?),あっという間に定員に達したそうである.
幸いにして,2月の品川駅や6月の京成電鉄の3400形乗車と3600形撮影の旅と同様,広報のご厚意により,イベントの状況取材として“参加”するチャンスが与えられたので,当日の様子をレポートする次第.
撮影会は,東京総合車両センターの高橋所長(写真中央)による挨拶に続いて除幕,テープカットによりスタートした.
前位側からクモハ12052.モハ11…モハ31の面影を色濃く残している.これで雨樋が一食戦なら…と思うのは,贅沢な望みだろう.
今回の公開は,復元整備が完了した記念ということで,各部が美しく整備されたが,電気配線を整備して前照燈と尾燈を点燈可能としたことも特筆すべき点のひとつだった.列車無線アンテナはJR化以降も現役だった証し.
復元整備は,今年の鉄道150周年を目標として2020年10月頃に企画がスタート,2021年5月末から実作業に入り,日常作業の合間を縫って6月末に完了したとのこと.プロジェクトチームは22名で,部分的に関与した社員を含めると総勢約50名の規模になったという.
枕ばねやイコライザーなども,まるで新品のようなDT11…TR22という旧形式で呼びたくなる仕上がりも,堪能することができた.
具体的な復元整備箇所は,外板,台車補修,床下機器塗装,屋根塗装など全般に及んでいて,どこをとっても美しい姿に仕上がっている.なお前照燈と尾燈の電源は架線ではなく,別に備えた電源によるものである.
撮影会の段取りはといえば,前位側正面に始まり,海側(空気側)の側面に移動して貫通炉を残したまま運転室を新設した後位側へ.ここでは遠目から順次近寄るという手法が採られた.
後位側の撮影は,このように建屋の端から“引き”で始まった.
続いて数十メートル前進.その間,10分間ずつの撮影タイムが設定されていたが,20名という少人数での撮影会だから,押し合いへし合いは,ない.ピットの中に入っての撮影も自由である.
そして山側(電気側)の撮影.側面が外光を反射してリベットが引き立っていた.
ここまでの合計撮影時間は60分.1輛の電車をぐるっと一周するためには不足のない時間.存分に近寄ることもできて,参加費が9,000円ならばコストパフォーマンスは高いといえよう.とりわけモデラーには.
参加者へのお土産.いずれも特製品のタオル,電車絵柄の絆創膏,付箋紙など.携帯除菌スプレーがこのところの世情を反映している.なお右端のE217系モケット付きキーホルダーは新製品の予告である.
ということで,極めて心地よい疲れとともに大井工場……ではない,東京総合車両センターを後にしたのだった.
その鶴見線で活躍していた旧形国電の中でも,ひときわ人気があったのは大川支線で使われていたクモハ12だろう.武蔵白石駅での分岐のカーブがきつくて20m車が入線できないとのことでJR東日本の発足後も残っていたもので,その武蔵白石駅のホームを撤去するという荒業によって制限が解消した1996年まで2輛が現役だった,そのうちのクモハ12052は,引退後も中原電車区の配置で籍を残したまま長らく大切に保管され続けていたものである.
そのクモハ12052,引退後は何度か大井工場…東京総合車両センターのイベントに際して一般公開されていた.最近では5年前だっただろうか.自分で見に行くことはできなかったが,品鶴線の列車…湘南新宿ラインや横須賀線…の車窓から見えるところに留置されているのを目撃できた時には,それ相応の傷みが気になって,そろそろ再整備を……と思っていたところ,“復元整備記念撮影イベント”が開催されるとの報が聞こえてきた.
撮影イベントは,今年2月3日付のここでご紹介したのと同じ,JR東日本東京支社の主催で,JRE MALLで告知・募集が行なわれたものである.今回の参加費は税込み9,000円.開催は7月9日と10日,午前9時,12時,午後3時の3回ずつ,1回当たり20名ずつという容量で募集された.もちろん(?),あっという間に定員に達したそうである.
幸いにして,2月の品川駅や6月の京成電鉄の3400形乗車と3600形撮影の旅と同様,広報のご厚意により,イベントの状況取材として“参加”するチャンスが与えられたので,当日の様子をレポートする次第.
撮影会は,東京総合車両センターの高橋所長(写真中央)による挨拶に続いて除幕,テープカットによりスタートした.
前位側からクモハ12052.モハ11…モハ31の面影を色濃く残している.これで雨樋が一食戦なら…と思うのは,贅沢な望みだろう.
今回の公開は,復元整備が完了した記念ということで,各部が美しく整備されたが,電気配線を整備して前照燈と尾燈を点燈可能としたことも特筆すべき点のひとつだった.列車無線アンテナはJR化以降も現役だった証し.
復元整備は,今年の鉄道150周年を目標として2020年10月頃に企画がスタート,2021年5月末から実作業に入り,日常作業の合間を縫って6月末に完了したとのこと.プロジェクトチームは22名で,部分的に関与した社員を含めると総勢約50名の規模になったという.
枕ばねやイコライザーなども,まるで新品のようなDT11…TR22という旧形式で呼びたくなる仕上がりも,堪能することができた.
具体的な復元整備箇所は,外板,台車補修,床下機器塗装,屋根塗装など全般に及んでいて,どこをとっても美しい姿に仕上がっている.なお前照燈と尾燈の電源は架線ではなく,別に備えた電源によるものである.
撮影会の段取りはといえば,前位側正面に始まり,海側(空気側)の側面に移動して貫通炉を残したまま運転室を新設した後位側へ.ここでは遠目から順次近寄るという手法が採られた.
後位側の撮影は,このように建屋の端から“引き”で始まった.
続いて数十メートル前進.その間,10分間ずつの撮影タイムが設定されていたが,20名という少人数での撮影会だから,押し合いへし合いは,ない.ピットの中に入っての撮影も自由である.
そして山側(電気側)の撮影.側面が外光を反射してリベットが引き立っていた.
ここまでの合計撮影時間は60分.1輛の電車をぐるっと一周するためには不足のない時間.存分に近寄ることもできて,参加費が9,000円ならばコストパフォーマンスは高いといえよう.とりわけモデラーには.
参加者へのお土産.いずれも特製品のタオル,電車絵柄の絆創膏,付箋紙など.携帯除菌スプレーがこのところの世情を反映している.なお右端のE217系モケット付きキーホルダーは新製品の予告である.
ということで,極めて心地よい疲れとともに大井工場……ではない,東京総合車両センターを後にしたのだった.